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HOT NEWS

 
(1998.8.19〜1998.11.30)
このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。

「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。


1998.11.30

去就が注目されるKAZUは、30日、来季契約の条件提示を受けたものの、多くを語らず、足早にクラブハウスを後にした。
ヴェルディの坂田社長はKAZUの功績を考慮し、本人の意思を尊重、来年1月末の契約期限ギリギリまで結論を先送りする考え。


1998.11.30

ヴェルディ川崎は30日、所属選手に対して、来季契約の有無および年俸提示をおこなった。去就が注目されるKAZUはクラブ側から来季契約の条件提示を受け、今季の契約が切れる来年1月末までには態度を決定すると語った。
坂田信久社長は「今はクラブの経営が優先。トレードや移籍も進める。契約の意思を示した選手でも、移籍の可能性がある」と話した。また、KAZUとの契約交渉については「彼の気持ちに整理がついた段階で話し合いたい」と語った。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。      


1998.11.28

関東大学リーグ2部の法政大と練習試合(40分、60分、40分)をおこない、KAZUはレギュラー陣が出場した最初の40分にFWとして出場。10月21日の対サンフレッチェ戦で痛めた右足首の影響を感じさせず、35分にはゴール中央に走り込んだ北澤に絶妙なスルーパスを送り、ゴールをアシストした。
練習後も、右足首の状態には問題なく、12月13日から始まる天皇杯に向けて上り調子でいる。
※実際に見てたときはKAZUのゴールに見えたのですが、KAZUのアシスト、き〜ちゃんのゴールだったようです。すみません…。


1998.11.28

ランドで午後2時からおこなわれた法政大学との練習試合。
3セットマッチでおこなわれた最初のセットで、KAZUは高木との2トップを組み、FWとして45分間プレー。1ゴールをあげた。

(読売ランドにて)


1998.11.27

27日の紅白戦練習で先発組に入り、高木との2トップで約45分プレー。ヘディングでゴールを奪うなど切れのいい動きを見せた。
10月21日の対サンフレッチェ戦で痛めた右足首も完治し、12月13日の天皇杯初戦に向けて、11月28日の練習試合を含め、実戦練習で調整していく。


1998.11.26

右足首を痛めていたKAZUが、全体練習に合流。
午前練習後、J1参入決定戦(コンサドーレ対ヴィッセル戦)をTV観戦。
来季の契約交渉については、新年俸制を導入するヴェルディでの評価で、基本給2000万円〜2500万円となることが予想される。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.11.24

KAZUとの来季契約交渉について、ヴェルディの坂田社長は、
「カズにとっては(球団側が提示する)新年俸制度は
受け入れにくいだろうしねえ。ただ、契約することもある。
KAZUとは彼の気持ちの整理がついたら話すことになっている。
今月30日までをメドに本人と話して決めたい。」と語った。
一方、KAZUは、まずはヴェルディ側の話を聞くことをを明らかにし、
12月13日から始まる天皇杯に、集中する心づもりでいる。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.11.24

24日、ランドでの練習で、KAZUは、万全ではない右足首を配慮して、別メニューで調整、走り込みをおこなった。


1998.11.23

23日、KAZUは国立でおこなわれたU−21代表の対アルゼンチン戦を前半だけだったが、メインスタンドから観戦した。

(ともさんからの情報です、Thanks!)


1998.11.23

23日から再開されたランドでの練習において、KAZUは、
最初のランニングとストレッチは他の選手と同じメニューをこなしたものの、
その後は1人別メニューでダッシュを繰り返し、
ミニゲームに参加することなく途中で切り上げた。
なお、来季の契約については明言を避けた。

(読売ランドにて)


1998.11.20

ヴェルディの坂田社長は、20日、
MSLに限らず、KAZUが希望するなら移籍を支援することを明らかにした。
詳細は
、「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.11.18

クラブの練習が15日から休みとなっているため、18日も完全オフとなっているKAZUの契約交渉は、11月23日以降におこなわれる。
ヴェルディの坂田社長は、
「電話では何度か話をしている。
まだ(年俸の)具体的な希望とかは聞いていない。
具体的な交渉は練習が再開(23日)してからになる。」と話した。
一方、プレスセンターでおこなわれた新聞協会の定例理事会に出席した渡辺恒夫氏は、KAZUについて、
「もう手を引いてしまったのだから発言権はない。
(仲人でもあるが)公私混同はしないよ。」と話した。


1998.11.18

ヴェルディの坂田社長は18日、今季で複数年契約が切れるKAZUとの契約更改について次のように語った。
「まだ何も決まってないし、本人の希望も聞いてない。
新年俸制度の話は彼も分かっていると思う。
クラブの経営が厳しいことは分かっていると思うが、
(条件面で)折り合いがつくか見通しの判断はできない。
本人から天皇杯に集中したいという要望があり、交渉はストップしている。
本人の意思を尊重する。」
契約についての話し合いは23日以降になりそうで、かねてから願望を抱いている外国への移籍も含め、去就が注目されている。


1998.11.18

一部のスポーツ紙が、KAZUがヴェルディを退団し、MLSなど海外を含め移籍先を模索すると報道した。
KAZUはこれまで自身の今後について
「来年の1月まで契約が残っている。それまでに決めればいいでしょう」
と明言を避けていたが、親しい関係者に
「入れ替え戦に出ることもなくなったからね。ヴェルディでの役割は終わった」
と話したというもの。
一方、ヴェルディの新社長・坂田氏は、17日、
「KAZUについては、今後の契約交渉の中で模索していきたい。
精神面ではKAZUのことをバックアップしたいと思っている。希望を聞きたい」
と語った。


1998.11.17

ヴェルディがフロント陣の刷新を発表。森下源基社長が16日付で退任し、日本テレビ出身の坂田信久専務(57)が新社長に昇格した。
KAZUの去就について、坂田氏は
「今期(Jリーグで)不本意な結果に終わり、『天皇杯で雪辱したい』と燃えており私も期待している。(来季の契約については)本人の意思を尊重したい。どうなるかまだ分からない。今後、どういう交渉ができるのか、ということ。」と語った。


1998.11.15

MLSのサンノゼ・クラッシュ移籍について、新聞2紙がそれぞれ
「海外移籍決定的」と「海外移籍暗礁に」といった内容を報じた。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.11.15

静岡・草薙球技場でおこなわれた高校選手権静岡予選決勝・静岡学園対清水商を観戦。母校・静岡学園は0−1で敗れたが、試合中は立ち上がって後輩らに声援を送っていた。


1998.11.14

Jリーグ・2ndステージ第17(最終)節対レイソル戦(柏スタジアム)、
右足首関節炎のため欠場したKAZUは、
午前中に練習してからラモスのラストゲームをスタンドから見守った。
試合後は、グラウンドや選手の前に姿を見せず、そのまま帰宅した。


1998.11.13

ランドでの練習の様子は次のとおり。

10:00

クラブハウス内でミーティング

10:13

グラウンドへ
KAZU サンダル履きで登場

10:21

グラウンド上で5分間ほどのミーティング
その後、KAZUはクラブハウスへ

11:00

KAZU アップシューズを履き、メディシン・ボールを持って
再びグラウンドに登場。
15分ほど、右足首にゴムバンドで負荷をかけストレッチ。
その後、ブローロコーチと、
メディシン・ボールを使って腹筋を中心とした筋トレ。

11:20

セットプレーやツータッチゲームを始めた選手達の様子を
寝ころびながら見守る。

11:50

練習終了
ラウンド中央あたりで、ラモス・ヤスと話し合い。

(『あぐ』さんからの情報です、Thanks!)


1998.11.12

右足首の炎症が引かないKAZUは、12日の全体練習にも参加せず。
Jリーグ・2ndステージ第17(最終)節対レイソル戦(柏スタジアム)は欠場する見込み。
来月(12月)13日からの天皇杯出場を目標に治療を進めることになった。


1998.11.11

11日のアップ練習途中、右足首に痛みを訴え、
ウエイトトレーニングのみで切り上げた。
Jリーグ・2ndステージ第17(最終)節対レイソル戦(柏スタジアム)の欠場が濃厚。戦列復帰は12月13日の天皇杯初戦になる見込み。
川勝監督は
「チームの運動量が増えているときに入ると本人も焦るし。
ネズミ(遊離軟骨)かもしれない。」
と心配したが、チームドクターの診断で、右足首関節炎と判明、手術の必要もなく、ホッとした様子だった。


1998.11.11

11日の紅白戦には参加せず、別メニューで調整。
10月21日(対サンフレッチェ戦)に痛めた右足首が完治しておらず、
炎症を起こしている模様。
12日も紅白戦をおこなう予定だが、参加するかどうかは微妙。
14日の最終節(対レイソル戦)は欠場の可能性も出てきた。


1998.11.07

Jリーグ・2ndステージ第16節対アントラーズ戦(等々力)は、延長開始から出場したが、始まって3分でVゴール負け。ほとんどボールに触れることができなかった。
試合後、ビスマルクとユニフォームを交換。ジョルジーニョや柳沢に声をかけ、98Jリーグ・ホーム最終試合ということもあり、ヴェルディ全選手は場内を1周(正確には2/3周)した。


1998.11.05

この日、25分ハーフの紅白戦に参加。
巧みなフェイントでDFを抜き去るなど、切れのいい動きを見せたが、10月21日のサンフィレッチェ戦でねんざした右足首はこの日も痛みが引かず、
Jリーグ・2ndステージ第16節対アントラーズ戦(等々力)での先発出場は微妙。


1998.11.05

8月5日に発売された一志治夫著『たったひとりのワールドカップ 三浦知良、1700日の闘い』(幻冬舎文庫)が30万部を突破しました。
この文庫本の内容は、KAZUオフィシャルページ「BOA SORTE KAZU」の、「SHOP」コーナーに紹介されています。

http://www.kazu-miura.com/shop/index.html


1998.11.03

Jリーグ・2ndステージ第15節対エスパルス戦(日本平)はベンチ入りしたが出場せず。


1998.11.02

この日の紅白戦ではBチームのFWとして無駄な動きは避けたものの、しっかりとチェイシングをおこなうなど、精一杯のトレーニングを積んだ。
Jリーグ・2ndステージ第15節対エスパルス戦(日本平)はベンチ入りする。


1998.11.01

KAZUが丸刈りになって、ランドでの練習に参加。
右足首の負傷が万全でないにもかかわらず、紅白戦(50分間)にもフル出場したが、11月3日、Jリーグ・2ndステージ第15節対エスパルス戦(日本平)での先発復帰は難しい見込み。


1998.11.01

15:00からのランドでの練習において、前日試合に出場したメンバを除いての紅白戦が約50分間おこなわれた。KAZUは50分間、フルに紅白戦をおこない、1得点4アシスト。
なお、髪の毛を短くカット。「まるこめくん」のようでした(笑)。

(読売ランドにて)


1998.10.31

Jリーグ2ndステージ第14節 対コンサドーレ戦(等々力)は、後半15分から途中出場。シュートは1本。チームとしてのシュートは23本。


1998.10.30

10:00から開始予定の練習は、ミーティングのため10:30から始まった。
この日は、ストレッチの後、フットバレーで軽い練習に終始。
KAZUは、終始明るい表情で練習に参加。
フットバレーでは、北澤・玄・高木・石塚と組み、ヤス・ダニエル・重田・土屋などのチームと対戦。藤川コーチが審判をおこなう中、和気藹々とした雰囲気だった。

(読売ランドにて)


1998.10.24

Jリーグ2ndステージ第13節 対アビスパ戦(博多の森)は、左足太もも筋膜炎および右足首痛で欠場、福岡入りもせず。


1998.10.23

21日の対サンフィレッチェ戦(等々力)で打撲した右足首の状態が思った以上に深刻で、23日の練習では着替えることもなく私服姿のまま紅白戦を見守るにとどまった。
24日のJリーグ・2ndステージ第13節対アビスパ戦(博多の森)は欠場の見込み。


1998.10.23

23日のランドでの練習で、KAZUは練習前のミーティング後、怪我の治療に専念。練習には参加しなかった。

(読売ランドにて)


1998.10.22

米国MLSのサンノゼ・クラッシュのブライアン・クイン監督は
22日、KAZUについて「今は何も聞いていないが、チームに加わる可能性がないわけではない」と語った。
同監督は、5年前の3月、キリンカップにアメリカ代表として来日し対戦。
「KAZUは最高のプレーヤーだった」と語りストライカーの印象を持っている。
「今のチーム状態では若い選手が欲しいところ」と言いながらも、
「現在のKAZUの状態はどうなんだ」と関心を寄せている。


1998.10.22

22日のランドでの練習で、KAZUは練習前のミーティングのみに参加。
ランニングなどもおこなわず、24日の対アビスパ戦は欠場の見込み。
川勝監督も「カズはドクターから出場は無理だと聞いている」と語った。


1998.10.22

米国MLSのサンノゼ・クラッシュへの移籍報道に対して、KAZUは完全否定。
ヴェルディの森下社長も「今日、初めて知った。本人の意思に任せるけど、何も聞いていないから何とも言いようがない」と突然の移籍報道に困惑気味。
サンノゼ・クラッシュの経営権を所有する電通側も「具体的な話は何もないし、決まってもいないので、お話できることはない」と語った。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.10.22

KAZUが来年2月1日より、米国MLSのサンノゼ・クラッシュへ完全移籍することが内定したと日刊スポーツが1面トップで報道した。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.10.21

Jリーグ2ndステージ第12節対サンフィレッチェ戦(等々力)で、左足太もも痛のため欠場していたKAZUが3試合ぶりに出場した。
しかし、前半19分右足首を痛め、同35分に途中交代した。


1998.10.20

午前中の紅白戦練習で、左足太ももに違和感を覚え戦線離脱していたKAZUが、レギュラー組のFWとしてプレー。
Jリーグ・2ndステージ第12節の対サンフィレッチェ戦で、3試合ぶりに復帰する見込み。


1998.10.19

午後3時から約2時間の練習で、KAZUは他の選手と同じメニューを消化。
ランニング・ストレッチ・ダッシュに加え、攻撃パターンのトレーニングにおいても左右両足でのシュート練習をおこなった。

(読売ランドにて)


1998.10.17

Jリーグ2ndステージ第11節 対セレッソ戦(長居)は左足太もも筋膜炎で欠場、大阪入りもせず。


1998.10.16

KAZUは左太もも裏の筋膜炎でこの日も練習に参加せず。
Jリーグ2ndステージ第11節 対セレッソ戦(長居)は欠場の予定。


1998.10.15

左足太ももを痛めているKAZUは別メニューで調整。


1998.10.14

Jリーグ2ndステージ・第10節 対フリューゲルス戦(国立競技場)を左足太もも痛のため欠場、スタンドから観戦したが、試合終了と同時に無言で球場を後にした。


1998.10.13

12日の紅白戦練習で左足太もも肉離れの可能性があったKAZUが、MRI(核磁気共鳴診断装置)検査を受け、筋肉損傷を含めて異常なしと診断された。
初めて痛めた箇所だけに、大事をとって14日の対フリューゲルス戦は欠場する予定だが、17日の対セレッソ戦には復帰の見込み。


1998.10.13

10時からのチーム練習でKAZUは11時にグラウンドに現れ、ブローロフィジカルコーチと約15分ランニングをした後、ストレッチと数本のダッシュ練習をおこなった。終始アップシューズで全体練習には加わらず。

(『あぐ』さんからの情報です、Thanks!)


1998.10.12

12日の紅白戦練習で左太もも肉離れの疑いで途中リタイア。今後の数試合欠場の可能性が出てきた。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.10.05

1998.10.5付けの日経新聞夕刊で岡田氏が発言。

「フランスへ行く前はカズも北沢も落とすつもりはなく、候補者は別にいた。自分が老かいな人間だったら残していたかもしれない。最終的には勝つメンバーをという原点に返ってあの日の朝、決めた」。


1998.10.04

今季Jリーグ、KAZUはこれまで5ゴール。

1ゴール

3/25

1−0

ジュビロ

右足

2ゴール

4/11

2−1

ジェフ 

ヘッド

3ゴール

4/25

1−2

サンフィレッチェ

右足

4ゴール

4/29

6−1

アビスパ

右足

5ゴール

10/3

2−0

ジェフ

ヘッド


1998.10.03

Jリーグ2ndステージ第9節対ジェフ戦でのKAZUのシュートは5本、1ゴール。チームとしてのシュートは17本。
また、KAZUはJリーグ通算出場150試合目。
この日はトシちゃん(田原俊彦)もスタンドに応援に来ていた。
また、KAZUの母・由子さんもスタンドで観戦し、
「半年ですもんね。本当に長かった。」とホッとした様子で語った。


1998.10.03

Jリーグ2ndステージ第9節対ジェフ戦(国立)。
久々のKAZUゴールで、2−0の勝利。


1998.10.02

10月10日おこなわれるJOMOカップの投票結果は次のとおり。
KAZUは選ばれず。

1

柳沢

104,512

2

中山

95,502

3

呂比須

83,889

4

三浦(知)

80,876


1998.10.01

背番号「10」を背負ってプレーすることになった前園が移籍したブラジル・サントスで、KAZUがかつて背負っていた背番号は「7」。


1998.9.30 

1998.9.29発表された日本代表候補にKAZUは選ばれず。


1998.9.26 

Jリーグ2ndステージ第8節対ヴィッセル戦(等々力)。
第6節対ジュビロ戦で右足首を捻挫、第7節対サンガ戦を欠場したKAZUは、
スタメンで出場し、後半29分に前園と交代。
前半8分、菅原のゴールをCKからアシスト。
この試合でのKAZUのシュートは3本。チームとしてのシュートは11本。


1998.9.25 

対ヴィッセル戦を翌日に控えたランドでの紅白戦練習で、
KAZUがスタメン組のFWとしてプレー。
川勝監督は「明日(26日)の朝になって、カズに痛みが出なければ」と
右足首捻挫で欠場していたKAZUの先発起用を示唆。


1998.9.24 

19日右足首を捻挫し、23日の対サンガ戦は欠場したKAZUが練習を再開、チームとは別にランニング中心のメニューをこなした。
川勝監督は「先発はまだ難しいんじゃないか」と26日の試合は控えとすることを示唆した。


1998.9.23 

Jリーグ2ndステージ第7節対パープルサンガ戦(国立)は、
前節での右足首捻挫のため、KAZUは欠場、スタンドから観戦した。


1998.9.22 

Jリーグ2ndステージ第7節 対パープルサンガ戦(国立)は、前節での右足首捻挫のため、KAZUは欠場の予定。


1998.9.21 

1998.9.19の対ジュビロ戦で右足首を痛め途中交代したKAZUは、
21日、練習を休んでアイシングやマッサージ治療に専念した。
チームドクターの診断によると、右足首捻挫で全治1週間。
23日のサンガ戦への出場は、22日の練習での状態を見てから決めるが、
先発での出場は難しくなりそう。


1998.9.20 

右足首捻挫で19日のジュビロ戦を途中交代したKAZUは、終日静養した。
前日は激痛で歩くこともできなかったが、この日になって歩けるまで回復した。
平野チームドクターの診察では、23日の京都戦の出場は、
明日22日までの回復を見て決めることになる。


1998.9.20 

KAZUの右足首ねんざによる途中交代について、川勝監督は
「(21日の)検査結果を待たなければはっきりとは言えないけど、
痛くても無理するような選手なのに、あんなに早い時間で
自分からダメだと言ってきたんだから相当、痛いはず。
次の試合は無理だと思う。」と述べた。


1998.9.19 

Jリーグ2ndステージ第6節対ジュビロ戦、前半22分、アジウソンのタックルを受け右足を捻挫し途中交代。試合終了までベンチで戦況を見守った。


1998.9.17 

ランドでの練習後、若貴兄弟の“絶縁宣言”問題に口を開いた。


1998.9.17 

前節で連敗を7で止めたヴェルディは17日、東京・よみうりランドで紅白戦などの練習を行った。前半は前園と、後半は玄と2トップを組んだKAZUは、シュート練習を済ませた後、川勝監督の元へ歩み寄り約5分間、話をした。
川勝監督は「カズが自分でドリブルする時に、周りの選手のサポートでスペースを作ってほしいと言ってきた」と説明した。
チームは連敗を脱出し、次に待たれるのはカズの復活。「あすみんなに言います」と川勝監督。


1998.9.15 

Jリーグ2ndステージ第5節対ベルマーレ戦でのKAZUのシュートは3本。チームとしてのシュートは18本。


1998.9.14 

元イタリア代表で清水に在籍したマッサーロ氏はイタリアのスポーツ番組で、「中田とKAZUは比較できない」と発言。同氏は、KAZUがジェノア入りした時期を間違えたと強調。「当時のジェノアはクラブの体制が悪かったし、ビジネス先行の考え方だった。これでは選手の実力を発揮できない。中田がKAZUのような状況にならないことを望む」とコメントした。


1998.9.12 

Jリーグ2ndステージ第4節対グランパス戦でのKAZUの シュートは記録上0本。チームとしてのシュートは12本。


1998.9.07 

ニカノール監督が解任、後任は川勝ヘッドコーチが昇格。
川勝新監督のコメント
「若い選手の特徴は知っている。ただ選手を育てながら勝つことは難しい。その時点でのベストメンバーを使う。
現在うちのチームにカズを越えるFWはいない。ホームラン打者でも打てないときは打てない。勝負どころでは経験を生かして決めてくれると期待している。」


1998.9.05 

Jリーグ2ndステージ第3節対レッズ戦でのKAZUの シュートは4本。チームとしてのシュートは11本。


1998.9.04 

川崎のニカノール監督は、4月29日の福岡戦以来、10試合連続無得点のエース・KAZUについてスタメンで使い続けることを明言。ニカノール曰く、「調子こそ落としているが、試合を続けることによって調子を取り戻せる選手。調子が悪くても使い続ける。中盤まで下がらずに、前で張って得点に絡めばいい」。


1998.9.04 

対レッズ戦を翌日に控え、KAZUは北澤とともに、居残りPK練習をおこなった。


1998.9.03 

KAZU・前園の「KM」2トップで不振脱出を図る。 KAZUと前園はグラウンドの照明が点灯するまで居残りシュート練習をおこなった。この日の紅白戦では、右からのKAZUのセンタリングを前園が右足ダイレクトで1ゴールをあげた。「この状況を打開するには点を取るしかない。カズさんと連係をとって、お互い同じ動きにならないようにしたい」と前園。


1998.9.02 

ニカノールは、2日の練習後、連敗脱出をKAZU&前園の2トップに託すと明言。


1998.9.01 

ランドで行われた午後練習におけるミニゲームで、KAZUは1人で5得点をあげる。

(ひろこさんのお友達からの情報です、Thanks!)


1998.9.01 

東京・紀尾井町ホテル ニュー・オータニで関係者1000人を集めておこなわれた、第66代横綱若乃花の横綱昇進披露宴にKAZUも出席。同披露宴には、三浦泰、北澤、奥寺、藤原紀香などの姿も見られた。


1998.9.01 

ランドでの練習で、ニカノールは試行錯誤を続けている。とくに、KAZUのパートナーについては、「ゆっくりと考えてから決める」と述べた。


1998.9.01 

8月5日に発売された一志治夫著『たったひとりのワールドカップ 三浦知良、1700日の闘い』(幻冬舎文庫)の最新ランキング

紀伊国屋書店

http://www.kinokuniya.co.jp/02f/d01/2_010000.htm

旭屋書店

http://town.hi-ho.or.jp/asahiya/best/ind_all.htm

日販調査

http://www.php.co.jp/book/best/g.html


1998.8.29 

Jリーグ2ndステージ第2節対マリノス戦でのKAZUの シュートは3本。チームとしてのシュートはわずかに5本。


1998.8.27 

早大との練習試合で前半45分+後半20分にFWとして出場。前半に右足でのミドルシュートで1得点。後半には、1アシスト1ゴールで合計2得点。


1998.8.25 

午後練習で50分の紅白試合をおこない、KAZUが2得点。山口からのパスを左足で蹴り込み1得点、1PK。


1998.8.19 

KAZU、東京渋谷公会堂でおこなわれた田原俊彦コンサートで「ごめんよ涙」を飛び入りで熱唱!会場からの大声援を受けた。 俊ちゃん曰く「お前が来ると盛り上がるから嫌なんだ」。

 

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