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 HOT NEWS

 

(1999.2.20〜3.6)

 このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。

「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。


1999.03.06

6日、みっちり3トップのフォーメーション練習。必勝を期すザイエック監督は2トップを主に考えているが、3トップの備えも万全。チームでのランチ後、宿泊するためザグレブから40キロ離れたベネジャ城へ移動した。


1999.03.05

クロアチア・ザグレブは5日、非公開練習で最終的なフォーメーション練習をおこない、ザイエック監督は、KAZUを3トップの右サイドに配置、ゴールだけでなく右サイドからの起点づくりまで任命した。他の2人のFWが左に流れる傾向があるからで大事なリエカとの首位決戦では、両サイドの起点に、中盤からのパス出しやポスト、そしてDF面までとKAZUにかかる負担は大きくなりそう。

ザイエック監督

日刊

 

スポニチ

 

サンケイ

厳しい試合になる覚悟はできている。何とか相手の強固で素早いDFに立ち向かいたい。

報知

ミウラならFWのどのポジションでも任せられる。 

東京中日

 

 

●日本サッカー協会の岡野俊一郎会長が、クロアチア・ザグレブのKAZUの試合を観戦するため、12日からザグレブ入りすることが6日、クロアチアチーム関係者の話で明らかになった。
岡野会長一行は11日から2日間、チューリヒで開かれる国際サッカー連盟(FIFA)理事会に出席後、12日にチューリッヒ発のスイス航空機でザグレブ入り。すでにC・ザグレブに訪問を知らせるファクスが届いており、日本大使館、クロアチア協会のマルコビッチ会長、C・ザグレブのカミュガ会長らを親善訪問するほか、KAZU本人を直接激励、夕食会を持つほか、14日にはNKザグレブとの「ザグレブダービー」を観戦、15日まで滞在する予定。

●地元紙によると、リエカのFW松原とMF財前はともに遠征メンバーに入り、6日午後、ザグレブに到着した。ともに先発出場はしないが、松原はベンチ入りする見込み。MF財前は、遠征には帯同したが、現状ではベンチ入りメンバーから外れている。


1999.03.05

クロアチア・ザグレブは7日、首位リエカと対戦するが、前日にあたる6日、クロアチアから約40キロ離れたベネジャ城にKAZUらイレブンが泊まり込むことが、5日明らかになった。ベネジャ城はクラピナという小さな町からさらに20キロ離れた丘の上にあり、温泉地も近い自然に恵まれた環境にある。ベネジャ城での合宿は大事な試合を控えた時だけにおこなわれるもの。<スポニチ>

ザイエック監督

日刊

 

スポニチ

(リエカは)システマチックなサッカーをする。10連勝中だし強い。ミウラを最初から使う。

サンケイ

 

報知

 

東京中日

 

 

●7日に首位リエカを迎え撃つクロアチア・ザグレブは過激なリエカ・サポーターたちの襲来に厳戒態勢で備えると発表。クロアチア・ツジマン大統領がリエカ戦に訪れる可能性もあり、ノボセルGMは、通常の2倍にあたる警備員320人、警察官180人の合計500人を動員することを決定した。ザグレブ市民によると「両チームのサポーターは昔から仲が悪い」こともあり、過去にも小競り合いをしばしば起こしていることに対応しての処置。

ノボセルGM

日刊

 

スポニチ

次の試合は大統領がきそうだ。

サンケイ

われわれはビッグゲームの経験がある。

報知

最強のセキュリティーを準備させる。我々には何度も経験があるし、心配はないはずだ。

東京中日

 

大統領が今度こそ観戦か?

KAZUと2トップを組むのは18歳のユース選手?<サンケイ>


1999.03.04

クロアチア・ザグレブは4日、競技場内で軽いフィジカルトレーニングとサウナで軽く汗を流した。連日ハードなメニューを消化したこともあり、KAZUらイレブンは「ウエートもあまりやるなと言われた」と、その後サウナで体調のケアに専念。
また、同日午後はカミュガ会長も出席して市内の高級レストランで昼食会を催した。
この日、リエカのMF財前とFW松原に就労ビザがおり、KAZUとの日本人対決が注目されるが、KAZU本人は冷静。
日本時間4日の夜には、6日に開幕するJリーグでのヴェルディを気にして、日本の北澤に激励の電話を入れた。


1999.03.03

クロアチア・ザグレブは、3日午後、報道陣シャットアウトして、紅白戦練習をおこなった。
選手を入れ替えながら試されたのは、通常通りの3―5―2と、攻撃的な3―4―3の、2パターンのシステム。ザイエック監督は、そのすべてにKAZUをレギュラーチームで起用した。3トップでは左からKAZU、ミクレナス、コズニクの布陣となるが、この場合のKAZUの仕事量は極めて多くなる。運動量の少ないMFのプロシネツキ、ムイチンをフォローする形で守備もおこない、FWとしてもゴールも狙うため、1人何役もこなすことになる。
練習中、GKと1対1になった場面で、KAZUは体を反転させてゴールを狙ったが、タイミングが悪く、瞬時にDFに戻られ絶好機を外した際に、ザイエック監督は「余計なことをせず1対1になったらすぐ打て!」とKAZUのプレーの要所要所で大声で叱咤(しった)。
しかし、一方で、KAZU本人は、頭脳的なループシュートを決めるなど余裕たっぷり、指揮官の思惑に対しても、自然体で対応している。

ザイエック監督

日刊

ミウラには、中盤とFWの両方をやってもらう。大変だが、現代サッカーではもう常識。能力の高い彼ならきっとできるはずだ。

スポニチ

(非公開練習を継続することについて)クローズは欧州ではよくあること。戦術的な練習だから土曜まで続ける。

サンケイ

攻撃的な布陣を考えている。モダンサッカーでは必要なこと。ミウラは、2トップも3トップも両方できると思う。

報知

ミウラならできる。彼に任せるしかない。
(非公開練習を継続することについて)戦術的なことをやっている以上、仕方がない。ヨーロッパではよくあることだ。

東京中日

3−4−3なら、ミウラにFW、ゲームメーカーの両方をやってもらう。近代サッカーでは、重要なポジションで、ミウラは十分にこなせる。
非公開はリエカ戦前まで続けるし、来週もやる。欧州では大事な試合前に戦術的な練習をするときは当たり前。(しかし地元記者によれば、国内リーグ戦前の練習を非公開にするのは初めてだという)

 


1999.03.03

3日午前中C・ザグレブのKAZUはは3日、毎日別メニューでGKを立て、キック練習することをザイエック監督に直訴し、了承された。
3日午前、KAZUは、ミキッチ、ビスチャンら20歳代前半の若手だけのキック練習に交じって若手9選手に交じり汗を流し、シュート練習を敢行した。この日も前日に続きグラウンドから取材陣を締め出したが、その中で、KAZUは1時間で約70本のシュートを放った。さらにその後、クロアチア代表GKラディッチを立て、1本ごとに感触を確かめながら、PK練習を繰り返した。7日に先発復帰するKAZUは自分の初ゴールでC・ザグレブの不穏な空気を一掃するつもりだ。

●KAZUは3日、午前練習を終えた後、ザグレブ市立図書館で行われたクロアチア俳句協会(ビスニア・マックマスター会長)主催の「ひな祭り・子供俳句祭り」にスペシャルゲストとして参加した。質問コーナーや「さくら・さくら」などを合唱後、KAZUは「みんなと触れ合えてよかった。ぜひ競技場にも足を運んでください」とあいさつ。約120人のザグレブの子供たちから拍手を浴び、サイン攻め・質問攻めにあった。残念ながらKAZUが俳句を詠むことはなかったが、同協会のデヴィデ名誉会長は「ミウラさんは素晴らしい人。この国にきてくれてよかった」と語り、KAZUに対して即興で一句。

「Japanese heart(5) and Croatianfootball(7)happy mariage(5)」
(日本の心とクロアチアのサッカーがめでたく結ばれた)

●3日、KAZUが極秘に引っ越ししていたことが判明した。それまでザグレブ市内のホテルに長期滞在していたが、先週2月27日から市内の新築マンションで暮らしている。不要な混乱を避けるため、報道陣に黙ってホテルを後にしたという。新居は練習場やクラブハウスのあるマクシミルスタジアムから車で10分。まだ家具などはすべてそろっていないが、代理人の2人で住んでいる。KAZUは新居を気に入っている様子で、サッカーにより専念できる環境を手にしたよう。

●改装中のマクシミルスタジアムのリエカ・サポーター用の観客席が約2500席も不足していることが、3日明らかになった。現在、8月の完成を目指してスタンドの改修工事の真っ最中だが、通常、相手サポーター用のゴール裏の北スタンドが使えない。約4000人を収容できた西メーンスタンドが、工事が進み2500席に減少。しかし、サポーター同士の衝突を避けるためには、両者を完全に隔離する必要があり、観客の安全を守るため、さらなる大幅な座席縮小が避けられなくなった。初の首位浮上に沸くリエカからは約3000人のサポーターが来襲予定で、入場できないファンが大暴れするのは必至。

ノボセルGM

うちのサポーターだって殺到する。混乱を避けるため今まで閉めていたゴール裏側の南スタンドを開放しても、リエカ側には630席しか用意できない。私自身、どうしていいかわからない。深刻な事態だ。

リエカサポーターは「無敵艦隊」

クロアチア・リーグのサポータ事情


1999.03.02

2日の定例記者会見にはKAZUが初めて呼ばれた。その席で、ザイエック監督がカズのスタメン復帰を明言。
その後の午後練習は、監督就任後初の非公開とし、臨戦ムード。いつもはサポーターも自由に見学できるグラウンドは警備員が部外者を締め出し、KAZUは、リエカへの情報漏れを恐れる緊迫した雰囲気の中、センタリングからのシュート練習、紅白戦ではレギュラー組でプレーし、2ゴールを決めた。
(なお、記者会見の詳細は
「INFORMATION」参照のこと)

ザイエック監督

(風邪気味の状態に)咳が出るけど大丈夫。
(2月26日の試合で後半から出場した)ヴァルテクス戦でのミウラの動きはよかった。次は先発で使う。彼ほどエクセレントなプレーヤーは他にいない。ただし唯一の問題は他の選手とのコミュニケーションだ。外国人であるミウラとミクレナスの2トップの問題点はそこだけだ。リエカは強い。しかし、われわれは負けない。

 

●KAZUは3日、クロアチア俳句協会主催の「ひな祭りと俳句祭り」のオープニングセレモニーに特別ゲストとして参加する。ザグレブ市立図書館でおこなわれるイベントでは、クロアチアの約100人の子供を集めてコンクールをおこなう予定で、3日間開催される。当日はクロアチア国営放送のテレビ中継もあるなど、市民の関心は高い。

マクマスターさん(主催者)

ミウラさんが来てくださるのは素晴らしいこと。ぜひ俳句を一句作って頂きたい。

ホームで強いクロアチア・ザグレブ!

バリッチ元監督が急浮上


1999.03.01

クロアチア・ザグレブは、1日、午前、午後の2部練習を強行。選手は半分に分けられたが、KAZUたち先発組は午前、午後ともボールを使った練習。午前練習終了後、KAZUは、居残りのシュート練習に励んだ。午後はグラウンドの約4分の3の広さで、11−11のミニゲームを行った。

●カミュガ会長は1日午前、市議会議長として登庁中の市庁舎に、ザイエック監督を呼びつけ、最後通告。一方、ザイエック監督が風邪をこじらせて午前の練習を休んだ(と言っている)。

カミュガ会長

日曜(7日)までは、もう話さない。結果はピッチの上ですべて明らかになるだろう。

ザイエック監督

午前練習は風邪で休ませてもらった。会長とは会っていない。


1999.03.01

1日、練習を再開したクロアチア・ザグレブは午前、午後と極めて異例の2部練習を敢行。KAZUも、約40分にわたり、念入りなシュート練習を敢行、自らのゴールで首位奪還を狙う。

●KAZUが信頼をおく「スポーツケア・PNF研究所」の竹内章高トレーナーを週明けの9日にもザグレブに招き、マッサージや体調管理面でのアドバイスを受けることになった。試合ではキレのいい動きを見せるKAZUだが、慣れない雪上トレーニングの影響などから両足に張りを覚えているのも事実。C・ザグレブでは選手個々が2、3人のトレーナーと契約。体調管理のアドバイスや、自主トレの指導を受けていることから、カズも当地で同様の契約の検討を開始。今回、竹内トレーナーは10日間程度の滞在の予定。

リエカの最終ラインは大男?!


1999.02.28

C・ザグレブが2位に転落。代わりに1位に立ったリエカには、FW松原とMF財前が移籍しており、次節、3月7日には、C・ザグレブはホームでリエカと直接対決。勝ち点差は2で、勝てば再び首位奪回となる。首位決戦をにらんでザイエック監督は28日のリエカ戦を視察した。帰り際、リエカサポーターから罵声を浴びながらスタジアムを引き上げた。

ザイエック監督

リエカは首位がかかっているから緊張しているようだった。ふだんほど良くはないが、非常にタフで、強いチームに変わりはない。(C・ザグレブが)2位になっても関係ない。最終的にはプレーオフが重要だ。


1999.02.28

28日、KAZUはザグレブ入り後、2回目のオフをゆっくりと市内で過ごした。今回のオフは、14日以降、2週間ぶり。1日には、2月9日以降、初めて午前・午後の2部練習がおこなわれることになっており、KAZUは、久々にゆっくりと休養をとった。

●クロアチア・ザグレブのノボセルGMは28日、イタリア・ペルージャとの親善試合をおこなう可能性を示唆、実現に向けて準備に入る意向を明らかにした。C・ザグレブが欧州チャンピオンリーグやUEFA杯の常連として名を連ねる一方で、ペルージャは大舞台への進出を果たせないでいる現在、クロアチアのサッカー関係者には「ペルージャと試合をしてもメリットはない」との意見もある。だが、C・ザグレブはKAZUの加入で注目度も飛躍的に高まった点を重視。欧州を舞台にした夢マッチ構想の今後が注目される。

ノボセルGM

ミウラとナカタの対決を見たい人は多いはず。期待に応えられるよう検討したい。今季中は難しい。でも、来季開幕前の8月なら十分可能だ。


1999.02.27

27日午後、KAZUは、ザグレブ市内のコンベンションセンターで開催されている「スポーツ用品フェスティバル」に特別ゲストとして参加。C・ザグレブの公式行事の一環として、ユニフォームスポンサーのブースに立ち寄り英語で自己紹介。その後は、子どもたちとのPK合戦など、アトラクションを楽しんだ。約2000人の市民で大盛況の会場ではKAZUに、誕生日プレゼントに最高級のクロアチアワインも贈られた。
一方、クロアチア・ザグレブのカミュガ会長は27日、KAZUを後半から出場させたことなど、選手起用方法について、ザイエック監督のさい配ミスを厳しく指摘し、KAZUの先発起用を強く訴えた。同会長は3月1日にザイエック監督と会談を持つ予定で「KAZUを先発で使うように」と進言する。前節のバルテクス戦のハーフタイムにロッカールームまで怒鳴り込んだほどのカミュガ会長だが「ミウラはいいプレーを見せていた」とKAZUだけには高い評価を与えていた。

カミュガ会長

(26日の敗北は)チームにとっての恥だ。二度と繰り返してはいけない。(26日の試合では)ミウラを登場させるのが遅すぎた。月曜日(1日)に、みなさんを集めてお話しする。この前の試合はよくなかった。ミウラは先発から使うべきだったと思う。監督には「ミウラを先発から使うように」と言うつもりだ。

 

●5位チーム、バルテクス相手のC・ザグレブの惨敗から一夜明けた27日、先週末に結成されたばかりのKAZUの未公認サポーターズクラブ「ミウラ・クラブ」のメンバーが、新品のKAZUグッズを身にまとい、ザグレブの中心地「共和国広場」に集結。「ミウラが見たい! ミウラを使え!」と口々に、次週の首位決戦でのKAZUの先発起用を訴えた。 今のところは仲間内で勝手に盛り上がっているだけの状態だが、ゆくゆくはKAZU本人の協力を仰いで本格的な組織を築く構想も持っている。「今は彼にとって一番大変な時期。好結果が出るまでは、接触は避けて見守りたい」とKAZUを見守りつつ、全員が、1週間後のリエカ戦を、指折り数えて待っている。


1999.02.27

敗戦から一夜明けた27日の午前、チームはマキシミル・スタジアム横のグラウンドで練習を行った。ランニングの後、途中出場の選手や欠場した選手らで25分ハーフ、8対8のミニゲーム。全体的に疲労から動きが悪かったが、KAZUは前後半2点ずつの4ゴールを決め、好調さをうかがわせた。ウワサでは、このミニゲームに「100クーナ(約2000円)かかっていた」とか。
練習後のロッカールームに1日遅れのバースデーケーキが用意されており、クラブハウスで32回目の誕生日パーティーがおこなわれ、チームメートらから盛大に祝福された。

●27日付けのクロアチア各紙は、惨敗のチームの中で、KAZUの動きを高く評価した。


1999.02.26

クロアチア・ザグレブのKAZUは、デビュー3戦目で初のアウエーとなる5位バルテクス戦で2点リードされた後半から出場。前線でポスト役、中盤ではゲームメーク役と活躍したが、シュートは2本でノーゴールに終わった。C・ザグレブは0―2で敗れ、28日に2位リエカが勝てば、今季初めて2位に転落する非常事態に陥った。
GKラディッチが右ふくらはぎ痛、DFユリッチ、MFクルズナルが出場停止などのため、前戦から先発を6人入れ替えたCザグレブ。腰痛から6カ月ぶりに復帰した司令塔プロシネツキは全く動けずに、すぐにDFの最後尾に取り残された。ポッカリあいた中盤のスペースを、ヴァルテクスに突破された。負傷明けでいきなりリベロに起用されたルカビナは、本来は攻撃的なウイングの選手。押し込まれるたびに真っすぐ後退し、さらに中盤をいいように使われた。
後半開始から投入されたKAZUには、ロッカールームのボードに書かれた「3―4―3」といったシステム変更と「左に行け」とだけ指示されて飛び出した。
後半29分に、やっとプロシネツキからのスルーパスが出て、角度のない位置から左足で思い切り蹴ったボールは、ゴール右ポストをかすめていった。38分にKAZUのポストプレーから得た決定機もミクレナスのシュートがGK正面。後半はKAZUの活躍で流れを作ったが、2点のビハインドを跳ね返すことはできなかった。

ザイエック監督

勝利に対する執念の差で負けてしまった。後半は攻撃的な布陣でプレッシャーをかけたが、肝心なところで点がとれなかった。今日のミウラのプレーには、とても満足している。ゴールにならなかったのは、運がなかっただけだ。

ヴァルテクス・ベセック監督

ミウラはとても危険な選手、グッド・プレーヤーだった。テクニックだけではなく、創造力もある。彼を止めようとマークをつけさせてから、リズムが崩れて防戦一方になってしまった。 タイプの違うミクレナスと2人が先発だったら怖かった。(試合としては)いい時間帯に得点が入った。強敵を相手に最後まで集中力が切れなかった。

 

●ザグレブから約90キロ離れたヴァラスディンでも日本人サポーターが観戦した。ザグレブ市内から電車で来た学生3人は、車内でCザグレブサポーターに襲撃されたという災難にもめげず、「駅から警察にガードされて来ました。怖いけどKAZUを応援します」と決死の覚悟の応援。また、ザグレブ市内のユースホステルで試合があると聞いてバスで来た学生4人グループは「町を歩いていたらミウラ、ミウラと呼ばれた」とKAZUの知名度の高さに驚いていた。

あわや大惨事

カミュガ会長が現場介入?!


1999.02.26

26日朝は、午後8時(日本時間27日午前4時)からのヴェルテクス戦のため、約80キロ離れたバラジディン市に移動。
26日はKAZUの32回目の誕生日。ノボセルGMから「ハッピーバースデー、カズヨシ」と書かれたクリスタル製の置物をプレゼントされた。チームメートからは祝福のキス! の嵐。KAZUは困惑しながらも笑顔を見せていた。
また、26日付けの地元紙にも、「お誕生日おめでとう」と日本語が掲載された。また、クラブ事務所には祝福のファクスや手紙が届けられた。
さらに、クロアチア・ザグレブは4月から着用する新ユニホームを3月下旬に正式発表する予定だが、そのお披露目のイベントにKAZUの起用を検討していることが26日、明らかになった。

ミフカ広報

新たな伝統を築く第1歩として、ユニホームを変えることにした。4月の発表の席ではKAZU選手に協力をお願いすることを考えている。ミウラは新しいチームの顔。ぜひ、やってもらう方向で検討している。

ノボセルGM

あす(27日)の昼食にみんなでお祝いしようと思っている。

 

●人気爆発中のKAZUグッズにまたまた新製品が登場。顔のアップ写真がカラープリントされたTシャツ(75クーナ=約1500円)で、近日中に発売される。今回のTシャツは、「MIURA」より「KAZU」の文字の方が大きくなっているもの。「KAZU選手に関する商品への関心、反響は凄い。可能な限り生産しています」クラブ関係者もうれしい悲鳴を上げながら準備を急いでいる。

●クロアチア・メディアは、日本から来るサポーターを『ミウラ・マニア』と報じ、日本の報道陣までもが「24時間、一時もミウラから目を離さない人たち」という意味でそう呼ばれている。連日、KAZUについて質問攻めにさらされるザイエック監督は、この『ミウラ・マニア』現象を肯定的にとらえている。『ミウラ・マニア』現象は、3月7日に対戦するリエカにも波及している。リエカには、財前と松原が移籍し、同チームのゴラチャン監督は「日本人対決が実現すれば、海外でまだあまり知られていないリエカが世界に知れわたるチャンスだし、マスコミやファンも歓迎したい」と話した。

エンブレム&ユニフォームを4月4日から一新


1999.02.25

時差(8時間)の関係で日本で26日になった25日夕方、滞在するホテルで、日本からの報道陣主催の「誕生日会」が開かれた。直径50センチの特大ケーキに「KING KAZU」の文字を見つけ、KAZUは目を細め32本のろうそくを吹き消した。


1999.02.25

クロアチア・ザグレブは、26日午後8時(日本時間27日午前4時)にヴェルテクスと初のアウェー戦を戦うが、FWのKAZUが先発から外れることが決定的となった。
ケガからの復帰や出場停止などで前節までとは大幅にメンバーが入れ替わる非常事態を前に、ザイエック監督が25日午前10時30分からの定例会見で「戦術的な理由から」と決断、口にしたもの。KAZUに代わってミクレナスと2トップを組むのは、成長著しい若手のミキッチ。デビュー3戦目で早くもレギュラーの座が危うくなったKAZUだが、32歳の誕生日はスーパーサブとして初ゴールを狙う。

ザイエック監督

ミウラは次の次のリエカ戦(3月7日)では先発で使う。
しかし、あす(26日)はベンチには入れるが、試合に出るかどうかはわからない。常にメンバーをチェックする必要があるからね。
KAZUの実力はわかっている。KAZUの状態が悪いからではない。単に戦術的な理由からだ。コンディションの悪いグラウンドでまでミウラにリスクを負わせたくない。KAZUやプロシネツキはまだ100%の体調じゃない。グラウンドの状態も悪いらしいし、4月のプレーオフ(順位決定戦)に万全で臨んでほしい。
(カミュガ会長の緊急召集について)大事な試合前にはよくあること。モチベーションを高めるためで、特別なことでない。

ブラディッチ広報部長

ずっと注目されて、疲れもたまっているミウラに無理はさせられない。彼の本当の出番は4月のプレーオフなんだからね。ミウラはそれに合わせて準備させたほうがいいと、監督は考えたのではないだろうか。

 

●KAZUが滞在するインターコンチホテル内にある、ビューティーサロン「メージャ」は、MFプロシネツキのお気に入りの店。欧州では男性がエステに行くのも違和感がないが、プロシネツキもそこで、フットマッサージやペディキュアを受けるそう。女店長のアニシャさんは「ロビー(プロシネツキの愛称)はよく来るのよ」と、2ショットの写真を前に自慢げ。KAZUもここで散髪をしており、レジの前には店長との記念写真がしっかり飾ってある。


1999.02.24

練習に先立ち、午後2時に招集がかかり、クラブハウスに選手が集合。クロアチア・ザグレブのザイエック監督が、約40分の異例の特別ミーティングで、KAZUら全選手をしかり飛ばした。21日のスラベン・ベルーポ戦の大苦戦に危機感を抱いた同監督は「次は絶対に、いい内容で勝て!」と厳命、緊張感を高めた。
さらに、次戦は欠場となるユリッチがKAZUにチームのまとめ役を期待し、ザイエック監督がKAZUに個別ミーティング。
その後、競技場に隣接する森林公園に行き、クロスカントリー。氷結してる周囲約1キロの池の回りを1周走ると、急傾斜を上りおりした。次のバルテクス戦から復帰出場が決定しているプロシネツキも先頭で汗だくになってチームを引っ張った。
午後の紅白戦でKAZUはBチームでプレー。2ゴールを挙げたが、26日のバルテクス戦での先発の座は安泰ではないだけに、KAZUに危機感が漂ってきた。この日の記者会見では、ザイエック監督は「17日のムラドスト戦より、良くなかった選手が何人かいた」と不満を漏らし、その一人として「ミウラ」の名前をあげ、KAZUは次の試合の結果が求められる。

ザイエック監督

(定例記者会見で)
(21日の試合では)イエリチッチ、シャリッチ、ムイチン、ミウラ、ミクレナスは、初戦のようなプレーをしなかった。(ただ)KAZUが点を取れないのは、彼の能力の問題ではなく、チームとして機能していないという組織の問題だ。君たち(日本の報道陣)と同じように私だって早くミウラのゴールが見たいよ。
現時点でもミウラとミクレナスのコンビがベスト。言葉がわからないところに来て、すぐ実力が出るとは思っていないし、かといって何もナーバスになる必要はない。プレーオフの活躍に期待している。
(21日のベルポ戦ではKAZUに対する評価が厳しかったが)相手がリエカでも、ハイデュクでも、ミウラはペナルティエリア内で十分に仕事ができる。残り試合ですぐ結果を求めないし、だいたい、いい選手でなければ私が試合で使うはずないだろう?
(プレーオフでのシステムについて)基本的には3−5−2だが、3−4−3もあり得る。そのとき、ミウラは3トップ左のウィング気味のポジションで使う。

 

●クロアチアリーグ2位、リエカのFW松原良香とMF財前宣之が3月7日の対クロアチア・ザグレブ戦でそろってデビューすることが24日、明らかになった。リエカのネナド・ゴラチャン監督が「彼らを7日から出場させる」と明言した。C・ザグレブのKAZUも出場すれば、クロアチアで、史上初の日本人対決となる。

財前

KAZUさんからはクロアチアに来てから何度か電話で励まされました。日本ですらまだ対戦したことはなかったのに。

松原

小さいころから、あこがれだったKAZUさんと同じ条件で対戦できるなんて。絶対に自分が出て点を決めたいですよ。

MFプロシネツキ、26日先発濃厚

カミュガ会長厳命


1999.02.24

24日午前、ザイエック監督やチームメート6人とともに、KAZUは、ザグレブ郊外の国立青少年障害者養護センターを慰問に訪れた。
243人の入所者と40人のスタッフにチームグッズを配ったり、子供たちからの質問に丁寧に応対した。センター内でもKAZUの知名度は抜群だったが、質問コーナーでは監督が英語で通訳するなどコミュニケーションにひと苦労。ザグレブについての感想を聞かれ「クロアチアのサッカーは非常にテクニックを必要とし、頭を使う。ザグレブは美しい町で、食べ物もおいしい」と言ったところで、ザイエック監督に「女性はどうなの?」と突っ込まれ、苦笑いしていた。
黒のスーツで決めたKAZUの姿に「かっこいい」「サッカー選手じゃなくてモデルみたい」と歓声が上がった。

ルジトゥア副センター長

ミウラ選手は俳優みたいな人。サッカー選手には見えないですね。

 


1999.02.23

23日夜は元G大阪監督で、現在はNKザグレブの指揮を執るクゼ氏と会食。クロアチア情報をどん欲に収集した様子。
クゼ監督はKAZUに「なかなか格好がいいねぇ」と声をかけるなど、なごやかムード。


1999.02.23

23日、KAZUは、ザイエック監督をはじめ、FWミクレナス、DFビスチャンら看板選手7〜8人とクロアチア・ザグレブを代表し、約5キロ離れた国立青少年障害者養護センターで暮らす子供たちを24日に慰問することがわかった。
同センターには小児マヒや筋ジストロフィー患者などの後遺症でハンディキャップを持つ14〜24歳の青少年243人が共同生活を送り、教育や治療を受けている。
KAZUは、酸素吸入器を購入するための寄付金とともに、ユニフォーム、ボールなどを持参し、激励する。クロアチアに来て初めて、チームの慈善行事に参加することになる。

ブラディッチ広報部長

うちはずっとこのような行事を続けている。年に2回ほどおこなっていますが、子供たちは選手が訪問するだけで、いつも大喜びします。
今回はセンター側からせっかくの機会だし、ぜひKAZUをとの希望を受けたので、本人に協力を求めました。KAZUもきっと大歓迎されるでしょう。

ルジトゥア・ボサク副センター長

ミウラ選手の名はセンター内でも有名です。毎日のように新聞に出ていますから。うちにはサッカーに取り組む生徒もいますので、みんなとても喜んでいます。本当に楽しみですね。

 

●KAZU人気でCザグレブの公式ユニフォームがクロアチアから消えてしまった。既に500枚ほどは日本を含めた海外に出たとされるが、殺到するオーダーをさばききれない状況。また、4月のプレーオフからユニフォームが新しくなるため、製作は中断。6月に新ユニフォームが日本に入荷される予定だが、日本では3カ月あまり新ユニフォームのゲットが不可能となる。


1999.02.23

23日、KAZUは午後2時から、移籍後初の本格的チーム全体ミーティングに参加、調整した。14日以来、休日なしだが、26日の試合後のオフを楽しみにしている。
一方、現在、背番号「11」をつけるMFルカビナがこの日の練習後「喜んでミウラにあげたい」と無条件でエースナンバーの譲渡を約束。ルカビナは視野の広さと展開力に定評のある守備的MF。3年前にNKザグレブから移籍以来、背番号は「11」だが、現在右ひざ痛で戦線離脱中。
また、ザイエック監督は、この日の記者会見で、KAZUが「FK、CKを蹴りたい」と立候補したことに対して、まだ難しいといった見解を述べた。

ザイエック監督

ミウラのキッカーとしての才能は十分承知している。しかし、まだ言葉も分からない新しい選手がセットプレーの指揮を執るのは難しい。

MFルカビナ

KAZUが11を欲しがっているのは知ってるよ。まだKAZUからな何も言ってこないけど、もし欲しいというなら、ぜひあげたいね。全く問題ないよ。僕は中盤だし、リベロもやる。ストライカーじゃないから、「11」はいらない。愛着もない。あげるよ。11になってからケガも多いし、僕にとってはアンラッキーナンバーなんだ。前のチームでは8番だったし、僕がほしいのは7。11は好きな番号じゃない。僕の信頼する人も番号を変えた方がいいと言っている。

 


1999.02.22

22日午後の練習後、KAZUはザグレブ市内の理髪店で散髪、26日午後8時(日本時間27日午前4時)からのヴァルテクスとのバースデー決戦に向けて気分転換を図った。スポーツ刈りのヘアスタイルは従来通り。


1999.02.22

最下位のスラベン・ベルポとホームで対戦し、2―1で辛くも勝った試合から一夜明けた22日、ザグレブは強い雨が降るあいにくの天気。KAZUは、午前中、マキシミル競技場のクラブハウスと、同競技場のファンショップを訪れた。新聞の低い評価については「あまり気にしてないよ」とさばさばした表情で、自分のポスターやレプリカTシャツを見ながら、「売れるかなぁ」と興味津々。
午後から行われた室内練習では軽めの調整をおこなった。
この日はまた、2試合連続で先発出場、2戦を終えての感想を日本のメディアに語った。その中でKAZUは、クロアチア・ザグレブの単調な攻めに危機感を示した。CK、FK、PKのキッカーとして攻撃の組み立て役を務めたいとも発言、積極的な姿勢を見せた。
一方、21日の試合で、C・ザグレブを苦しめた相手チーム、スラベンベルポのボナチッチ監督は、積極的にDFの背後を突くKAZUが前半でいなくなったことはラッキーだったと発言した。

カミュガ会長

満足している。プロシネツキが戻れば、KAZUの良さも生きるはずだ。

スラベンベルポ監督

KAZUがいなくなってから、Cザグレブはただボールを前線に大きく蹴り込むばかりのサッカーになってしまった。ウチにとってはラッキーだった。KAZUは技術が高いし、よく動くからね。

 

●22日付のクロアチア各紙は、デビュー戦の時とはうって変わり、KAZUに対して厳しい評価を与えた。1部リーグの6試合がそろって開催されたことに加え、チームのロスタイムでの劇的な勝利の陰に隠れ、各紙ともKAZUについての記述がほとんどなかった。スポーツ紙のスポルツケ・ノボスティの採点は、DFトキッチと並ぶ、チーム最低の5.0。ユタルニストも「ミウラには、がっかりさせられた」とコメントつきで5.0。常に辛口の有力紙ベチェルニリストに至っては、下から2番目の評価。
しかし、KAZU本人は至って冷静で「気にしていないよ。前半だけだったしね。それだけ真剣に見てくれている証拠」とニヤリと笑って受け流した。

ヴァルテクス戦はナイター


1999.02.21

ロスタイムでの劇的な勝利を、KAZUは試合終了2時間半後に知った。0―0の前半で退いたKAZUが着替えを終え、再びグラウンドに現れたのは、終了10分前。前半交代直後にシャワーを浴び着替えを済ませたため、チームが先制されていたことを知らなかった。終了直前の決勝点に喜ぶ仲間を不思議そうに眺めてからホテルでの記者会見に出席。薄氷を踏む勝利と知ったのは試合終了約3時間後、雑談の中でやっと気がついた。「えっ、2―0じゃなかったの? テレビにとんちんかんなこと言っちゃったよ」。そんな気持ちのゆとりも次こその期待を強くさせる。

C・ザグレブがペルージャ・中田に興味?!


1999.02.21

2月28日に予定されていたサッカー・クロアチアリーグ・19ラウンド、クロアチア・ザグレブ―バルテクス戦が、26日に早まることになった。バルテクスが3月4日に欧州カップウイナーズ杯でマジョルカ(スペイン)との対戦を控え、その準備期間を確保するため、21日までに変更を申し入れていたもの。26日はKAZUの32歳の誕生日。「今度はバシっと決めたいね」KAZUは力強くバースデー・ゴールを約束した。
一方、C・ザグレブのノボセルGMは、「KAZUの誕生日を祝うセレモニーをクラブとして考えている」と発言。ザグレブ市内でバースディパーティーを企画している。


1999.02.21

クロアチア・ザグレブは21日、スラベン・ベルポと対戦。C・ザグレブは苦戦したが2−1で勝利をおさめた。
KAZUは2試合連続先発を果たし、試合開始から積極的に攻撃参加。前半24分、右足で初ゴールと思われたが、オフサイドの判定で「幻のゴール」に。最下位スラベン・ベルーポの必死の守りの前に点を奪えず、前半で交代した。試合は、途中出場のMFユリチッチの試合終了間際に決勝ヘッドで、C・ザグレブが2―1で勝ち、首位を堅持した。
序盤からC・ザグレブは猛攻撃を仕掛けた。開始4分。ムイチンが得たPKに、「ユーラ(ミウラ)」「ユーラ」の大歓声。しかし、結局PKを蹴ったのムイチンは失敗。それでも、GKがはじいたボールにKAZUは反応し、飛び込んだがゴールならず。前半24分には、右サイドのイエリチッチからの絶妙なパスに、鋭く前を向き、右45度から右足でゴール左すみにドンピシャのタイミングでシュート。ネットに突き刺したが、無常のオフサイド。同44分には、シャビッチのセンタリングに頭で合わせたが、バーを越えてしまった。
最下位ベルポに守備的布陣を敷かれ、KAZUには2人のDFがピタリとマークにつき、結局、後半からFWミキッチと交代。KAZUは、後半40分ごろからゴール裏のカメラマンの近くへ来て、厳しい表情でじっと戦況を見守った。
初ゴールは32回目の誕生日、26日に開催予定のヴェルテクス戦に持ち越されることになった。

ザイエック監督

KAZUを変えたのは戦術の問題。動きはよかったし、満足している。ただ、試合の流れを変えたかったんだ。

 

●新登場したKAZUグッズが飛ぶような売れ行きを見せている。マグカップに続く第2弾として、背番号「13」の入ったユニフォームタイプのTシャツ(200Kn=4000円)46枚、「KAZUYOSHI MIURA」と織り込まれたマフラー(90Kn=1800円)100枚、ムラドスト127戦のプレー写真を使ったサイン入りポスター2種類(19Kn=200円)2000枚。「個人グッズの人気は、プロシネツキと肩を並べるほど。注文に生産が追いつかない」とクラブ関係者は語った。

●KAZUの母・由子さんもKAZUにエールを送った。ムラドスト戦の翌日18日には、KAZUから「元気でやっているから心配しないでくれ」といった電話があった。由子さんは「やってくれると信じていたけど、”やっぱり、カズだなぁ”と思った。自信を持ってやってね、と伝えました。サッカーができることが、あの人には大事。W杯のことがあってから半年かけて道を見つけ、頑張っている」と語り、息子の不屈の精神をあらためて感じている。

●KAZUとともに注目を集めているのが日本サポーター。クロアチア国内の試合では、選手個人の応援用横断幕はほどんどない。それだけに、横断幕や日の丸を振ってエールを送るKAZUサポーターの姿は珍しく映る。「これから日本人がツアーを組んでクロアチアに来るというのは本当か?」など、日本のマスコミが逆取材を受けている状況。

●21日付のクロアチア全国紙「ヴェチェルニリスト」の人気風刺漫画「オダペッティ・キスト(刺し殺すペン)」での2コマにKAZUが登場。1コマ目はミクレナスとKAZUの外国人コンビがライバル・チーム、ドラゴボルヤクの会長をかく乱。次のコマではPKを外して切腹しようとするKAZUをC・ザグレブのカミュガ会長が「たった一度の失敗で死なないでくれ!高いお金を払っているんだから」と手を合わせて懇願するというもの。

マケドニア代表DFザグレブへ


1999.02.20

20日の午前中、クロアチア・ザグレブは1時間半、雪が解け、グチャグチャなスタジアム横の第2グラウンドで精力的な練習を行った。KAZUは、泥まみれになりながら積極的な動きを見せた。
そのKAZUが、「KAZU」を取り戻した。17日のムラードスト127戦でのKAZUの活躍と、スタジアムにこだました日本のサポーターの「KAZUコール」が、カミュガ会長の心を動かした。
クロアチア・ザグレブのカミュガ会長が、ユニフォームの背中の名前を「MIURA」から、KAZUが切望する「KAZU」へと変更することを承認。早ければ28日のバルテクス戦から実現。残るは、少年時代から20年以上つけ続けたエースナンバー「11」。登録番号制のため今季中の変更は不可能だが、今後の活躍を前提に、チーム関係者も来季の「11 KAZU」を検討。今後の活躍が期待される。

カミュガ会長

ユニフォーム名の変更を認めることにしたよ。
日本のヒーローは『KAZU』だった、だからね。

ブラディッチ広報

(MIURAからKAZUへの変更について)
KAZUにはKAZU、11のイメージが定着している。カズヨシ・ミウラという日本の素晴らしい選手が、わがチームにいるということが分かればいい。

 

●20日付の地元最有力スポーツ紙「スポルトスケ・ノボスティ」は背番号13にちなみ、13の質問という企画でKAZUのインタビュー記事を掲載。「どの国でやるかは、あまり重要じゃない。僕は強いところでサッカーがしたかった」「もしクロアチアがJリーグに来たらトップレベルのチームになると思う」などと話している。さらに、「PKを外した後は悲惨な気持ちだった。でも、日本のメディアが、それ以外のプレーを称賛してくれたと聞いてうれしかった」とも語っている。
また、クロアチアの新聞では初めてKAZUの似顔絵が載ったが…。KAZU自身も自分とは思わなかったらしく「これは(中日ドラゴンズの)星野仙一さんでしょ?」と苦笑。

●新たなKAZUグッズが続々と登場した。20日、マキシミル競技場内にあるC・ザグレブのファンショップに初お目見えしたのは背番号「13」の入ったユニホームタイプのTシャツ(200クーナ=約4000円)、KAZUのネーム入りマフラー(90クーナ=約1800円)、ムラドスト127戦のプレー写真を使ったポスター(10クーナ=約200円)2種類。現在チームの中でポスターになっている選手は、若手のシミッチとニューキャッスルへ移籍したマリッチの2人だけ。21日のスラベンベルポ戦に合わせて急きょ入荷された。「できる限りの数をそろえようと、徹夜で作業を続けています」とクラブ関係者。KAZU商戦でまだまだヒートアップしそう。

 

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