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(1998.11.30〜1998.12.30)
 このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。

「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。


1998.12.30

KAZUが早くもザグレブ市民のハートをつかんだ。
前日(29日)、クロアチア・ザグレブと正式契約を結んだKAZUを30日付のクロアチア各紙は大きく報道。クロアチア各紙に「MIURA」の文字が躍り、ザグレブの早朝がKAZU一色に染まった。ザグレブ市内のキオスクの店員のサリッチさんは「私のところでは、6紙の新聞をおいているけどほとんどスポーツ面はミウラだった」と驚いた。 その内容もほとんどが歓迎ムードで、名門ザグレブに入団するヤポンスキー(日本人)への関心度は高く、各紙軒並みトップ扱い。
ザグレブ唯一のスポーツ紙『スポルツスキ・ノボスティ』は1面トップで「日本のエースがやってきた」と大きく扱ったが、日本語を間違えて? 「サヨナラ・ミウラ」という大見出しが躍った。現地在住日本人は「日本語で一番知られている言葉だから、象徴としてつけただけでは?」と首をかしげたが、3面では「クロアチアのチームの一員として貢献する」と、詳しく前日の記者会見の模様を報じた。スポルツスキ・ノボスティのバウアー記者は「セリエAにいたこともあって、こちらでも有名だった。ザグレブでも成功を収めると思う」と期待を込めた。
一般紙の『ノビ・リスト』は「C・ザグレブは”良い知識”を呼んできた」と三浦知良の名前の意味に触れながら紹介した。
地元有力紙『ビエニスク』ではスポーツ面のトップ記事で扱われ、一般紙の『ユタルニリスト』でもスポーツ面1ページを割いた。
一般紙『ノビ・リスト』は「C・ザグレブは”良い知識”を呼んできた」と三浦知良の名前の意味に触れながら紹介した。
市民が見る目も早くもスター級だ。
記者会見を終えた後はホテル内で散髪してリラックス。代金を払おうとしたら、「C・ザグレブのミウラにサービスすると言われた」と本人もビックリのカット無料。クロアチアに単身乗り込んだアジアのストライカーへの注目度は日増しに高まっている。KAZUが市内を歩けば「ディナモ(クロアチア・ザグレブの前身のチーム名)、ミウラ」と声がかかる。子供たちからはサインをせがまれる。ザグレブサポーターでもある25歳の男性は「こちらではアジア人は珍しいし、人気が出ると思うよ」と話した。
チーム関係者もプレーヤーとしてだけではなく、「日本人」としてのKAZUに魅力を感じている。
ザグレブ市議会議長でもあるカミューガ会長は「アジアとクロアチアの橋渡しになり、マーケティングの面でも多くの効果をもたらすだろう」と、多くの日本人サポーターがザグレブに足を運ぶことを予想している。
また、英国ロイター通信も、KAZUのクロアチア・ザグレブへの移籍を伝えた。「彼はすべてのメディカルチェックに合格し、サインをした。ベテランのコズニクや18歳のミキッチと攻撃陣を形成することになりそう」とKAZUの起用法を予想している。詳細は、
「INFORMATION」コーナーを参照のこと。

KAZUは31日、いったんクロアチアを離れ、チューリヒ経由でいったん帰国。来年1月10日からチームに合流する。


1998.12.29

Jリーグのヴェルディを離れ、再び海外に活躍の場を求めることになったKAZUは29日、午前9時(日本時間同日午後5時)、クロアチアの首都ザグレブ市内にあるクラブ事務所でC・ザグレブと正式契約を交わし、初の東洋人選手が誕生した。
ズラトコ・ツァニュガ会長、ミルコ・ノボセルGMと並んで席についたKAZUは、契約書に公開サイン、正式にクロアチアNO.1チームの一員になった。

スーツ姿で会見に現れたKAZUはリラックスした様子で、時折笑顔を見せる余裕も。有名選手の入団とあって、地元テレビなどクロアチアの報道機関のほぼすべてが取材に訪れ、日本からの記者を含めて約50人の報道陣が詰めかけた。

背番号は空き番号の中から選んだ「13」、登録名はブラジル時代からおなじみの「KAZU」に決まり、FWを任されることになった。契約期間は1999年1月1日から2000年の6月21日までの1年半。推定年俸は5000万円。チームは車とザグレブ市内のアパートを提供することになっている。

95年の歴史を誇る名門チームは、欧州のビッグクラブを目指して、現在4万2000人収容のホーム「マキシミリ・スタジアム」を、2000年までに6万人収容の巨大スタジアムに改修する。KAZUはその看板スターとして期待されている。

前日(28日)は、クラブ創立95周年パーティーが行われた。その席上で、プロシネツキとスペイン語で言葉を交わし、ガッチリ握手を交わすKAZUの姿が、国営放送でゴールデンタイムに延々と映し出された。
あるクラブ関係者が明かした。「日本人のカズが活躍すればザグレブ市民だけでなく欧州にも大きな影響を及ぼす。日本人にも来てほしい」と。さらに、Cるクラブ関係者は「KAZUの加入で日本の情報をできるだけ集めたい。そしてW杯で優勝したい」と話した。

また、「KAZU」のほかに、ミウラのMが取れた「IURA(ユーラ)」というニックネームも付いた。ユーラはクロアチア語でジョージという意味。呼びやすい名前でみんなに覚えさせ、日本からの新戦力に早く慣れさせようという配慮。

ズラトコ・ツァニュガ会長も満足げに
「KAZUはアジアのベストプレーヤー。リーグ初戦の、来年2月17日のムラードスト127戦にKAZUのプレーがお披露目できるはずだ」と語った。

一方、KAZUは来年2月17日の本拠地ザグレブでの国内リーグ戦でデビューする意向を表明した。暇を見つけて市内のショッピングセンターを歩くなど、ザグレブの雰囲気を知ろうと前向き。

W杯フランス大会のクロアチア代表監督で現在は同クラブの顧問を務めるブラゼビッチ氏も
「2年前のキリンカップで見たが、すごくモダンな選手だと思った。スピード、積極性がある。速いしクロアチアでも成功すると思う。彼にとってもクラブにとっても未来がある」と太鼓判を押した。

KAZUは31日に一旦帰国。その後は、1月8日にザグレブに出発することになった。
大晦日31日に帰国後、当初は日本で所用を済ませて、1月中旬のスペイン(ラマンガ)合宿から合流の予定だったが、チーム側から「10日の全体ミーティングにはぜひ出てほしい」と言われて出発予定を繰り上げた。
11日からクロアチアのポーレッチで始動、17日にザグレブに戻った後、21日にラマンガへ向かう。


1998.12.29

クロアチア・ザグレブへの移籍が決まったKAZUが29日、ザグレブのクラブハウスで正式契約を結び、記者会見した。
背番号は「13」で、ユニホームには「KAZU」の文字が入ることが決まった。契約期間は1999年1月1日から2000年6月21日までの1年半。
KAZUにとってブラジル、日本、イタリアに次ぐ4つ目の国の舞台となるクロアチアは、今年夏のW杯で3位に入ったことでも分かるように、人口470万の小国だが、人材の宝庫として知られる。中でもザグレブは超名門クラブ。
この日の会見には、クラブの顧問を務めるブラジェビッチ代表監督も姿を見せ、「キリンカップではKAZUに2点取られて敗れた。こんな選手を取らないわけにはいかない」と語った。
また、KAZUを獲得した意図について、クラブのツァニュガ会長は「これは2002年W杯のホスト国である日本とクロアチアのサッカー界の新たな関係の始まり」と強調、この契約を機に、日本との関係を深めていきたい意向を示した。
年末年始などで中断しているクロアチアリーグは来年2月中旬に再開される。KAZUは31日に一時帰国し、来年1月上旬に再渡欧の予定で、デビュー戦は来年2月17日になる見込み。


1998.12.28

クロアチア唯一のスポーツ専門紙「スポルツスキ・ノボスティ」は28日付の14面トップに写真入りでKAZUを紹介。「クロアチアは三浦にとって大きなチャンスになる」という大見出しを掲げてインタビューを掲載。
その中でKAZUは「日本で行われるW杯に出たい」と発言し、クロアチアでの飛躍を誓っていた。


1998.12.28

クロアチアのクロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)に移籍するKAZUは28日、午前中に本拠地となる4万2000人収容のザグレブのホーム、マキシミリ・スタジアム内のクラブハウスを訪問。その後、午前9時から約3時間にわたってメディカルチェックを受けた。検査は、血液、心電図など180項目にわたった。午後からは雪で覆われた練習場、室内トレーニング施設も見学し、好印象を持った様子。また、ザグレブ市内でアパートも物色。29日の記者発表の後、年内には帰国する予定。
検査終了後、契約の詰めの交渉の席でフロントから登録名を「MIURAかKAZUどちらがいい」と尋ねられ、迷わずブラジル時代から慣れ親しんだ「KAZU」を選んだ。背番号は固定制のため、現在空き番の「9」か「13」しかないが、「9は嫌い」と13を要望。クラブ側もそれを了承する方向。
1903年のザグレブ創設以来、初の東洋人選手。現在、外国人は3人在籍しているが、いずれもクロアチアとの二重国籍選手で、今季、純粋な外国人はKAZUだけになる。
チーム側の期待も大きい。ゴーラン・ブラディッチ・チームディレクター(36)も「日本ではカリスマ性、人気があったらしいが、ここでもそうなることを望んでいる。チームは非常に強いので、11人の中で彼がどうなるか分からないが、一生懸命練習してほしい」と語った。
注目のデビュー戦は2月17日が濃厚。クロアチア・リーグの再開は2月24日だが、C・ザグレブは12月6日のアウエーのムラードスト127戦を積雪で延期したため、その未消化試合が1週間前に予定されている。現在、リーグ戦で11勝2分け2敗で首位にいる強豪だけに出番を勝ち取る競争はあるが、この1戦がカズの欧州挑戦の第1歩となる。
年明け1月7日からアドリア海沿いのポーレッチで練習を再開。1月中旬にはスペインのラマンガへ移動して約2週間の合宿を行う。合流時期は未定だが、2・17デビューを目指し「KAZU」の新たな挑戦が始まる。


1998.12.27

27日、パリ経由でザグレブに到着したKAZUは、市内のホテルにチェックイン。クロアチアNO.1のチームへ「日本のキング」が新戦力として加わるとあって、さっそく現地の報道陣が詰めかけて取材。KAZUは堂々と対応。地元紙を買い求め情報を収集した。


1998.12.27

クロアチア・ザグレブ移籍を決意したKAZUが27日午後2時40分(日本時間同日午後10時40分)、クロアチアに到着した。
前日26日は12時間半かけてフランス・パリ入り。フライト中、KAZUはジャージに着替えてリラックス。ハンチングをかぶり再びスーツで決めて到着したパリは、小雨がぱらつくあいにくの天気。しかし、23日の天皇杯敗退からわずか3日後の渡欧という強行軍にも旅慣れた余裕を見せた。
この日パリから午後3時前にザグレブに到着。KAZUはスーツにネクタイ、さらに黒のコートを着込んでいたが「寒いね。寒いね」と連発した。空港を出るとあたり一面は銀世界。雪はやんでいたが、約10センチの積雪。零下4度の厳冬が出迎えだ。それでも腕試しを楽しむかのように静かに車で市内のホテルに入った。

28日にC・ザグレブのメディカルチェック、29日には契約会見が控えている。


1998.12.26

黒のロングコートに身を包んだKAZUが26日午後、成田空港から日航機で移籍先のクロアチア・ザグレブへ向かった。乗り継ぎのパリで1泊し、27日にザグレブ入り。28日にメディカル・チェックをした後、本契約書にサインして、いよいよ“ザグレブ・カズ”が誕生することになる。
空港出発ロビーには、記念撮影、サイン、握手を求める人が次から次と殺到し、KAZUは搭乗時間を気にしながらも、可能な限りの誠実さで一人ひとりの声援にこたえながら、終始笑顔を浮かべリラックスした様子。空港内の書店で文庫本を1冊、薬局でうがい薬を買ってから、さわやかな表情で出国ゲートに向かった。
今回は来年1月から2000年6月まで約1年半プレーする国の下見も兼ね、背番号や、今後現地で住む場所などプレーする上で付随するさまざまな条件を詰める予定だ。背番号については今季シーズン途中のため、空き番号となりそうだが、慣れ親しんだ「11」を希望している。また、当面は“単身赴任”となるが、落ち着いたら理佐子夫人、長男の良太君を春先にはサグレブに呼ぶつもりでいることを明かした。
同伴する国際サッカー連盟(FIFA)公認の日本人代理人の田路雅朗氏(44)は「仮契約書にはもうサインしているし、すんなりいくと思う」と話しており、契約の諸条件に問題はなさそうだ。
29日には現地で入団発表を行った後、歓迎会も予定されているという。31日に一時帰国。正月は日本で静養して、15日から始まる合宿に照準を合わせて再びクロアチアに向かう。


1998.12.26

KAZUがクロアチア・ザグレブと本契約を交わすため、26日午後、成田空港から日航機で出発した。
KAZUはパリを経由してクロアチアに入る予定で、メディカルチェックを受けて本契約を交わした後、移籍の会見をおこない帰国する。


1998.12.25

ヴェルディからクロアチア・ザグレブに移籍するKAZUが25日、思い出の詰まった東京・稲城市のグラウンドに姿を見せ、通算8年間の日本でのプロ生活に、笑顔で別れを告げた。
グラウンド中央で行われた異例の青空ミーティング。川勝監督に続いてKAZUや柱谷ら退団する選手があいさつ。全員で記念写真を撮影した後、チームメート、スタッフ、ドクターと記念撮影を行い、一人ひとりにあいさつした。
すでに代理人が20日に仮契約書にサイン、本契約書のコピーも届き内容も確認している。問題点はないことから、きょう26日に成田を出発、27日にザグレブ入り。28日にメディカルチェック後、正式契約を結ぶことになっている。また、C・ザグレブでは29日に大々的な入団会見を行う予定で、初の日本人選手を歓迎する予定だという。30日にも一時帰国、正月は家族で過ごし、1月15日からの合宿でチームに合流する。
この日、駐車場では、花束を抱えた熱心なサポーターらが見送りを受け、別れを惜しむファンのサインにも丁寧に応じた。
KAZUがヴェルディから持ち帰る荷物は、なんと段ボール箱20個以上。荷物はスタッフの手によって事務所に送られるが、中心選手らしく、練習着にウインドブレーカー、私服、洗面用具、日本代表で使ったものなど多岐にわたり、選手の中でも群を抜く多さだという。スパイクだけでも、練習や天候によって使い分けていたため20足以上あった。この日は、若いスタッフの1人に代表で使用した「必勝」の刺しゅう入りスパイクをプレゼント。感謝の気持ちを表していた。


1998.12.25

KAZUの今後の予定は、KAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内の「BOA SORTE NEWS FLASH」をご覧ください。


1998.12.23

6月にW杯代表から外れたあと、92年バルセロナ五輪の陸上男子四百メートル8位の高野進氏(陸連強化委員会短距離部長)に会ってランニング・フォームの指導を受け、体のキレとスピードを取り戻した。
KAZUは、24日を休養に充て、25日にクラブの最後のミーティングに参加。ヴェルディ・坂田社長と会談。26日にもクロアチアに渡り、メディカルチェックを受け、早ければ、年内にもクロアチアに飛んで正式契約を結ぶ。年内(29日か30日)には帰国、年末年始は日本で過ごし、1週間から10日間休養する予定。なお9日前後に都内ホテルで移籍記者会見。再度クロアチアに渡り、1月15日から練習(イタリア合宿が濃厚)に合流する予定。
2月21日、クロアチアリーグが再開され、再開初戦はホームでのスラベン・ベルポとの対戦。
KAZUは再び世界へはばたく。


1998.12.23

天皇杯・準々決勝戦を最後にクロアチアへ行くことになったKAZUが報道陣からの質問を終えて会場を立ち去ろうとしたとき、KAZUの靴が排水口にはまって3分ほど立ち往生する珍事があった。1歩後ろに下がったKAZUの右足がズボッと音を立てた。「どうなってるんだあ」と叫びながら本人が必死に足を動かそうとするが、靴がぴったりと溝にはまって動けず。靴を脱いで、足を溝から外して靴を取り、ようやく脱出成功。幸いけがはなかった。


1998.12.23

天皇杯準々決勝・対グランパス戦(鴨池陸上競技場)にスタメンで出場、前半4分に先制点を奪ったシュートを含め、KAZUのシュートは2本。後半44分に途中交代したが、その直後オウンゴールで同点にされ、ヴェルディは延長前半でVゴール負けした。チームのシュート数は8本。結果、この天皇杯・準々決勝戦が、ヴェルディでのKAZUのラストゲームとなった。
KAZUを交代させた理由について、ヴェルディ・川勝監督は「準決勝へ温存するため代えた」と説明したが、これが結果として裏目に出た形となった。


1998.12.22

22日、KAZUは、クロアチアの名門クロアチア・ザグレブ入りが内定した旨を、ヴェルディの坂田社長に報告した。
天皇杯終了後にクロアチアに渡りメディカルチェックを受けて正式契約を結び、一度帰国して1月10日ごろ記者会見をおこない、15日からイタリアかスペインで合宿をおこなう予定。
すでに20日にヨーロッパ在住の代理人から坂田社長に「これからC・ザグレブとの交渉に入る」との連絡が入っている。
坂田社長は「我々が提示したよりもいい額だった。個人的にはよかったと思っている」と語り、移籍金も請求しない考え。また、「ザグレブは選手育成に定評のあるチーム。カズは何でも身につけたいと考える男だから、当然(同チームの)育成方法を勉強することも視野に入れているでしょう」と、将来的にヴェルディの指導者として道も考えていることを示唆した。
一方、この日の練習には女性ファンが殺到。花束などを持った約30人が駆けつけ、『スーパースターカズ』が垂れ幕まで登場した。
また、KAZUのC・ザグレブ移籍を受けてジュビロの中山は「日本を離れるのは寂しいけれど、どこでも力を発揮できる人。また、自分もいろいろと勉強させてもらいたい。カズさんともう一度戦いたいね。そのためにお互い決勝にいければいいね」と語った。


1998.12.21

クロアチアのクロアチア・ザグレブへの移籍が決まったKAZUは21日の練習後、天皇杯・準々決勝(対グランパス戦)に向けて、よみうりランドでの練習に汗を流した。
天皇杯終了後2日以内に一旦現地に出向き、メディカルチェックを受け帰国。来年1月初旬にはチームに本格的に合流する予定。クロアチア側は来年1月7日の練習再開からの合流を望んでいるが、実際には、イタリアかスペインで1月中旬から予定されている合宿から本格的に合流する可能性が高い。
クロアチア・ザグレブを選んだ理由として、KAZUは、個人技重視のサッカースタイルと常に主導権を握れる強豪チームであることを挙げた。クロアチア・ザグレブは現在国内リーグで首位のため、来季の欧州チャンピオンズ・リーグ出場の可能性も高く、KAZUはその参戦へ意欲を見せた。
一方、クロアチアのダミール・ヴィルバノビッチED(エグゼクティブ・ディレクター)は「ウチのFWは18とか19と若い。31歳の経験に期待したい。トップクラスのストライカーだと思っている」とKAZUを高く評価している。


1998.12.21

21日、KAZUは、現在行われている天皇杯全日本選手権終了後に、クロアチアの強豪クロアチア・ザグレブに移籍することが明らかになった。20日夜にC・ザグレブからKAZUに仮契約書が届き、合意に達していた。正式契約は遅くとも年明けには結ばれる。
契約は2000年6月末までの1年半で、KAZUにとってはブラジル、イタリアに続いて3度目の海外挑戦となる。
KAZUは天皇杯終了後ただちに渡欧し、メディカルチェックを受けていったん帰国する。C・ザグレブは来年1月7日に練習を開始し、同15日から国外合宿を行うが、準備の都合上、チームへの合流は遅れる見込み。


1998.12.20

KAZUのクロアチア・ザグレブ入りが決まった。1ゴール2アシストと活躍を見せた20日、天皇杯・4回戦終了後、都内のホテルで行われたパーティーに出席したKAZUは実父・宣雄氏らを交えて仮契約書を検討、合意に達した。クロアチアにいる代理人が仮契約書にサインし、近く郵送されてくる本契約書にサインすることになった。
契約は1999年1月15日から2000年6月30日までの1年半。契約金は270万ドル(約3億円)、年俸は90万ドル(約1億円)。1月5日までにザグレブでメディカルチェックを受け、15日までにチームに合流する。ザグレブは1月7日からイタリアでキャンプをおこない、2月17日からリーグ後半戦が再開される予定。このため近日中にも本契約を結び、天皇杯終了後に合流させたい意向。
代理人の一人は「ザグレブは一日も早くKAZUに来てほしいと思っている。早ければ今年中に向こうに行く」と話した。 また、別の代理人は「メキシコのクルサアズール、メキシコの2部リーグからも(オファーが)あった」と打ち明けた。戦争の傷痕が残る国だけに、単身赴任になるかどうかはこれから検討する。


1998.12.20

天皇杯・4回戦、対本田技研戦でKAZUは10月21日のJリーグ第2ステージ・広島戦(等々力)以来のスタメン。
KAZUのシュートは4本。1ゴール2アシストで、チームの全得点に絡む活躍。試合後は、通常の倍以上の報道陣に囲まれ、充実感あふれる笑顔を見せた。
チームとしては3−1で勝利、チームのシュートは12本。
川勝監督は「KAZUはよかった。点も取るしアシストもした。今日は前で張って勝負して前向きだった」と語った。
また、対戦相手である本田技研の設楽監督は「KAZU、高木、北澤は調子は悪いと言っても3人とも違う個性を持っている。その3人のコンビネーションにやられた」と語り、主将のMF安間は「KAZUはスピードは普通だが、コースどりや読みの鋭さはさすがだった。止められると思ったが、止められなかった」と脱帽の様子。


1998.12.20

天皇杯4回戦・対本田技研戦(長良川競技場)にスタメンで出場、後半35分に途中交代した。試合は3−1で勝利。KAZUは、1ゴール・2アシストとすべての得点に絡んだ。


1998.12.19

KAZUが19日、交渉中だったクロアチア・ザグレブと条件面でほぼ合意に達し、20日も仮契約を交わすことになった。20日にも、クロアチア・ザグレブから代理人の元に英文の仮契約書が届く。
この契約は、一般的には入団を約束するものだが、今回は「クロアチア・ザグレブと優先的に交渉をおこなう」ことを約束するものだという。この先、他チームからオファーが来たり、あるいはザグレブとの交渉が妥結しなかった場合、条件次第では他チームに行く可能性がある。事実、メキシコなど他の海外チームからもオファーが来ているため、はっきりと決断を下したわけではない。ザグレブ以外にもフロント陣と直接交渉に入っているチームがいくつかある。
しかし、すでに9日にクロアチアで幹部から条件提示も受けている。さらにチームオーナーのズラトコ・カミューガ氏から「シーズン途中からでもカズに即戦力として活躍してほしい」といったラブコールも直接あったという。現在クロアチア・リーグは年末から2月21日まで中断されているが、移籍期限は1月までとなっているため、年内に外国人選手を含めて戦力を整えたいとの意向で、今回の仮契約の打診となった。届いた仮契約書に目を通しサインした場合は、天皇杯終了後にも再度クロアチアに渡り、本契約の運びとなる可能性が高い。
もちろん、本契約締結までには、まだ様々な交渉が残っている。複数年契約の問題や、他チームからオファーが来た場合の優先交渉権の設定、保有権の配分、現地での住居問題など、決めなければならないこともたくさんある。だが、現時点では、KAZUの気持ちがザグレブへと大きく傾いていることは間違いないだろう。KAZUの兄・三浦泰年も「全員、技術が高くて、本人は相当、刺激を受けたようだ。それにあちらで活躍するブラジル人たちが”KAZUが来てるぞ”と言って、みんなKAZUのいことを知っていたのに気をよくしたようだ。本人が決めたんだから、いいことなんじゃないの。KAZUは語学も性格も海外に順応しやすいタイプだから、頑張ってもらいた」と語った。


1998.12.19

この天皇杯後に、クロアチア・ザグレブ(クロアチア)と仮契約する予定のKAZUは、20日の天皇杯4回戦(対本田技研)で今大会初先発する見込み。
19日のランドでの練習後、この大会がヴェルディでの最後の舞台となるだけに、今年の天皇杯は「絶対に欲しいタイトル」と気合が入っている。13日の3回戦(対大分)では、後半からの出場でゴールこそなかったものの、体の切れは戻ってきている。チームは慢性的な得点力不足に悩まされているだけに、KAZUのゴールが、チームを波に乗せる起爆剤になる。


1998.12.19

19日、KAZUは、、移籍の打診があったクロアチアのクロアチア・ザグレブと近く仮契約する意向を明らかにした。2、3日中に仮契約書にサインし、天皇杯終了後に現地に渡り、契約期間など具体的な条件の交渉を行う予定。
すでにザグレブから条件を伝えられており、契約書の内容を検討して最終的に決めたいという。
KAZUは、クロアチア以外にもFCチューリヒ(スイス)など、欧州や中南米のチームから移籍の打診を受けていた。7日から11日には直接欧州に渡りザグレブとチューリヒの試合を観戦し、「世界のサッカーに触れられるチーム」と、ザグレブに好印象を受けて帰国した。


1998.12.19

19日、午前中の練習は、恒例のフットバレーを中心に、軽いトレーニングで汗を流し、約1時間の練習を終え移動した。
KAZUは、ヤス・北澤・柱谷と同チームで、なごやかに、かつ、精力的にプレー、終始笑顔で参加した。

(読売ランドにて)


1998.12.18

ヨーロッパ視察から帰国してちょうど1週間。
20日に行われる天皇杯4回戦(対本田技研)に向けての練習後、ヨーロッパへの移籍に触れ、近々、契約書が届くことを口にし、3度目の海外移籍先決定が近いことを示唆した。
現時点では年俸、起用方法など詳細についての契約書類に目を通していないことからクラブ名を挙げることは避けたが、11日に帰国した際、ヨーロッパまで足を運び、スイス1部リーグのFCチューリヒとクロアチア・リーグの名門クロアチア・ザグレブからオファーが来ていることを認めているだけに、そのうちの1チームを最終的に選択したことが見て取れる。
強行日程で視察したヨーロッパではFCチューリヒのコンテ監督から直接、左ウイングとして起用したい意向を伝えられた。クロアチア・ザグレブのズラトコ・カミューガ会長からは「“来てほしい”とチームを挙げてお願いされた」(代理人)という。
この日(18日)の紅白戦では先発組でプレーし、普段通りFWとして前線に張り、時には大きな声を出し、精力的なプレーぶりを見せた。19日にも“意中のチーム”から正式な契約書が届く予定だという。
今後は条件面を詰めていくことになるが、別の海外の1クラブからも今週末にオファーが届くことになっており、正式決断には至っていない。新オファーが届いた時点で条件、環境面などを照らし合わせ、週明けにも移籍先を決めることになるが、クロアチア・ザグレブのKAZU獲得への熱心さは3チームの中で最も強いとされる。なお、ヴェルディの坂田社長は「カズの意志を尊重してやりたい」と移籍先を本人に任せる意向を示している。

FCチューリヒ

1896年創立の名門で、リーグ優勝9回。今季はリーグ戦で3位につけており、UEFA杯でも3回戦に進出。8日にローマと対戦し、準々決勝進出はならなかった。主力は世界選抜入りしたショルンム(ナイジェリア)W杯フランス大会に出場したイエキニ(ナイジェリア)ら。

クロアチア・ザグレブ

1945年創立。旧ユーゴスラビア時代からの名門で、旧名はディナモ・ザグレブ。W杯フランス大会にもプロシネツキ、マリッチら5人を送り込んだ。96年からリーグ3連覇中。旧ユーゴ時代を含めるとリーグ優勝8回、カップ戦優勝12回を誇る。今季も15試合終了した現時点で首位。9日には欧州チャンピオンズリーグに出場している。


1998.12.18

3回戦の市原に続き、明日(20日)、天皇杯・4回戦でJリーグのヴェルディ撃破を目指す本田技研は、KAZUのマーク役に静岡学園高の後輩DF向島を指名。「サイドに流れる動きを注意したい。対戦が楽しみです」と強い意欲を示した。


1998.12.17

ヨーロッパなどへの移籍が決定的なKAZUは、17日、自らの去就について、じっくりと検討することを再度口にした。オファーの数については明言を避けたが、スイス・クロアチア・スペイン・アメリカ・メキシコ・ブラジル・スコットランドからオファーが来ている模様で、移籍先の決定については年明けまでずれ込む可能性もありそう。


1998.12.17

移籍先が注目されるKAZUは、東京・よみうりランドで紅白戦などに精力的に汗を流した。先週はFCチューリヒ、クロアチア・ザグレブとオファーのあったチームを訪れたが、年内はスケジュール的な問題で、メキシコやアメリカのチームとの現地での接触は断念した。
しかし、オファーの数は明かさなかったものの、これまで通りじっくり検討することを強調していた。


1998.12.16

16日、午前中の練習は中止。午後の練習は2時から始まった。午後の練習は、ランニング&ストレッチ。ボールを使ってのウォーミングアップの後、攻撃・守備に分かれてのコンビネーション練習に時間をさいた。最後は、ミドルシュート練習をおこない、約2時間にわたる練習を終了した。
KAZUは、終始声を出し精力的にプレー。コンビネーション練習では、鋭いセンタリングやパスを供給、また、GKをかわしてキレのいいシュートを披露した。

(読売ランドにて)


1998.12.13

天皇杯3回戦・対大分F・C戦(等々力)に後半から出場。シュートは0。
スタンドでは、母・由子さん、妻りさ子さん、長男・良太くんも観戦。りさ子夫人は「試合に来るのは久しぶり。(プレーは)よかったですね」と顔をほころばせた。
川勝監督は「時差ボケ? あいつはそういうのは慣れているから。状態は上がっている」と語った。


1998.12.13

ヨーロッパへの移籍が取りざたされているKAZUは、13日、天皇杯・対トリニティ大分戦で、後半から登場。高木琢とのコンビで惜しい場面を演出し、スタンドを沸かせたものの、シュートは打てなかった。
等々力での試合はこれが今季最後。KAZUにとっても恐らくホームでの最後の雄姿となったが、この日は移籍のことには触れずにサポーターに手を振って笑顔で競技場を後にした。


1998.12.13

ヴェルディの坂田社長は13日、海外への移籍を希望しているKAZUについて、
「残ってほしいという思いは大変強いが、KAZUの気持ちは尊重する」と話し、移籍を容認する意向を明らかにした。
また同社長は「クラブには(獲得のための)正式なオファーはまだ来ていない」と語ったが、代理人レベルでの交渉は着々と進んでいるとみられる。


1998.12.12

ヨーロッパへの移籍が決定的なKAZUがホーム・等々力での公式最終戦、天皇杯3回戦、対トリニティ大分先でスタメンから外れることになった。
12日、ランドでおこなわれたセットプレーの練習で、KAZUは控え組に入って調整。ヨーロッパから11日帰国したばかりで、長距離移動による時差ボケを考慮したもの。1年前、12月14日の天皇杯・対福岡戦で前半3分に相手DFと接触し、倒れたときに左ヒジの間接を脱臼。ギブスをつけながらリハビリを続け、約2ヶ月間も実戦でプレーできなかった経緯があるだけに慎重に対応。
川勝監督は「4日もチームを離れていたし、チームの和もある。押していながら点が取れなければ、流れを見てすぐに使うつもり」と途中投入の構え。
KAZUは、20日の天皇杯4回戦(長良川)からはフル出場し、天皇杯Vを置き土産にして、ヨーロッパ移籍することを誓った。
一方、12日のランドでの練習には、KAZUを見ようと多くのファンが詰めかけ、練習後はサインを求める長い列ができた。サポーターの中には、ヨーロッパまで追いかける準備を始めた人もいるという。


1998.12.12

13日の天皇杯3回戦(ヴェルディにとっては初戦)、大分トリニティ戦(等々力)に、KAZUは途中出場になる。
ヨーロッパ視察から11日に帰国したばかりで、12日の練習では、2トップにはフェルナンドと高木琢也が入り、カズは控え組で調整した。 体調はベストとはいえないが、「押していながら点が取れなければ、すぐに使うつもり」と川勝良一監督。
昨年12月14日の天皇杯初戦(アビスパ福岡戦)では開始直後に左ひじを脱きゅうして途中退場。「よく覚えてるよ」二度とそんな思いはしたくない。
来季は海外移籍が決定的。これが等々力競技場での最後の試合となる。96年天皇杯以来、ヴェルディにとって2年ぶりのタイトルを置き土産とするつもりだ。


1998.12.12

12日、午前中の練習は、恒例のフットバレーをおこない、なごやかな雰囲気で終始した。
後半は、CKからセットプレー時のポジショニング練習、PKおよびFK練習をおこない、約1時間30分、軽く汗を流した。

(読売ランドにて)


1998.12.11

11日、ヨーロッパから午前中に帰国したばかりのKAZUは、午後、ヴェルディの練習に合流、紅白戦をおこなった。
前半30分はFW藪田と2トップを組み、控え組でプレーしたが、スイスからの長距離移動を感じさせない動きを披露した。
後半30分は、先発組に入り、FW高木と組み、CKから土屋のゴールをアシストした。
練習後は、兄・三浦泰に、スイスで勝ったアップシューズをプレゼント。
川勝監督は「KAZUの動きはよかった。明日は時差ボケの影響が出るだろうから、状態を見て天皇杯に先発させるかを決める」と語った。


1998.12.11

11日午前、KAZUはオファーのあったFCチューリヒ(スイス)とクロアチア・ザグレブ(クロアチア)の視察を終え帰国。
「いい感触を得た。来季は海外移籍を優先的に考えたい。ヴェルディに残る可能性は少ないと思う」と述べ、Jリーグを去る意向を口にした。
また、この日、中南米のクラブに続いて、スペインのチームからもオファーが来たことを明らかにした。スイス、クロアチアは外国選手の登録が1月中旬のため、新たにオファーがあったヨーロッパのチームも含め、年明け早々にも決断。
条件面で折り合いがつかなければ、2月まで登録可能な、中南米・北米へ来季の戦いの場を求める。近い関係者は「アメリカ、メキシコ、ブラジルからも話は来ている。KAZUも自分で(来週にも)見に行くと言っているが、アメリカ、メキシコについては、あちらから人が来るかもしれない」と語った。


1998.12.11

11日、ヨーロッパより帰国し、ヴェルディの午後練習に参加したKAZUは、天皇杯終了後、海外のチームに移籍する希望を表明し、事実上ヴェルディ退団の意思を表明した。
KAZUは、練習後、FCチューリヒ(スイス)とクロアチア・ザグレブ(クロアチア)と、具体的に移籍話を進めていることを明らかにした。
ただ、スペインや中南米のチームからも打診を受けていることから、「まだ決めたわけではない」と、他チームも視野に入れて移籍先を模索し、1月中旬まで時間をかけて、広い範囲から移籍先を選ぶ予定。条件面については、今後、代理人を通して詰めることになる。
KAZUは7日から11日まで、FCチューリヒと、クロアチア・ザグレブの2チームの試合を観戦。両チームの関係者と話し合った。
チューリヒのコンテ監督からは、「左のウイングのようなポジションで使いたい」など、具体的な起用法にまで話が及んだという。また、ザグレブのカミューガ会長の対応にも好感触を得た様子で、今後交渉を本格化していく予定。今季、チューリヒはUEFA杯に、ザグレブは欧州チャンピオンズリーグに出場した強豪チーム。
KAZUは83―90年にブラジル、94―95年にはイタリア・1部リーグ(セリエA)でプレーしており、3度目の海外チームとなる。


1998.12.11

KAZUが、移籍の話し合いのために向かったヨーロッパから11日午前に帰国し、成田空港に到着した。
今回の渡欧では2チームと接触したことを明らかにし、海外移籍も含め、来年1月中旬までに去就の結論を出す考えを示した。


1998.12.10

移籍のオファーを受けている複数チームを視察するため、ヨーロッパに渡っているKAZUは、スイスでの試合観戦翌日となった9日、クロアチアのザグレブ関係者と接触していると関係者が語った。
ザグレブは、クロアチアの名門で、現在国内リーグ3連覇中の強豪。欧州チャンピオンズリーグにも出場し、9日にオリンピアコス(ギリシャ)と引き分け、グループ2位に終わったものの、ヨーロッパでは名の知れたクラブ。
ザグレブとの交渉は順調に進んでいるらしい。
関係者によるとアメリカ、メキシコ、ブラジル、フランスからもオファーがあり、天皇杯初戦の13日から2戦目となる20日までの間にも今度は“メキシコ、アメリカに行く予定もあるという。
また、別の関係者はスペインからの誘いも示唆している。
KAZUは、今日11日午前中に、ヨーロッパから帰国し、ヴェルディの練習に合流する予定。今月中には結論を出すつもりでいる。

一方、日本では、ヴェルディの坂田社長とKAZUの父・宣雄さんが、代理人とともに東京・稲城市のクラブハウスで話し合いをおこなった。
KAZUの移籍の意思が明らかになってから初めてのことだが、坂田社長は「カズのことではなく、それとは別に話すことがあった」と関連を全面否定。話し合いの内容についてはノーコメントだった。
同内容の概要は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」にも掲載しました。


1998.12.09

移籍のオファーを受けているチームを視察するため渡欧したしたKAZUが、8日(現地時間)、スイス・チューリヒで行われたUEFAカップ・FCチューリヒvsローマ戦のスタジアムに、黒ずくめの服、ハンチング帽にメガネ姿で姿を現し、試合をじっくりと観戦した。
同内容は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」にも掲載しました。


1998.12.08

KAZUの渡欧から一夜明けた8日、ヴェルディイレブンは驚きを隠せなかった。坂田社長は「何も連絡はない…」と帰国後の報告を待っているだけ。柱谷も「練習に来ないから具合でも悪いかと思った」とビックリだ。実兄の三浦泰だけが「飛行機の中から電話があったよ」と言うだけであとは口を閉ざした。
また、親しい関係者によると「まだ特定のチームに決めたわけではない」とのこと。


1998.12.07

KAZUが7日、フランスに向けて旅立った。
これまでに、フランス、スペイン、スイスのヨーロッパ3カ国およびメキシコの複数のチームからオファー(獲得意思表示)が来ている。
金銭的な条件はそれほど変わらない模様で、KAZUにとってはチームがどれだけ自分を必要としているのか、を見極めるのが一番の目的になる。チームでどういったポジションになるのか、練習する環境は整っているかなど、細かい点を自分の目で見、耳で聞いて確かめるために、足を運ぶことにした。
関係者の話によると、イタリアやブラジルからもオファーがあるが、すでにその2カ国ではプレー経験があり、本人はそれほど興味を示していないという。
そこで、まだ日本人がプレーしたことのないヨーロッパ3カ国が候補となったようだ。また、メキシコのチーム関係者とも、現地で交渉するともうわさされている。
13日には天皇杯初戦(対JFL大分戦)を控えており、この時期にチームを離れるのは常識的にはあり得ないが、川崎・坂田社長は「いくつかのクラブからオファーが来ているが、ここまでの貢献度を考慮してのことです」と異例の一時チーム離脱を認めた。
帰国は10日とも11日とも伝えられているが、現地での交渉の進展次第では、天皇杯終了後にも川崎と当該チーム間での話し合いに入る見込み。
なお、13日の天皇杯初戦には出場の予定。
同内容の概要は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」にも掲載しました。


1998.12.07

7日、KAZUは移籍の打診を受けているチームとの話し合いのため、ヨーロッパに出発した。
KAZUはヴェルディに残留するか、他チームに移籍するかの決断について、「天皇杯が終了してから」と明言を避けているが、
ヨーロッパや中南米などの5チーム以上から移籍の打診を受けている。
今回の渡欧では条件面などについて複数のチームから話を聞くと見られる。
13日の天皇杯初戦(3回戦の大分戦、等々力)には出場する予定。


1998.12.05

栃木県総合運動公園陸上競技場で5日おこなわれた日産栃木工場30周年記念マッチ、対横浜マリノス戦において、KAZUは後半2ゴールを決め、仕上がりのよさを見せた。
来季のことは「考え中」と明言を避けたが、まずは13日からの天皇杯で復調をアピールするつもりだ。詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。


1998.12.05

「日産栃木工場30周年記念」のエキジビションマッチとして、栃木県総合運動公園陸上競技場でおこなわれた横浜マリノスvsヴェルディ川崎戦は、0−3でヴェルディが勝利をおさめた。
得点は、後半3分KAZUの左足、後半15分フェルナンドの左足、後半38分KAZUの右足でのもの。
冷たい雨の中での試合ではあったが、KAZUの体のキレは抜群で、右足首の不安も感じさせなかった。

(現地にて)


1998.12.02

12月2日、ランドでおこなわれた佐川急便との40分ハーフの練習試合で、KAZUは前半のみ出場。前半6分には相手DF陣を抜き去り、左足で右ゴールネットを揺らし、復活をアピールした。詳細は、「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。
なお、来季契約については、この日も進展はなかった。


1998.12.01

KAZUは、国立競技場でおこなわれたTOYOTA CUP(サッカークラブ世界一決定戦)レアル・マドリード VSバスコ・ダ・ガマ戦を観戦した。


1998.11.30

去就が注目されるKAZUは、30日、来季契約の条件提示を受けたものの、多くを語らず、足早にクラブハウスを後にした。
ヴェルディの坂田社長はKAZUの功績を考慮し、本人の意思を尊重、来年1月末の契約期限ギリギリまで結論を先送りする考え。


1998.11.30

ヴェルディ川崎は30日、所属選手に対して、来季契約の有無および年俸提示をおこなった。去就が注目されるKAZUはクラブ側から来季契約の条件提示を受け、今季の契約が切れる来年1月末までには態度を決定すると語った。
坂田信久社長は「今はクラブの経営が優先。トレードや移籍も進める。契約の意思を示した選手でも、移籍の可能性がある」と話した。また、KAZUとの契約交渉については「彼の気持ちに整理がついた段階で話し合いたい」と語った。
詳細は、
「フリートーク」「ウワサの話!?ホントの話!?」をアクセスください。      

 

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