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KAZU
INFORMATION


(1998.6.27〜8.9)

このページでは、MIEBOOが見かけた新聞やホームページなどからKAZUに関するものをまとめてみました。
内容の真偽には責任を負いかねますので、ご了承くださいね。
なお、先頭の日付は情報を仕入れた日付です。

1998.8.9 雑誌情報   

8月11日(火)発売「ストライカー」9月号(学研)巻頭インタビュー

1998.8.8 ホームページ情報  

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の「WEEKLY KAZU」に、8月5日おこなわれたヴェルディ対レッズの試合状況とKAZUのコメントが掲載されています。是非アクセスの上、ご一読ください。

http://www.kazu-miura.com/lock/980805.html

1998.8.4 ホームページ情報  

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の「WEEKLY KAZU」に、8月1日おこなわれたヴェルディ対マリノスの試合状況とKAZUのコメントが掲載されています。是非アクセスの上、ご一読ください。

http://www.kazu-miura.com/lock/980801.html

1998.8.3 本情報  

8月5日、一志治夫著『たったひとりのワールドカップ 三浦知良、1700日の闘い』(幻冬舎文庫)が発売されます。詳細は、KAZUオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「SHOP ”THE KAZU”」に掲載されています。是非アクセスください。

http://www.kazu-miura.com/shop/index.html

1998.8.1 ホームページ情報  

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の「WEEKLY KAZU」に、7月29日おこなわれたヴェルディ対ガンバの試合状況とKAZUのコメントが掲載されています。是非アクセスの上、ご一読ください。

http://www.kazu-miura.com/lock/980729.html

1998.7.31 ホームページ&写真情報  

毎日新聞社が貴重なニュース写真を、無料で一般公開するサービス「毎日フォトバンク」をスタートさせました。98年1月からの写真しかありませんが、「三浦知」で検索すると、KAZUの写真が一挙に見れます。是非アクセスの上、お試しください。

http://photobank.mainichi.co.jp/

1998.7.30 新聞より   

1998.7.23付けのスポーツニッポンに、『「号令戦法」だった日本』と題した二宮清純氏のコラムが掲載されました。いろいろと異論はあるかもしれませんが、W杯における日本代表の戦い方に対する1つの見方だとも思います。FW陣を意識した表現もありましたので、一部要約して抜粋します。

フランスW杯での岡田ジャパンの「善戦」は、組織力によってもたらされ、同時に、組織にすべてをゆだねることによってすべてを失った――。
岡田監督は優秀な戦術家ではあったが、大局をふかんできる戦略家ではなかった。

そのような内容の原稿を当コラムに書いたところ、
意外なところから、意外な反応が返ってきた。
それこそ戦略、戦術研究の専門家である自衛隊の幹部候補生である。

「二宮さんは、岡田監督のやり方を“結果(ゴール)よりも手続き(システムや戦術)を大切にする思想”と位置付けていますが、
つまり組織に硬直性が見られたということでしょうか?」

「そこまでは言いませんが、とりわけストライカーに対し創造力や想像力を発揮させることよりも約束事を押しつけることに熱心だったのは事実でしょう。
これは岡田監督の問題というより、日本サッカー、いや日本社会全体の問題。
選手に判断は求めても決断は求めない。
つまり、指導者は選手を駒としか見ていない。
いくら組織が充実していても、最後の局面を打開するのは個人の力。
これが“善戦すれど勝利せず”になって表れたのだと思います」

そう述べると、ひとりの幹部候補生が話し始めた。

「それは軍隊についても同じことが言えます。
軍隊には大きく分けて三つの戦法があります。
レベルの低い順から、指揮官が1から10まですべてを指示する「号令戦法」。
これは、隊員個々の自由度はゼロに近い。

次のレベルは、たとえば“何日までに勝利せよ”といった具合にいくつかの条件はつけますが、ある程度、戦い方はその部隊に任せる「命令戦法」。

そして、かなりレベルの高い戦い方法「訓令戦法」です。この「訓令戦法」は、“勝てばいい。戦い方についてはすべて任す”これだけ言っておけばいいのです。

ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた時、ナ軍が号令戦法であるのに対し、
相手は命令戦法でした。
結局、レベルの高い戦法をこなせる部隊が勝利できるのです」

さて「岡田ジャパンの戦法は?」
「ウ〜ン、号令戦法と言わざるを得ませんね。」

1998.7.30 壁紙情報  

もうすでにご存じの方が大勢いらっしゃると思いますが、「UKI*UKI HOME PAGE」にKAZU関連の壁紙がいくつか紹介されています。是非アクセスの上、気に入ったものがあれば、お使いください。

<トップページ>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ukiuki/

<KING KAZUを称える壁紙 >
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ukiuki/soccer/japan/kazu/index.html

<JAPAN’97>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ukiuki/soccer/japan/97/kazu.html

1998.7.29 ホームページ情報  

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の「WEEKLY KAZU」に、7月25日おこなわれたヴェルディ対レイソルの試合状況とKAZUのコメントが掲載されています。是非アクセスの上、ご一読ください。

http://www.kazu-miura.com/lock/980725.html

1998.7.29 ホームページ情報  

ひろこさんのホームページ「GO GO VERDY」に1998.7.25、雨の等々力でおこなわれた「ヴェルディ対レイソル」での写真がアップされています。是非アクセスの上、ご覧ください。

http://www.geocities.co.jp/Colosseum/8382/Photo-2.html

1998.7.23 ホームページ情報  

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の[PRIVATE ROOM」に、これまたご存じ一志治夫氏のレポート(コラム)『ふたたび、明日へ』(全2回)の第2回が掲載されています。
1998.7.15にアップされた第1回の続きです。第1回の内容とともに、是非アクセスの上、ご一読ください。

<第2回> http://www.kazu-miura.com/lock/private.html

<第1回> http://www.kazu-miura.com/lock/pv980723.html

1998.7.23 ホームページ情報  

ひろこさんのホームページ「GO GO VERDY」に1998.7.22、雨の等々力でおこなわれた「ヴェルディを励ます会」の写真がアップされています。是非アクセスの上、ご覧ください。

http://www.geocities.co.jp/Colosseum/8382/Photo-1.html

1998.7.23 ホームページ情報  

ひろこさんのホームページ「GO GO VERDY」に1998.7.20、ランドで練習をするKAZUの写真がアップされています。是非アクセスの上、ご覧ください。

http://www.geocities.co.jp/Colosseum/8382/kingu-kazu-1.html

1998.7.16 KAZUグッズ情報 

新宿アドホックビルの6Fにあるスポーツ用品店「GALLERY SPORTS」で、下記のKAZUグッズが展示されているそうです。
「触らないでください。」と表示されていますが、触れる位置においてあるそうです。
う〜ん、触ると元気が出そうなので、思わずスリスリしたくなっちゃいますよねぇ。
是非お立ち寄りください。
※本情報は、「でるぴえーろさん」より教えていただきました。ありがとうございます。

●KAZUの使用したジェノア時代のスパイク
●ウズベキスタン戦で得点をあげた時のスパイク
●世界選抜vsブラジル五輪代表戦で使用したゴールドのスパイク

1998.7.15 ホームページ情報 

ご存じKAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内、「LOCKER ROOM」の[PRIVATE ROOM」に、これまたご存じ一志治夫氏のレポート(コラム)『ふたたび、明日へ』(全2回)の第1回が掲載されています。
長年KAZUをフューチャーしている一志氏の手によるコラムは特筆ものです。是非アクセスの上、ご一読ください。

http://www.kazu-miura.com/lock/pv980723.html

1998.7.12 ホームページより  

ヴェルディファンでKAZUファンのご夫婦、「やすゆきんぐさん」と「ちかりんさん」のホームページ「Vamo la Verdy!」内で、フランス・リヨンで見かけた、「KAZUの魂」を背負ったサポーター写真が特集されています。是非アクセスの上、ご覧ください。

http://www.mars.dti.ne.jp/~yasuyuki/verdy/lyon/index.html

 

1998.7.12 ホームページ&雑誌より  

ご存じ「週刊サッカーダイジェスト」内の荒井義行氏のコラム「平成意見箱」において『岡田監督の辞任でカタがつく問題か<ないものねだりの決定力、シュート力>』と題して、フランスW杯での日本代表について、改めて検証しています。KAZUおよびFW陣についても触れていますので、一部抜粋します。是非アクセスの上ご一読ください。

ゴールを奪えない城、中山の2トップ。
誰の目にも「決定力不足」が日本の敗因と映ったろう。
城をFWの柱とした理由として、岡田監督は「ボールがとまる。シュートが打てる。総合的な能力をみて柱とした」と説明した。
これは”ドングリの背比べ”と岡田監督が評した日本のFW陣の中から、2人を選んだ根拠にはなっていない。

私はいまでも、カズと呂比須の2トップがベストと考えている。

決定的なチャンスをゴールに結びつける確率は、城よりカズが3倍以上高いことは、過去のゲームが証明している。
ボール・コントロールの柔らかさでも、城、中山よりカズ、呂比須の方が上だ。呂比須は強さもある。
ただ、がむしゃらに勢いを感じさせる選手が岡田監督の好みということか。

いまや日本の指令塔といわれる中田との相性を考えて城、中山を選んだのか。ジャマイカ戦の後半、城に代わって呂比須を投入し、中田のボールが集まらなくなってから、日本の攻撃にリズムが出てきた。

たしかに”ドングリの背比べ”であって、抜き出たFWは見当たらない。
カズ、呂比須の2トップでも点は取れなかったかもしれない。
しかし、城、中山で取れなければ、カズ、呂比須の組み合わせで試すことができるチーム編成を考えるべきだった。

予選のときにはFW6人で編成して、岡田監督は2トップの組み合わせに迷っている、と批判されたことがあったが、迷っても仕方がないFWの人材だ。
まったく使われなかった中盤の選手を何人も連れてきたのだから、もっとも人材不足のFWにこそ、その枠を割くべきだったろう。

http://aulos3.mainichi.co.jp/worldcup/arai/9807-12/0722-2.html

1998.7.11 雑誌より   

1998.7.8発売の「SAPIO 7/22号」内、小林よしのり氏の「新・ゴーマニズム宣言」で、『三浦カズなら勝っていた理由』と題して98フランスW杯での日本の戦いぶりについて語っています。8ページにわたる漫画なのですが、セリフおよびコメントの部分を一部抜粋します。是非ご一読ください。

…日本国民には切実さがない。
…今さらつきなみなグチだが、こんなお坊ちゃん出すくらいなら、やっぱりカズの方が絶対よかった。
もっと言うならカズなら勝っていた!
…わしも決して同情で言ってるんではなく、カズなら勝てたと思う。…。
そもそも岡田監督ならびに日本のサッカー通は合理的に考えれば、日本が今回のW杯で決勝戦に進めるなどと思っていたのだろうか?
ディズニーランドで遊んでいたジャマイカにすら勝てなかったのは、合理的な理由だけか?
…1点の壁が高ければ高いほど、勝つ手がたった1つあるのだ。
それは選手が個人を越えることだ!
今回のアルゼンチン戦、クロアチア戦を見ると…「自分のために」しか戦っていない
…岡田監督はなぜ「自分のために」しか戦わぬ者に勝敗を賭けてしまったのか?
…自分以外の何かのために戦える男がいる。
個人を越えることのできる男がいる。
三浦知良がその男ではないか!
…今まで自分を支えてくれた人たちのため、自分を夢見る後輩たちやファンのため、自分をスターにしてくれた愛するサッカーという球技のため、日本のため、国のために、彼なら個人を越えた力を発揮したはずではないか!

…ジャマイカ戦を見たがあきれた。
これは「世界の壁」だなんて問題と違うのでは?
あれは「自分の壁」にぶち当たってるだけじゃないか!

…文芸評論家の○○氏が「朝日新聞」で「ラモスの根性論を醜い」などと評論している。
○○氏が言うような「根性」も「愛国心」もない「非国民」なチームになれば勝てるのか?
どこの国のチームがそれだ?
負けながらニタニタしてたチームはどこだ?

…W杯で勝つとは「自分のための闘い」を「個人を越えた闘い」にまで昇華することに他ならない。

1998.7.11 雑誌より   

1998.7.9発売の「週刊新潮 7.16」グラビア欄に、1998.7.4に新潟でおこなわれたヴェルディvsアルヴィレックス新潟との練習マッチで、試合に出場しなかったもののファンに手を挙げて声援に応えるKAZUの写真が掲載されています。
カラーではありませんが、数ある写真の中では一番アップで撮れているものだと思います。是非ご覧ください。

1998.7.11 新聞より   

1998.7.9付けの「朝日新聞」スポーツ欄の「こうすれば?どうすれば?日本代表」といったコラムに、「2度だめなら思い切った戦術を」と題して騎手・武豊さんの話が掲載されています。KAZUのことにも触れていますので、一部抜粋します。

初出場にしては、健闘したと思います。
ただ、最後のジャマイカ戦は理解できなかった。
それまでの2試合と同じ先発メンバー、同じ戦術で戦っていた。
…僕なら、トライする。
同じ馬に乗り、先行して2戦とも結果が出なかったら、3度目は後方から進む。…。
競馬はサッカーと違い、引き分けがない。
勝つために工夫しようという意識は、だからよけいに強いかもしれません。

カズさんも代表に残してほしかった。
W杯ともなれば、勝敗は実力とか技術だけで決まらない部分がある。
カズさんの情熱が、代表にプラスアルファを与えたと思うんです。

1998.7.8 雑誌情報  

7月10日(金)発売「月刊文藝春秋」8月号 ロングインタビュー

1998.7.3 テレビ情報  

7月4日(土) 23時45分 ON AIR!「スポーツうるぐす」 NTV (日本テレビ)インタビュー

1998.7.3 雑誌より  

「週刊女性 7/14号」内に「ゴンが初得点!そのときカズは…」と題した記事が掲載されています。一部抜粋しますので、是非ご一読ください。

記念すべき初ゴールはゴン!その時、カズは都内の自宅で家族とテレビ観戦。…。
午後2時半、自宅前に姿を現したカズは、半袖のシャツに最近トレードマークにもなったハンチングといういでたち。…。

午後4時半ごろには、りさ子夫人が車で出かけ、6時過ぎには両手に抱えきれないほどの紙袋を提げて帰ってきた。ほどなく、ごく内輪の友人を招いたホームパーティーが。

そして試合が始まると、外に聞こえる室内の様子は賑やか。城の、呂比須のチャンスに大きな声援が聞こえてきた。そしてゴール…。…。

家族という最高のサポーターとともに、カズは次のW杯に向けて走り出す。

1998.7.3 雑誌より  

「週刊新潮 '98.7.9」内の釜本邦茂氏による「岡田ジャパンよ子供のサッカーでは勝てない」と題したコラムで、今回の代表における問題点を指摘しています。KAZUの名前を出して語っているわけではないですが、KAZUを想定している部分も感じられるものです。一部抜粋しますので、是非ご一読ください。

選手個人をどうこう言うのは好きではないんだけど、最初から僕は、城・中山の2人のトップで点を取れるのか、非常に疑問に感じていた。…。

なぜかと言えば、あのメンバー1人1人では、対戦相手を崩せないからです。残念ながら今の日本代表は1人で局面を打開できる選手がいない。…。
中央に上げるボールの精度は決して高くなかったし、何より誰に点を取らせるのか、といったチームとしての意思統一がない。…。

もう少し前線でキープできる選手を使うべきでした。何も足の速い選手を出す必要はない。…。なぜ呂比須を早く使わないのかと思いますよ。それは遡れば三浦カズがおったらどうなんや、という話にもつながっていきますが。…。

やはりもっとベテランを入れるか、1人でも局面を打開しようとする選手が必要だったと思います。…。

一体何のためにフォワードをやってるんやという話になる。自分の責任を果たさないことの方が問題なのに、選手たちがそれを自覚しているのかどうか、僕に言わせれば疑問ですよ。…。

1998.7.1 雑誌より  

1998.6.30発売の「速報’98W杯」(報知新聞社)内に「カズ、キミは永遠のキングだ!」と題した佐々とも子史のコラムが掲載されています。一部抜粋しますので、是非ご一読ください。

日本サッカー界をけん引して来たエースのプライドがみなぎっていた。
「メンバを外れたことは自分自身、選手として納得してはいけないことだと思うし、挫折感を持たないようにしている」カズはキッと前を見据えて、はっきりとした口調で言い切った。…。

日本人でそれまで誰も経験したことのない苦難を越えて来た者だからこそ、動揺の揺れを抑えることが出来たのかもしれない。…。

「世間を見返してやりたい」カズの魂をここまで燃えたぎらせて来たのは、この気持ちが出発点だった。…。

「…空港で飛行機に乗り込む前に振り返ったら、母さんと親戚たちが心配そうな顔で手を振っていたんだ。もう1回振り返ったらもう、前へは進めない気がして、必死に前を向いて歩いたんだよ。…。」

「今に見てろよ」心の中で何度も叫んだ反骨精神がカズを支えていた。…。

日本が半世紀近く追い求めてきたW杯の、厚く重いトビラを開けたのは、スーパースター・カズの存在にほかならない。
サッカーを続けて行く限り、その行く末には日の丸を背負い、W杯のピッチに立つこと。この大きな目標を追いかけ続ける。…。
夢への挑戦は、だからまだまだ終わったわけではない。

あの15の冬の日、2度と振り返らなかった光景を頭の中に焼き付けているのだから…。

カズのサッカーへの挑戦に終わりはない。

1998.7.1 雑誌より  

1998.6.30発売の「週刊大衆 7/13」に「岡田監督破れてカズ甦る!」と題した記事が掲載されています。ちょっと皮肉っぽい内容ではありますが、KAZUを取り巻く状況を、ある側面からとらえているところもあります。一部抜粋しますので、ちょっと立ち読みしにくいですが、よければ読んでみてください。

…「…仮にカズが出場していたら、間違いなく違うゲーム展開になっていただろうし、もっとスリリングな試合になっていたと思いますねぇ」と残念がるのは、現地で実況中継をしていたFM埼玉サッカー解説の大野勢太郎さん。…。
「カズは、岡田監督のことをボロクソにいってやりゃよかったんですよ。そうすれば国民にとっても、いいガス抜きになったでしょうね」と、ラジオで唸ったのはテリー伊藤氏。…。
こうしたカズの潔さが、彼の人気を復活させているという。…。
話はCMにとどまらず、本業のサッカーのほうでもカズ人気は復活。…。
現在、31歳のカズ。2002年には35歳になる。
しかし、…前評判の低かったオジさん軍団のドイツも、フタを開けてみれば、なかなかの活躍ぶり。
これからのカズのサッカー人生だって、まだまだ期待は持てる。

1998.6.29 雑誌より  

1998.6.29発売の「週刊現代 7/11」に、「新居で直撃!カズが家庭に戻った日」と題して、KAZUが家族3人で水入らずでいる写真が掲載されています。記事の一部を抜粋しますので、是非ご一読ください。

…6月20日、日本VSクロアチア戦当日の午前9時半すぎ、以前住んでいた東京・世田谷区ではなく、港区の新居を出たカズは、愛車の小さな赤いフィアットを運転し、表参道の美容室へと向かった。
午前10時20分頃には、長男(9ヶ月)を伴ったりさ子夫人も自宅近くでタクシーを拾って外出した。行き先は表参道。カズのいる美容室だった。…。

1998.6.27 新聞より   

1998.6.27付けの「サンケイスポーツ」に、ずっとサッカーコラムを連載していた直木賞作家の笹倉明氏が、現地リヨンより、『何のために戦う日本代表』と題し、今回のフランスW杯での思いを、とりあえず語っています。
サブタイトルには「国際オンチと行儀のよい敗北の意味するもの」「日本サッカー 長い道のりが再び始まった」とあり、KAZUについても触れています。一部抜粋しますので、是非ご一読ください。

いま、私はナメルナよ、といった心境でいる。…。
おかしなことは、カズ外しから始まった。
カズだけは何があっても外すべきではないと、連載を通じて主張してきた私は、ただガク然として言葉もない。
チケット取引の件もそうだが、わがジャパンはサッカーW杯がいかなるものか結局、最後まで、監督までもがわかっちゃいなかった。
そのことが戦いを前にしてバクロされてしまっては何をかいわんやであった。

シャンゼリゼ通りで出会ったブラジルのサポーター連から、カズはどうしたと問われ、事情を話すと、うちひとりは目を潤ませる始末。
クロアチアのザクレブはボバン(主将)のバー・レストランで、ミウラはどうしたのかと尋ねる画商に会った。
世界的にみて、たったひとりしか知られてない、その人物を日本代表から外して一体どうするのかね、と私のほうから先に自嘲したものだ。

ただそれだけでも華のない淋しいW杯になったというのに、チケット詐欺が追いうちをかけたのである。

欧州に来てつくづく感じるのは、サッカーに対する注目度がわが国の比ではないことだ。…。
わが国は、そのスポーツ界最大の祭典かつ、戦場をどう考えてきたのか。初出場に浮かれたのはやむを得なかったにしても、いささか世界を甘く見てはいなかったか。…。

おもしろみのない試合運び、没個性的なパスに頼るだけのチームは、まるで現代日本の有さまとそっくりだ。…。

日本代表はいったい何のためにW杯を戦うのか。
クロアチアは民族の誇りと国家の栄誉のためだ。そんなチームに勝てるはずがなかったことをトクと考えてみることも無駄ではあるまい。

初出場の教訓は、日本サッカーの長い道のりが再び始まったこと。それに尽きる。

 

 

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