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(1999.2.20〜3.6)
このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。
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「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。 |
1999.03.06 |
6日、みっちり3トップのフォーメーション練習。必勝を期すザイエック監督は2トップを主に考えているが、3トップの備えも万全。チームでのランチ後、宿泊するためザグレブから40キロ離れたベネジャ城へ移動した。 |
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1999.03.05 |
クロアチア・ザグレブは7日、首位リエカと対戦するが、前日にあたる6日、クロアチアから約40キロ離れたベネジャ城にKAZUらイレブンが泊まり込むことが、5日明らかになった。ベネジャ城はクラピナという小さな町からさらに20キロ離れた丘の上にあり、温泉地も近い自然に恵まれた環境にある。ベネジャ城での合宿は大事な試合を控えた時だけにおこなわれるもの。<スポニチ> |
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●7日に首位リエカを迎え撃つクロアチア・ザグレブは過激なリエカ・サポーターたちの襲来に厳戒態勢で備えると発表。クロアチア・ツジマン大統領がリエカ戦に訪れる可能性もあり、ノボセルGMは、通常の2倍にあたる警備員320人、警察官180人の合計500人を動員することを決定した。ザグレブ市民によると「両チームのサポーターは昔から仲が悪い」こともあり、過去にも小競り合いをしばしば起こしていることに対応しての処置。
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1999.03.04 |
クロアチア・ザグレブは4日、競技場内で軽いフィジカルトレーニングとサウナで軽く汗を流した。連日ハードなメニューを消化したこともあり、KAZUらイレブンは「ウエートもあまりやるなと言われた」と、その後サウナで体調のケアに専念。 |
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1999.03.03 |
クロアチア・ザグレブは、3日午後、報道陣シャットアウトして、紅白戦練習をおこなった。 |
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1999.03.03 |
3日午前中C・ザグレブのKAZUはは3日、毎日別メニューでGKを立て、キック練習することをザイエック監督に直訴し、了承された。 |
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●KAZUは3日、午前練習を終えた後、ザグレブ市立図書館で行われたクロアチア俳句協会(ビスニア・マックマスター会長)主催の「ひな祭り・子供俳句祭り」にスペシャルゲストとして参加した。質問コーナーや「さくら・さくら」などを合唱後、KAZUは「みんなと触れ合えてよかった。ぜひ競技場にも足を運んでください」とあいさつ。約120人のザグレブの子供たちから拍手を浴び、サイン攻め・質問攻めにあった。残念ながらKAZUが俳句を詠むことはなかったが、同協会のデヴィデ名誉会長は「ミウラさんは素晴らしい人。この国にきてくれてよかった」と語り、KAZUに対して即興で一句。
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●3日、KAZUが極秘に引っ越ししていたことが判明した。それまでザグレブ市内のホテルに長期滞在していたが、先週2月27日から市内の新築マンションで暮らしている。不要な混乱を避けるため、報道陣に黙ってホテルを後にしたという。新居は練習場やクラブハウスのあるマクシミルスタジアムから車で10分。まだ家具などはすべてそろっていないが、代理人の2人で住んでいる。KAZUは新居を気に入っている様子で、サッカーにより専念できる環境を手にしたよう。 |
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●改装中のマクシミルスタジアムのリエカ・サポーター用の観客席が約2500席も不足していることが、3日明らかになった。現在、8月の完成を目指してスタンドの改修工事の真っ最中だが、通常、相手サポーター用のゴール裏の北スタンドが使えない。約4000人を収容できた西メーンスタンドが、工事が進み2500席に減少。しかし、サポーター同士の衝突を避けるためには、両者を完全に隔離する必要があり、観客の安全を守るため、さらなる大幅な座席縮小が避けられなくなった。初の首位浮上に沸くリエカからは約3000人のサポーターが来襲予定で、入場できないファンが大暴れするのは必至。
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1999.03.02 |
2日の定例記者会見にはKAZUが初めて呼ばれた。その席で、ザイエック監督がカズのスタメン復帰を明言。 |
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●KAZUは3日、クロアチア俳句協会主催の「ひな祭りと俳句祭り」のオープニングセレモニーに特別ゲストとして参加する。ザグレブ市立図書館でおこなわれるイベントでは、クロアチアの約100人の子供を集めてコンクールをおこなう予定で、3日間開催される。当日はクロアチア国営放送のテレビ中継もあるなど、市民の関心は高い。
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1999.03.01 |
クロアチア・ザグレブは、1日、午前、午後の2部練習を強行。選手は半分に分けられたが、KAZUたち先発組は午前、午後ともボールを使った練習。午前練習終了後、KAZUは、居残りのシュート練習に励んだ。午後はグラウンドの約4分の3の広さで、11−11のミニゲームを行った。 |
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●カミュガ会長は1日午前、市議会議長として登庁中の市庁舎に、ザイエック監督を呼びつけ、最後通告。一方、ザイエック監督が風邪をこじらせて午前の練習を休んだ(と言っている)。
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1999.03.01 |
1日、練習を再開したクロアチア・ザグレブは午前、午後と極めて異例の2部練習を敢行。KAZUも、約40分にわたり、念入りなシュート練習を敢行、自らのゴールで首位奪還を狙う。 |
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●KAZUが信頼をおく「スポーツケア・PNF研究所」の竹内章高トレーナーを週明けの9日にもザグレブに招き、マッサージや体調管理面でのアドバイスを受けることになった。試合ではキレのいい動きを見せるKAZUだが、慣れない雪上トレーニングの影響などから両足に張りを覚えているのも事実。C・ザグレブでは選手個々が2、3人のトレーナーと契約。体調管理のアドバイスや、自主トレの指導を受けていることから、カズも当地で同様の契約の検討を開始。今回、竹内トレーナーは10日間程度の滞在の予定。 |
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1999.02.28 |
C・ザグレブが2位に転落。代わりに1位に立ったリエカには、FW松原とMF財前が移籍しており、次節、3月7日には、C・ザグレブはホームでリエカと直接対決。勝ち点差は2で、勝てば再び首位奪回となる。首位決戦をにらんでザイエック監督は28日のリエカ戦を視察した。帰り際、リエカサポーターから罵声を浴びながらスタジアムを引き上げた。 |
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1999.02.28 |
28日、KAZUはザグレブ入り後、2回目のオフをゆっくりと市内で過ごした。今回のオフは、14日以降、2週間ぶり。1日には、2月9日以降、初めて午前・午後の2部練習がおこなわれることになっており、KAZUは、久々にゆっくりと休養をとった。 |
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●クロアチア・ザグレブのノボセルGMは28日、イタリア・ペルージャとの親善試合をおこなう可能性を示唆、実現に向けて準備に入る意向を明らかにした。C・ザグレブが欧州チャンピオンリーグやUEFA杯の常連として名を連ねる一方で、ペルージャは大舞台への進出を果たせないでいる現在、クロアチアのサッカー関係者には「ペルージャと試合をしてもメリットはない」との意見もある。だが、C・ザグレブはKAZUの加入で注目度も飛躍的に高まった点を重視。欧州を舞台にした夢マッチ構想の今後が注目される。
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1999.02.27 |
27日午後、KAZUは、ザグレブ市内のコンベンションセンターで開催されている「スポーツ用品フェスティバル」に特別ゲストとして参加。C・ザグレブの公式行事の一環として、ユニフォームスポンサーのブースに立ち寄り英語で自己紹介。その後は、子どもたちとのPK合戦など、アトラクションを楽しんだ。約2000人の市民で大盛況の会場ではKAZUに、誕生日プレゼントに最高級のクロアチアワインも贈られた。 |
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●5位チーム、バルテクス相手のC・ザグレブの惨敗から一夜明けた27日、先週末に結成されたばかりのKAZUの未公認サポーターズクラブ「ミウラ・クラブ」のメンバーが、新品のKAZUグッズを身にまとい、ザグレブの中心地「共和国広場」に集結。「ミウラが見たい! ミウラを使え!」と口々に、次週の首位決戦でのKAZUの先発起用を訴えた。 今のところは仲間内で勝手に盛り上がっているだけの状態だが、ゆくゆくはKAZU本人の協力を仰いで本格的な組織を築く構想も持っている。「今は彼にとって一番大変な時期。好結果が出るまでは、接触は避けて見守りたい」とKAZUを見守りつつ、全員が、1週間後のリエカ戦を、指折り数えて待っている。 |
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1999.02.27 |
敗戦から一夜明けた27日の午前、チームはマキシミル・スタジアム横のグラウンドで練習を行った。ランニングの後、途中出場の選手や欠場した選手らで25分ハーフ、8対8のミニゲーム。全体的に疲労から動きが悪かったが、KAZUは前後半2点ずつの4ゴールを決め、好調さをうかがわせた。ウワサでは、このミニゲームに「100クーナ(約2000円)かかっていた」とか。 |
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●27日付けのクロアチア各紙は、惨敗のチームの中で、KAZUの動きを高く評価した。 |
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1999.02.26 |
クロアチア・ザグレブのKAZUは、デビュー3戦目で初のアウエーとなる5位バルテクス戦で2点リードされた後半から出場。前線でポスト役、中盤ではゲームメーク役と活躍したが、シュートは2本でノーゴールに終わった。C・ザグレブは0―2で敗れ、28日に2位リエカが勝てば、今季初めて2位に転落する非常事態に陥った。 |
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●ザグレブから約90キロ離れたヴァラスディンでも日本人サポーターが観戦した。ザグレブ市内から電車で来た学生3人は、車内でCザグレブサポーターに襲撃されたという災難にもめげず、「駅から警察にガードされて来ました。怖いけどKAZUを応援します」と決死の覚悟の応援。また、ザグレブ市内のユースホステルで試合があると聞いてバスで来た学生4人グループは「町を歩いていたらミウラ、ミウラと呼ばれた」とKAZUの知名度の高さに驚いていた。 |
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1999.02.26 |
26日朝は、午後8時(日本時間27日午前4時)からのヴェルテクス戦のため、約80キロ離れたバラジディン市に移動。 |
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●人気爆発中のKAZUグッズにまたまた新製品が登場。顔のアップ写真がカラープリントされたTシャツ(75クーナ=約1500円)で、近日中に発売される。今回のTシャツは、「MIURA」より「KAZU」の文字の方が大きくなっているもの。「KAZU選手に関する商品への関心、反響は凄い。可能な限り生産しています」クラブ関係者もうれしい悲鳴を上げながら準備を急いでいる。 |
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●クロアチア・メディアは、日本から来るサポーターを『ミウラ・マニア』と報じ、日本の報道陣までもが「24時間、一時もミウラから目を離さない人たち」という意味でそう呼ばれている。連日、KAZUについて質問攻めにさらされるザイエック監督は、この『ミウラ・マニア』現象を肯定的にとらえている。『ミウラ・マニア』現象は、3月7日に対戦するリエカにも波及している。リエカには、財前と松原が移籍し、同チームのゴラチャン監督は「日本人対決が実現すれば、海外でまだあまり知られていないリエカが世界に知れわたるチャンスだし、マスコミやファンも歓迎したい」と話した。 |
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1999.02.25 |
時差(8時間)の関係で日本で26日になった25日夕方、滞在するホテルで、日本からの報道陣主催の「誕生日会」が開かれた。直径50センチの特大ケーキに「KING KAZU」の文字を見つけ、KAZUは目を細め32本のろうそくを吹き消した。 |
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1999.02.25 |
クロアチア・ザグレブは、26日午後8時(日本時間27日午前4時)にヴェルテクスと初のアウェー戦を戦うが、FWのKAZUが先発から外れることが決定的となった。 |
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●KAZUが滞在するインターコンチホテル内にある、ビューティーサロン「メージャ」は、MFプロシネツキのお気に入りの店。欧州では男性がエステに行くのも違和感がないが、プロシネツキもそこで、フットマッサージやペディキュアを受けるそう。女店長のアニシャさんは「ロビー(プロシネツキの愛称)はよく来るのよ」と、2ショットの写真を前に自慢げ。KAZUもここで散髪をしており、レジの前には店長との記念写真がしっかり飾ってある。 |
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1999.02.24 |
練習に先立ち、午後2時に招集がかかり、クラブハウスに選手が集合。クロアチア・ザグレブのザイエック監督が、約40分の異例の特別ミーティングで、KAZUら全選手をしかり飛ばした。21日のスラベン・ベルーポ戦の大苦戦に危機感を抱いた同監督は「次は絶対に、いい内容で勝て!」と厳命、緊張感を高めた。 |
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●クロアチアリーグ2位、リエカのFW松原良香とMF財前宣之が3月7日の対クロアチア・ザグレブ戦でそろってデビューすることが24日、明らかになった。リエカのネナド・ゴラチャン監督が「彼らを7日から出場させる」と明言した。C・ザグレブのKAZUも出場すれば、クロアチアで、史上初の日本人対決となる。
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1999.02.24 |
24日午前、ザイエック監督やチームメート6人とともに、KAZUは、ザグレブ郊外の国立青少年障害者養護センターを慰問に訪れた。 |
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1999.02.23 |
23日夜は元G大阪監督で、現在はNKザグレブの指揮を執るクゼ氏と会食。クロアチア情報をどん欲に収集した様子。 |
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1999.02.23 |
23日、KAZUは、ザイエック監督をはじめ、FWミクレナス、DFビスチャンら看板選手7〜8人とクロアチア・ザグレブを代表し、約5キロ離れた国立青少年障害者養護センターで暮らす子供たちを24日に慰問することがわかった。 |
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●KAZU人気でCザグレブの公式ユニフォームがクロアチアから消えてしまった。既に500枚ほどは日本を含めた海外に出たとされるが、殺到するオーダーをさばききれない状況。また、4月のプレーオフからユニフォームが新しくなるため、製作は中断。6月に新ユニフォームが日本に入荷される予定だが、日本では3カ月あまり新ユニフォームのゲットが不可能となる。 |
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1999.02.23 |
23日、KAZUは午後2時から、移籍後初の本格的チーム全体ミーティングに参加、調整した。14日以来、休日なしだが、26日の試合後のオフを楽しみにしている。 |
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1999.02.22 |
22日午後の練習後、KAZUはザグレブ市内の理髪店で散髪、26日午後8時(日本時間27日午前4時)からのヴァルテクスとのバースデー決戦に向けて気分転換を図った。スポーツ刈りのヘアスタイルは従来通り。 |
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1999.02.22 |
最下位のスラベン・ベルポとホームで対戦し、2―1で辛くも勝った試合から一夜明けた22日、ザグレブは強い雨が降るあいにくの天気。KAZUは、午前中、マキシミル競技場のクラブハウスと、同競技場のファンショップを訪れた。新聞の低い評価については「あまり気にしてないよ」とさばさばした表情で、自分のポスターやレプリカTシャツを見ながら、「売れるかなぁ」と興味津々。 |
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●22日付のクロアチア各紙は、デビュー戦の時とはうって変わり、KAZUに対して厳しい評価を与えた。1部リーグの6試合がそろって開催されたことに加え、チームのロスタイムでの劇的な勝利の陰に隠れ、各紙ともKAZUについての記述がほとんどなかった。スポーツ紙のスポルツケ・ノボスティの採点は、DFトキッチと並ぶ、チーム最低の5.0。ユタルニストも「ミウラには、がっかりさせられた」とコメントつきで5.0。常に辛口の有力紙ベチェルニリストに至っては、下から2番目の評価。 |
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1999.02.21 |
ロスタイムでの劇的な勝利を、KAZUは試合終了2時間半後に知った。0―0の前半で退いたKAZUが着替えを終え、再びグラウンドに現れたのは、終了10分前。前半交代直後にシャワーを浴び着替えを済ませたため、チームが先制されていたことを知らなかった。終了直前の決勝点に喜ぶ仲間を不思議そうに眺めてからホテルでの記者会見に出席。薄氷を踏む勝利と知ったのは試合終了約3時間後、雑談の中でやっと気がついた。「えっ、2―0じゃなかったの? テレビにとんちんかんなこと言っちゃったよ」。そんな気持ちのゆとりも次こその期待を強くさせる。 |
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1999.02.21 |
2月28日に予定されていたサッカー・クロアチアリーグ・19ラウンド、クロアチア・ザグレブ―バルテクス戦が、26日に早まることになった。バルテクスが3月4日に欧州カップウイナーズ杯でマジョルカ(スペイン)との対戦を控え、その準備期間を確保するため、21日までに変更を申し入れていたもの。26日はKAZUの32歳の誕生日。「今度はバシっと決めたいね」KAZUは力強くバースデー・ゴールを約束した。 |
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1999.02.21 |
クロアチア・ザグレブは21日、スラベン・ベルポと対戦。C・ザグレブは苦戦したが2−1で勝利をおさめた。 |
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●新登場したKAZUグッズが飛ぶような売れ行きを見せている。マグカップに続く第2弾として、背番号「13」の入ったユニフォームタイプのTシャツ(200Kn=4000円)46枚、「KAZUYOSHI MIURA」と織り込まれたマフラー(90Kn=1800円)100枚、ムラドスト127戦のプレー写真を使ったサイン入りポスター2種類(19Kn=200円)2000枚。「個人グッズの人気は、プロシネツキと肩を並べるほど。注文に生産が追いつかない」とクラブ関係者は語った。 |
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●KAZUの母・由子さんもKAZUにエールを送った。ムラドスト戦の翌日18日には、KAZUから「元気でやっているから心配しないでくれ」といった電話があった。由子さんは「やってくれると信じていたけど、”やっぱり、カズだなぁ”と思った。自信を持ってやってね、と伝えました。サッカーができることが、あの人には大事。W杯のことがあってから半年かけて道を見つけ、頑張っている」と語り、息子の不屈の精神をあらためて感じている。 |
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●KAZUとともに注目を集めているのが日本サポーター。クロアチア国内の試合では、選手個人の応援用横断幕はほどんどない。それだけに、横断幕や日の丸を振ってエールを送るKAZUサポーターの姿は珍しく映る。「これから日本人がツアーを組んでクロアチアに来るというのは本当か?」など、日本のマスコミが逆取材を受けている状況。 |
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●21日付のクロアチア全国紙「ヴェチェルニリスト」の人気風刺漫画「オダペッティ・キスト(刺し殺すペン)」での2コマにKAZUが登場。1コマ目はミクレナスとKAZUの外国人コンビがライバル・チーム、ドラゴボルヤクの会長をかく乱。次のコマではPKを外して切腹しようとするKAZUをC・ザグレブのカミュガ会長が「たった一度の失敗で死なないでくれ!高いお金を払っているんだから」と手を合わせて懇願するというもの。 |
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1999.02.20 |
20日の午前中、クロアチア・ザグレブは1時間半、雪が解け、グチャグチャなスタジアム横の第2グラウンドで精力的な練習を行った。KAZUは、泥まみれになりながら積極的な動きを見せた。 |
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●20日付の地元最有力スポーツ紙「スポルトスケ・ノボスティ」は背番号13にちなみ、13の質問という企画でKAZUのインタビュー記事を掲載。「どの国でやるかは、あまり重要じゃない。僕は強いところでサッカーがしたかった」「もしクロアチアがJリーグに来たらトップレベルのチームになると思う」などと話している。さらに、「PKを外した後は悲惨な気持ちだった。でも、日本のメディアが、それ以外のプレーを称賛してくれたと聞いてうれしかった」とも語っている。 |
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●新たなKAZUグッズが続々と登場した。20日、マキシミル競技場内にあるC・ザグレブのファンショップに初お目見えしたのは背番号「13」の入ったユニホームタイプのTシャツ(200クーナ=約4000円)、KAZUのネーム入りマフラー(90クーナ=約1800円)、ムラドスト127戦のプレー写真を使ったポスター(10クーナ=約200円)2種類。現在チームの中でポスターになっている選手は、若手のシミッチとニューキャッスルへ移籍したマリッチの2人だけ。21日のスラベンベルポ戦に合わせて急きょ入荷された。「できる限りの数をそろえようと、徹夜で作業を続けています」とクラブ関係者。KAZU商戦でまだまだヒートアップしそう。 |
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