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 Persons



(1999.7.20〜)

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このページでは、KAZUと関わりのあった人々とKAZUとの、出会いや出来事を
雑誌やTV番組に中からピックアップして、まとめてみました。
KAZUの交際範囲の広さと深さには、いつも驚かされ、うらやましくも思っています。
今のKAZUがあるのも、そういったKAZU自身の友達を大切にする気持ちが相手に伝わって、
そういった人たちが、KAZUを支えてるんだなぁ〜と思います。

NO.

氏名(敬称略)

時期

エピソード

出典

備考

3

ジーコ

1988.11.9

クリチーバvsフラメンゴ戦で初めて同じピッチの上に立つ。
左ウィングでプレーしたKAZUは、直接ジーコと絡んだのは1回だけだったが1アシストで2−2(PK4−3)でクリチーバの勝利。
KAZUは、テレビで見ていたWカップでのスーパースター・ジーコと、同じ土俵の上で戦えるなんて夢のようだったと語る。
握手の際、ジーコが「スセッソ!」(頑張っているね、成功していうるね)とKAZUに声をかけたというエピソードは有名。

ストライカー
89.2
週刊文春
93.4.1


2

カスティーリョ監督

1986.2

1985.11、KAZUがキンゼ・デ・ジャウーFCからサントスFCのジュニオールに移った際、当時サントスの監督だったカスティーリョ監督は、ジュニオールで練習するKAZUを見て、そのプレーを評価。
19歳のKAZUを1軍(プロ)へと引き上げた恩師。
その後、KAZUは1986.2にサントスと1軍(プロ)契約。
「年上の選手に遠慮せず、ジュニオールでやってたのと同じようにプレーすればいい」とKAZUに常々語っていた。

ストライカー'
86.8


1

北澤 豪

1990.4.29

KAZUの出場したサントスvsパルメイラス戦をブラジルで生観戦。
初めてKAZUのプレーを目の当たりに。
試合は、左ウィング11番・KAZUの、1ゴール1アシストによる2−1で、サントスの勝利。
当時、ホンダ・サッカー部に所属していたき〜ちゃんは、4ヶ月間のブラジル留学中(サンパウロ、パルメイラスで練習予定)。
き〜ちゃんは、KAZUと言葉を交わすことなくスタジアムを後にしたが、KAZUの活躍に、かなり刺激をうけた。

週刊文春
93.4.1

Messages参照

 

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