フランスW杯での岡田ジャパンの「善戦」は、組織力によってもたらされ、同時に、組織にすべてをゆだねることによってすべてを失った――。
岡田監督は優秀な戦術家ではあったが、大局をふかんできる戦略家ではなかった。
そのような内容の原稿を当コラムに書いたところ、
意外なところから、意外な反応が返ってきた。
それこそ戦略、戦術研究の専門家である自衛隊の幹部候補生である。
「二宮さんは、岡田監督のやり方を“結果(ゴール)よりも手続き(システムや戦術)を大切にする思想”と位置付けていますが、
つまり組織に硬直性が見られたということでしょうか?」
「そこまでは言いませんが、とりわけストライカーに対し創造力や想像力を発揮させることよりも約束事を押しつけることに熱心だったのは事実でしょう。
これは岡田監督の問題というより、日本サッカー、いや日本社会全体の問題。
選手に判断は求めても決断は求めない。
つまり、指導者は選手を駒としか見ていない。
いくら組織が充実していても、最後の局面を打開するのは個人の力。
これが“善戦すれど勝利せず”になって表れたのだと思います」
そう述べると、ひとりの幹部候補生が話し始めた。
「それは軍隊についても同じことが言えます。
軍隊には大きく分けて三つの戦法があります。
レベルの低い順から、指揮官が1から10まですべてを指示する「号令戦法」。
これは、隊員個々の自由度はゼロに近い。
次のレベルは、たとえば“何日までに勝利せよ”といった具合にいくつかの条件はつけますが、ある程度、戦い方はその部隊に任せる「命令戦法」。
そして、かなりレベルの高い戦い方法「訓令戦法」です。この「訓令戦法」は、“勝てばいい。戦い方についてはすべて任す”これだけ言っておけばいいのです。
ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた時、ナ軍が号令戦法であるのに対し、
相手は命令戦法でした。
結局、レベルの高い戦法をこなせる部隊が勝利できるのです」
さて「岡田ジャパンの戦法は?」
「ウ〜ン、号令戦法と言わざるを得ませんね。」
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