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スポニチ長期連載『BOA SORTE カズ 31歳の決断』ダイジェスト

クロアチア・ザグレブへ移籍したKAZUを、1月10日からスポーツニッポンが密着取材。
本ページでは、その「ダイジェスト」をまとめてみました。
本編は、是非「スポーツニッポン」でお読みください。

回 

タイトル

日付

対象
(敬称略)

内容概要

38

カズ
町にも愛着…
ここで結果を

2.17

KAZU

1月9日に旅立って40日目。カズがいよいよ新天地で初の公式戦に臨む。「30歳までは体調が80%くらいでも、いい結果を残すことができた。でも、それを過ぎると80%じゃ本来の50%程度しか力を出せなくなってくる。だから決して無理をしないよう心掛けている。今は調子がいい。積み重ねだけど、2002年のこの時期に、この状態を維持できていたらW杯も夢じゃないと思う。野球は巨人が好き。何でも強くて注目を集めるチームや人が好きだね。2番は結果的になることはできるが、1番は狙わなきゃ駄目。それだけ大変だけど、やりがいがある。C・ザグレブはこれから欧州のトップクラブを目指すチームだけど、欧州チャンピオンズリーグに出場の可能性もあるし楽しみ。やっぱり試合に出ることが何より大切。試合を通して覚えることが財産になるからね。まだ自分が頑張る時期だから」プロ13年目、10チーム目。自らのプライドを懸けるとともに、新たな可能性を追求する決断は日本サッカーの発展にもつながっていくはずだ。

37

カズ
取材にも
積極的に応対

2.16

KAZU

ムハマド・アリ。カズが尊敬するボクシング元世界ヘビー級チャンピオンは、担当記者を自宅に招き入れて取材に応じることも珍しくなかったという。自分の思いや経験を伝えることは自己アピールだけでなく、競技の発展や人気及び底辺拡大にもつながる。ファンの期待に応えるためには、もちろんピッチ上で質の高いパフォーマンスを見せるのが大切だが、プロとして自分の気持ちをしっかり表現することも重要だと強く意識するようになった。「プライベートは別として、サッカーに関してはこれからもしゃべり続けなければいけないと思う。今はこっちの新聞もよく書いてくれている。でも、調子が落ちれば叩かれるはず。それはそれで仕方のないこと」完全復活へカズはマスコミとも共存共栄のスタイルを貫く。

連載なし

2.15

36

カズ
”がむしゃら”は
もう卒業

2.14

KAZU

11日間の「充電期間」が、結果的にはレギュラー獲得への大きなステップとなった。チームに合流して早々、両足太股裏の張りを訴え別メニューに入ったが、以前までのカズなら自らケガに対する不安を口にする機会は少なかった。しかし、がむしゃらに突き進んだブラジル時代、精神的にも張りつめていたイタリア時代とは違うカズがそこにいた。「2月17日がすべてじゃないと思った。先発とか途中出場とかも考えないでね。練習量に物足りなさも感じたけれど、自分の持ち味さえ出せればいいと考えたのが良かった」

35

カズ
地元報道陣も
「キング」認めた

2.13

地元記者

スペイン合宿(1月21日〜2月7日)でカズに対するクロアチア報道陣の評価は急上昇。期待を上回る印象を報道陣に与えた。地元記者国内唯一のスポーツ紙「スポルツスキ・ノボスティ」、国内最多の20万人以上の読者を持つ一般紙「ベチェルニスト」、「ユトリニリスト」紙、クロアチア国営放送…。すべての人が口にする疑問。「不思議なのは、なぜミウラがW杯に出られなかったかということだよ」

34

カズ
チームメートの
信頼絶大

2.12

チームメイト

ブラジル、イタリアでの経験によって培われてきた海外での順応性。カズはクロアチアでも自然にチームメートに溶け込んでいる。周囲には常にチームメートの姿がある。スペイン語に堪能で、合流直後から親しくしているDFユリッチ、合流直後のポーレッチ合宿で同部屋だった若手のFWフラニャ、主将でゲームメーカーのプロシネツキ、そしてザイエック監督。プレー、練習態度が信頼関係の基礎となり、すべての人がカズの姿勢をたたえる。当初は「ミウラ」「カズ」「ミキ」といろいろな呼び方をされていたが、今ではすっかり「カズ」が定着している。

33

カズともう1度
一緒に日の丸を

2.11

三浦泰年

「やっぱり代表で一緒にできたことが焼きついている。カズはずっと代表にいたから、僕が入れば兄弟で日の丸をつけられると思っていた。僕が代表に入って最初にアフリカのチームと国立でやったんだけど、ちゃんとカズが決勝点を決めてくれた。うれしかったね。今度は本職のボランチで代表に入って一緒にやりたいね。カズも僕も、選手である限り代表が目標。日の丸をあきらめた時は選手をやめる時だと思うよ。また、同じモチベーションで一緒に…」

32

兄ヤスも心痛
カズ 代表落ち、
電話の声が…

2.10

三浦泰年

目立ちはしないがお互いの支えとなってきた兄弟。三浦泰年は弟カズの苦しむ姿も見ている。「いろいろあったけど、やっぱり今1番印象に残っているのはW杯フランス大会の時のことかなあ。代表から落ちるなんてことは僕の中にもまったくなかった。あの日、たぶん1番最初に電話をかけてきてくれたんじゃないかと思う。“外れちゃったよ”という感じで普通に話していたけど、僕には声の調子とか(落胆ぶりを)感じるところがあったね。足のケガもあったし、痛いのをこらえてやっていた」

31

「海外」勧めたヤス
カズの兄弟であり
ファン

2.9

三浦泰年

「ブラジルに行く時もそうだったけど、何でも1人で決断するやつだから」カズの兄・泰年は言う。今回のクロアチア・ザグレブ移籍もそうだった。「海外行きを決めたのはかなり早い時点だと思う。相談というか、何チームかからオファーが来ている時に“どうかな?”って聞いてきたから“海外の方がカズらしいよ”と答えた」泰年は弟カズが知らない土地ブラジルでたくましく生きる姿を目の当たりにした。「留学生というより、1人のサッカー選手として感じた。友達もつくって、言葉の習得とかも順応性があると思ったね。兄弟でこう言うのも変だけど僕はファンみたいなもの。兄弟でありファンみたいなところもある。うちの家族はサッカーがあるから成り立っているところがある」

30

戦友・北沢に聞く
信じてる
“宇宙人の力”

2.8

北澤豪

「カズさんは日本にいられないさ。日本にいちゃいけないと思うよ。象徴でしょ、やっぱり。それを周りの人がああでもない、こうでもないって言うのは僕はわからない。あの人がいなければ、みんなここまで給料が上がっていない。みんな、あの人に感謝しなきゃいけないと思う。そういうこと忘れているよ。見せる半面、怠らない努力というか。地道な努力を僕ら以上にやっている。取材とか受けている時、相手が何を聞きたいか、どういう言葉を欲しがっているのか、あの人分かってるんだよね。カズさんは“思えば、そうなるもんだよ”と言うんだよね。自分でこうなりたいとイメージするとそうなる、仮想というか。もちろん、そのための努力はするんだけど。この人宇宙人かよって思ってた」

29

戦友・北沢に聞く
カズのあの一言で
川崎に残った

2.7

北澤豪

「W杯のことがあって今海外に行かなくては、というのはあった。カズさんは決断が早かったね。天皇杯で鹿児島から帰る飛行機の中で“キーちゃんが居なくなったらヴェルディも駄目になるかなあ”とポロリと言ったことがあったんだよね。あれが大きかったかな。この前、電話で“カズさん頼みますよ。日本人の評価を上げてくださいよ”と言ったら“これから日本人が来るためにオレが頑張っていくんだ。任せとけ”と言っていました」

28

戦友・北沢に聞く
カズは代表落ちても
前向き

2.6

北澤豪

「外した岡田さんも凄いと思ったよね。よく外したなあ、とね。みんなが心配するより前向きだったよ。イタリアで、日本人観光客に“写真撮って”と言われたことがあって、カズさんは“どうぞ”って堂々としてたからね。カズさんはイタリアにいたから“オレに任せとけ”ってメシに連れてってくれたりした。配慮してくれてるの感じたよ。カズさんは前向きに考えていたけど、僕は夢を見せられてる状況でした」

27

カズ
引退はまだまだ遠い

2.5

有森裕子
(女子マラソン)

「私はチャンスがあれば、と対談のお話があれば、いつもカズさんを1番手に挙げていました。でも、なかなか合わなくて…」1度も会ったことがないにもかかわらず共感を持つ。だからこそカズの心情も他の人以上に理解ができるようだ。「彼は頑張る人。確かに少年のころからあこがれたW杯に出られなくてショックだとは思います。でも、きっと彼は悩んでいる時間を作るような人ではない。それより、どう道を切り開いていくかを考える人だと思ったのです」

26

有森裕子さん
 カズの高い意識
常に刺激に

2.4

有森裕子
(女子マラソン)

女子マラソンの有森裕子さんは、カズの生きざまに自らの生き方を触発された1人だ。昨年のW杯フランス大会前、有森さんは知人を通じてカズへメッセージを送った。「名刺の裏に“カズさんのプロとして意識を持ってされている姿勢に影響を受けました。プロの意識を信じて自分の生き方して下さい”と書いて渡してもらったと思います。一方的に私が影響を受けていただけです。ずっと自分自身でプロとして意識を持ってやらなければ時間が惜しいと思ってきた。その思いを持つようになったきっかけが彼だったんです」

25

横浜・城に聞く
 カズに“自分の道”
教えてもらった

2.3

城彰二

同じFWとして、サッカー選手としてカズを特別な存在として見ていた城彰二にとってW杯フランス大会開幕直前の昨年6月2日に起こった出来事はショックだった。「カズさんが外れるなんて全く思っていなかった。試合に出ていなくても、カズさんは代表の中で大事な選手だったし、W杯でもカズさんと一緒に戦えると思っていた。カズさんに近づけたなんて思っていないですよ。Jリーグが始まった時に全体を引っ張ったのはカズさん。これから少しでも近づけるようにやっていきたいですね」

24

横浜・城に聞く
 カズは代表外れても
キング

2.2

城彰二

横浜のFW城彰二はカズから影響を受け、カズを目標に成長していった選手の1人。「18歳の時だよね。カズさんは僕らにとってあこがれだった。同部屋で心構えとかいろいろ話してもらったけれど、1番覚えているのは“周りに惑わされずに自分のやりたいことをやれ”ということだった。自分がカズさんを追い抜いてレギュラーを奪ってやろうなんて思ったこともなかった。FWの中ではカズさんは別格で、2番目のポジションを誰が取るかという感じだった。僕が先発で出て、カズさんは出なくても、自分でカズさんを超えたという意識はなかった。日本を引っ張ってきた人。僕にとってあこがれの人であることは変わりない。サッカー選手として、FWとしてカズさんを超えられる部分はないと思う」

23

C・ザグレブ移籍へ
心配の生活環境も
クリア

2.1

田路雅明

昨年12月に現地へ赴く前から既に心はクロアチアに決まっていた。だが、ひとつだけ迷いがあった。代理人の田路正明氏がその秘話を明かしてくれた。「クロアチア・ザグレブのオファーの中で、ビジネスでカズを取りにいったのではないとはっきりと書いていた。しかし、環境面については心配していた。自分の目で判断して、ようやく大丈夫だと判断できたみたいだな」カズと理佐子さんの間にはかつていろいろな報道があったが、良太君と3人で温かい家庭を築いている。「うちの家族は普通と違う。きずなが強いんじゃないかな」カズ・ファミリーの存在が海外挑戦でも支えとなっている。

22

高野氏臨時コーチ
31歳にして“もっと上へ”

1.31

坂田信久
(現川崎社長)

成田での記者会見の直後に現川崎社長の坂田信久氏のもとへ1本の電話が入った。「その日のうちに日本陸連の帖佐副会長(寛章氏)から電話がかかってきたんですよ。“本当に凄いやつだ。彼は31歳だろう。スピードが出ないというのはおかしい。高野進は31歳の時に自己ベストを出しているんだ。1度2人を会わせてみてはどうだろうか”と言うんですよ。カズは“あすにでも学校に行くから教えてください”と積極的でしたね。まさに向上心の塊なんですよ。カズはもっと自分が高まるはずだと言っていた。そういう人間なんですよ」

21

W杯初戦見て
カズが洩らした言葉に
意地が

1.30

森下源基
(前川崎社長)

当時川崎の社長であった森下源基氏もミラノまで国際電話を入れた1人だった。「ミラノにいた時につかまえて電話で話しました。くよくよするというか、そんな感じはなかった。メンバーは監督が決めること、その監督がそう決断したなら仕方ない、逆にメンバー選びで選手を決める権利は監督が持っている、割り切らなきゃいけない、というのが彼の哲学なんです。立派というほかないですよね」自分の魂を預けたチームメートを批判することはもちろんなかった…

20

カズは
苦労、気配りできるヤツ

1.29

加茂周
(前代表監督)

「カズを主将にしようという選択肢は正直言ってなかった。彼はみんなを束ねて1つの方向に向けていくタイプではなく、自分が一生懸命やってみんなも一緒にやろうや、という感じの選手やった。カズはいろんな意味で苦労して気配りのできるヤツやった。あらゆることに協力的やった。日本のサッカーがプロになって3年目で代表監督になったが、本当にプロらしい選手やった。サッカーを第1に考えて本当に真剣やったよ。だから今度はクロアチアに行って何とか成功してほしい」

19

「下がらず」
成功つかめ

1.28

加茂周
(前代表監督)

カズの成功を願う男がいる。元日本代表監督の加茂周氏。困難さを知るがゆえにその願いは祈りに近い。「3年くらい前に比べて回転の速さが落ちている。それはウエートトレのやりすぎかもしれない。上に肉が付き過ぎて、下のバランスが微妙に違ってきたのではないかな。開幕3試合くらいで何とかいいゴールを1つか2つ決めてほしいというのが願いやね。祈っているよ」

18

代表落ちショックが
「海外」に拍車

1.27

並木磨去光
(代表マッサー)

合宿地スイスのニヨンの宿舎で昼食前に岡田監督から代表落ちの通告を受けた。カズは少なくとも表面上では冷静で前向きだったという。「カズは僕には弱音を吐かなかったですね。岡田さんの悪口も言わなかったし、ショックはあったのだろうけど“とにかく先のことを考えていくよ。残ったみんなに迷惑をかけたくない。チームのみんなに気を使わせたくない。初戦のアルゼンチン戦に向けて全員が集中しなくてはいけないのに、自分がいてはいけない”と話していましたね。荷物の整理をしながら、僕も何を言っていいのか分からないで黙っていると“お前が落ち込む必要はないんだ”と逆に励まされてしまいました。出発前にマッサーとか、エクイップメント(用具係)とか、スタッフのところを回って“他の選手をよろしくお願いします”と言っていたみたいですよ」

17

乗り気でなかった米移籍

1.26

森下源基
(前川崎社長)

「いつか、もう1度海外に挑戦させたい」ジェノアからカズを引き戻した森下前社長は、そう思い続けてきた。「海外には行きたいが、彼が抜ければ川崎がどうなるか。そういう2つの考えがあったのだろうと思う。」アメリカ(MLS)・サンノゼ移籍は正式契約寸前まで行った。しかし「彼(カズ)は米国でサッカーはやりたくないというんだ。環境、施設などベストなリーグではないというんだ。だから、つぶれてもまったく悔しがってはいなかった」

16

「ジェノアの分も取り返して」

1.25

森下源基
(前川崎社長)

「2年連続でブラジルへ行った。でも、サントスで左ウイング(FW)に定着していたカズは日本へ行くことを嫌がった。私は“絶対にプロ・リーグができる。君にはそのシンボルになって国立を満員にしてくれ”と口説いて、ようやく翻意してくれた」「個人的に言えば1年たって強引に呼び戻したことが心苦しくてずっと引っ掛かっていた。彼がゴールを決めたくらいからジェノバに足を運んでは“君に戻ってきてもらわないと困る。”と言い続けたんだが、彼は“このままでは不本意だから、もう1年やらせてくれ”と渋っていた。」

15

15年
野心は変わらず

1.24

坂田信久
(現川崎社長)

川崎の坂田社長はブラジル時代からカズを見守ってきた。「カズがブラジルに渡って2年目の時だった。野心満々で光り輝いていたね。天真らんまんだった。店に入ると、近藤真彦とかをダンスつきで歌い始めて驚かされたよ」。ヴェルディ最後の日、「各部署を回って全員にあいさつしていた。前々から素晴らしい選手だと思っていたけど、マナーもよくて、どこへ出ても成功する選手だと思った」

14

微に入り細をうがつ
待遇改善

1.23

井原正巳

プロはこだわるべき。その考え方はカズのプロとしての哲学ともいえる。「あの人は外国人だから。カズさんは外国でやっているから、うち(横浜M)のブラジル人と同じ感覚だった。プロとして何が大事かを常に言っていた。協会にもいろいろと要求を出していました。お金の待遇、ホテルのこと、食事のこと、移動のこととか。カズさんはそのへんを話していた。みんな思っていたことなんですけどね。言いづらいことも平気で言ってくれていた。まあ、カズさんだからああいう言い方をしても大丈夫というところもありましたね」

13

ヒデにエール
“伊の先輩”

1.22

並木磨去光
(代表マッサー)

カズと中田。極論すれば、W杯に出るために海外に挑戦するカズと、海外に行くためにW杯でプレーした中田。マスコミへの応対もまったく異なり、一見相入れないように見えるかもしれないが、日本代表の合宿でも2人は親しく言葉を交わしていたという。2人をそばで見ていた日本代表のマッサー並木磨去光氏は証言する。「一緒に食事をしている途中で僕の携帯電話に中田から電話がかかってきたんです。それで代わって2人で話していましたよ」会話の内容についてカズは「内証だよ」と明かしてくれないが、どうやらイタリアでの生活に関してアドバイスした模様だ。

12

代表守った
キングの盾

1.21

並木磨去光
(代表マッサー)

日本代表の中でもカズは影響力の大きな選手だった。「最終予選では、カズがマスコミのプレッシャーの盾になってくれた。自分が結果が出なくても“キング”のような存在でやっていた。凄いと思う」周囲がどんな評価をしようとも、苦境に陥ろうともトップであることから逃げようとはしなかった。そんなカズの振る舞いが盾となり、日本を守っていた。カズ自身も気づいていないかもしれないが…。

11

井原(横浜M)との
関係

1.20

井原正巳

KAZU は海外へ、井原は日本に残って2002年を目指す。2人は違う道を選んだが信頼で結ばれている。2人にまつわるエピソードを井原が語る。

10

移籍の理由
読売撤退
“それなら世界へ”

1.19

田路雅明

KAZU移籍の代理人が、移籍までの経緯、そして隠された事実を明かす。金銭面でもKAZUは高く評価され、クロアチア・リーグの年俸ベスト5に入るもの。移籍のひとつのきっかけは読売新聞の撤退。

松木氏に聞く
「Jでは
生きられないタイプ」

1.18

松木安太郎

「いつも頂点にいたいという選手だった。主将もやったけど、主将である以上にKAZUである、トップであることを誇示して引っ張るタイプだった。」Jリーグは自分から何かを求めていくタイプの選手が生きていける場ではなくなったのかもしれない。

プレッシャーを
力に変える男

1.17

KAZU

プレッシャーをいかに克服するかは好選手の条件だが、KAZUは大事な場面でそれを跳ねのけてゴールを決めてきた。ここ2年はそれ以前に体調面に問題があったため目立たないが、その強さはどこから生まれてくるのか。子供のころから自然に勝負強さを無理なく磨いていた。

メディアへの対応も
“プロ”

1.16

KAZU

KAZUの前にも日本にプロのサッカー選手は存在した。しかし、ことマスメディアとの応対、駆け引きに関してはKAZUがプロの先駆者だったといえる。真剣勝負の取材なら、どんなに厳しいものでも受けて立つ。プロとしての姿勢がそこにある。

「4カ国経験」
引退後も世界で

1.15

KAZU

4カ国のリーグを経験している選手となると世界的にも数少ない存在。KAZUはこの経験を引退後も生かそうという考えがある。KAZUが海外に築いている人脈も日本人では群を抜いて充実している。世界的なクラブ運営も1つの夢。

友達づくりは
“裸”でいきます

1.14

三渡洲

合流したばかりの合宿で、KAZUはチームのメンバーと積極的にコミュニケーションをとっている。その人間関係の築き方は独特のものがある。どこか無理をしているようにも見える。しかし、それは、昔も今もKAZUの生き方の1ピースになっている。

変身へ
“足元”から見つめ直し

1.13

ベゼーハ

「私はKAZUさんが得点王になった時の23点目を決めたスパイクを持っている。いっぱい持っているけど、これは特別。何度も壊れたけど私は一生懸命直した。そしてカズさんは1年間ずっと履いた。カズさんはこれを“お守り”にしていた。」

「努力」の前から
才能キラリ

1.12

平野勝哉
(現鹿島強化担当)

「あれはたぶん他の選手を見に行ったんだと思う。静岡学園はグラウンドで、50人くらいの中ドリブルするんだけど、うまいフェイントを使ってすり抜ける選手がいた。1年生なのにいい技術を持っていて、面白い選手だなあと思って井田監督に聞いたら“あいつは来年ブラジルに行くんです”と言われて…。」

自分を信じて突き進む

1.11

納谷義郎

「昔から頑固だね。台風でも小学校の時から練習はやる。グラウンド20周走ると決めたら絶対やる。心配より向かっていく性格だね」 KAZUは自分の決断には絶対的こだわりを持っているのである。

Jはアマ

1.10

KAZU

「残念なことにJリーグがこういう状況になって、選手の立場が日本リーグ時代よりも悪くなった。僕はプロとしてやってきたつもりだし、プロはこだわるべきだという考えがあるけど、(Jリーグは)アマチュア的な発想になってきて今まで積み重ねてきたものが“0”になってしまった。アマチュアの流れの中で自分はやってはいけない。それが正直な気持ちです。」

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