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(1999.2.07〜1999.2.20)
このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。
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「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。 |
1999.02.19 |
19日午後の紅白戦で、鋭い飛び出しでゴールを連発、ハットトリックを決めるなど好調を維持するKAZUを、ザイエック監督は満足そうに見守りつつも、KAZUが、ドリブルでボールをキープし続けると「相手のサポートが来ている。早く出せ!」と大声で怒鳴るなど、叱咤激励の姿勢で臨んだ。 |
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●スラベン・ベルポのボナチッチ監督は「ペナルティーエリア付近でのスピードに乗った動きは要注意だ。彼によってCザグレブの攻撃に幅が出る」とKAZUの情報は入手、警戒している。 |
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●クロアチア最大紙「ベツェルリスト」が日本人サポーター特集を掲載クロアチア最大紙「ベツェルリスト」が19日、C・ザグレブの練習場に日本人サポーターの特集を組むため取材に訪れた。21日付け朝刊に掲載予定。ポリス記者は「クロアチアの人間は、スーケルがスペインに行っても、だれも追いかけていかないよ」と語った。 |
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1999.02.19 |
スラベン・ベルポ戦に向けて、KAZUは、19日午後から実戦形式の練習に汗を流した。マクシミルスタジアムで、合計30分間(20分と10分の変則ハーフ)でおこなわれた紅白戦では主力組に入り、14分に左CKの混戦からヘディングで先制点。さらに22分には、途中出場の主将プロシツネキからのパスをワントラップして右足でゴール。さらに25分には味方のFKをGKがはじいたところにタイミングよくつめて右足で押し込み、ハットトリックの活躍で軽快な動きを披露。 |
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●りさこ夫人と長男・良太くんが19日早朝、帰国の途についた。午前6時前に起きてザグレブ空港で見送ったKAZUは「寂しくなるね」とポツリ。それでも、3月に再びザグレブに駆けつける予定で、「テレビも決まったみたいだし頑張るよ」とブラウン管を通して雄姿を見せることを誓った。 |
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●クロアチア・ザグレブホームゲームの放映権を巡って交渉を続けていたパーフェクTVが、KAZU側と合意に至ったことが19日、明らかになった。契約には、KAZUを“特権選手”とする条文が加えられた。カミュガ会長が営業サイドに命令して急きょ加わったもので、「ミウラをチームの中心選手として『保証』する」いう内容。ザイエック監督もすでに了承済みで、今後、けがなどの特別な事情がない限り、KAZUを試合で使うという約束に相当する。契約はすでに終了している17日のムラドスト戦から、3月21日のハシュク・スプリット戦までの6試合で、放映権料は総額1200万円(推定)で合意したもよう。4月4日以降のプレーオフに関しては未定。基本的には録画放送で、通常、番組宣伝に利用する無料の「チャンネル200」で放送する。 |
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●KAZUの活躍に対する反響は大きい。有力一般紙「ベッチルニリスト」は19日、「ミウラはアーティスト。技術があり、シュートもただ打つだけでなく、何かしてくれる。観客にアピールする何かを持っている。シュート1本にしても華がある。ファンもそのプレーを喜んでいる」といった記事を掲載。また「ユタルニリスト」紙も、「プロシネツキがいないチームを引っ張った」と高く評価。さらにテレビ局OTVは19日午後のニュース番組内でKAZU特集を放送するなど、関心の高さを示している。 |
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●13日に緊急発売されたKAZUのカラー写真入りマグカップ(30クーナ=約600円)が爆発的人気を呼び当初用意した107個が完売。急きょ、この日50個が再入荷された。「何とか追加しましたが、生産が間に合わない状態。プロシネツキ(主将)に次ぐ人気ですね」とCザグレブのグッズ担当者。ユニホーム、タオルマフラーなどチームグッズも飛ぶように売れており、ピッチ外でもKAZUフィーバーがわき起こっている。 |
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1999.02.18 |
午後のウォーキングでは、スペイン語ができることから仲のいいDFユリッチが散歩についてきた日本の報道関係者のカメラを借りてKAZU番のカメラマンに一時“変身”し、「カズ〜、ボア ソルテ(ポルトガル語で「グッドラック」)」などと、和やかな雰囲気。 |
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1999.02.18 |
試合明け18日、KAZUは、午前中、日本・クロアチア報道陣との取材をこなし、午後からは記念すべきデビューを刻んだマキシミル競技場隣の公園でウオーキング。さらに競技場内でフィジカル・トレを行うなど、意欲的な1日を過ごした。 |
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●1歳5カ月の良太君もパパに声援を送った。マクシミール競技場のVIP席から、KAZUの雄姿を見守った理佐子さんは「パパが動いているのが分かったみたいで、ボール、ボールと言って(頭を触る)パパを意味するポーズをしていました」と笑顔で話した。試合観戦は17日の開幕戦だけで、帰国の途につく。 |
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●ノボセルGMがKAZUを“模範生”に指名。クロアチアの選手たちの中では、飲酒や喫煙が日常茶飯事となっているだけに体調管理に人一倍注意しているKAZUが、選手たちの意識改革に一役買うことになりそうだ。「KAZUは、常にいいコンディションを維持している。クロアチアの選手たちが彼から一番見習わなくてはいけないのはそこだ。今後もKAZUが活躍してくれれば、我々にいい影響を与えてくれるに違いない」とKAZU効果に期待を寄せ始めた。 |
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●18日、CS放送のスカイパーフェクTVがチームと電撃交渉を行った。この日午前、KAZUの代理人らが市内のCザグレブの事務所を訪れ、ブラノビッチ球団弁護士、ズブリニッチ・マーケティング・マネジャーらが約3時間の交渉。その結果、スカイパーフェクTVが日本国内で中継することに合意した。1試合の放送権料は約200万円。これは「セリエAの1試合当たりの値段と同程度」(関係者)で、クロアチア国営放送が収録した試合のテープを日本に3日以内に送り、放送される手はずとなった。また、ニュース枠での映像などに関しては大手広告代理店が一手に引き受け各局に手配することも決まった。KAZUのプレーを中心に3分間のダイジェスト版を日本へ配信することも決定した。 |
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●クロアチアでのデビュー戦勝利から一夜明けた18日、KAZUは日本テレビ「プラス1」に衛星生出演。現地時間は早朝10時とあって「ちょっと疲れてますね」とジャージー姿のKAZUは苦笑い。それでも「自分が思っていたより動けたし、PK以外は良かった。サポーターの声援も聞こえました」と表情は明るかった。最後は「プライドや自信をなくしかけたこともあったけど、自分の中にあるチャンピオンベルトを取り戻したい」と力強く語った。中継後は、テレビ局内をKAZUが歩くと、写真やサインを求める女性職員が続出、一夜にしてKAZUの知名度は上がった。 |
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1999.02.17 |
クロアチア・ザグレブに移籍したKAZUが、クロアチアリーグ再開のムラドスト127戦にFWで先発デビュー。気温2度と冷え込んだ本拠地マクシミール・スタジアム。スタンドは改修中のためゴール裏などが閉鎖されていたが、メインスタンドはほぼ満員。立ち見も出て4000人が駆けつけた。勝利のカラーと恐れられる“ロイヤルブルー”のユニホームの背番号13を身につけ、先発を告げるアナウンスとサポータによる「ユーラ(ミウラ)、ユーラ」の声援の中、KAZUはピッチに登場。 |
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●オフィシャルショップもカズの顔写真入りのマグカップをズラリと並べた。この日は日本人サポーターが訪れたため約100個が即座に完売。店員もカズ効果。 |
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●16日発売の地元有力タブロイド週刊誌「ナチオナル」は、デビュー戦直前のKAZU特集を2ページにわたって組み、クロアチアに来るまでの経歴や抱負、大好きな映画「ゴッドファーザー」に関するインタビューを掲載。笑顔が大きく載っていて、KAZU自身も「よく撮れてるね」とお気に入りの様子。 |
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●異国で活躍するKAZUを支える理佐子夫人は、VIP席で長男の良太君ろ一緒にKAZUの雄姿を観戦。和食の差し入れをする一方、かぜをひいたりさこ夫人のために、KAZUが薬を探しに市内を走り回ったりと二人三脚はがっちり。また、伯父・納谷氏も一緒に観戦した。 |
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●KAZUのデビュー戦に合わせ日本からやってきた報道陣は、テレビクルーを含め約60人。改築中のメインスタンドの一角には特設記者席が設けられ、パソコンを広げる記者、カメラマンが試合前からずらりと並んだ。また、クロアチア国内のマスコミも110人を超えるなど、通常のリーグ戦の10倍を超える注目度となった。「やっぱりKAZUの力でしょうね」とクラブ関係者。試合後には、メディアの希望に応えるため、特別にKAZUの記者会見を設定した。 |
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●KAZUを応援するために日本からやってきたサポータは約60人。「BOA SORTE KAZU」「KING KAZU」などと書かれた横断幕や日の丸が掲げられた。ツアーではなく、それぞれ個人旅行で偶然集まったKAZUファンが一致団結。試合前から熱心に声援を送った。 |
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●KAZUが、平和の「親善大使」となる。KAZUの叔父納谷氏が団長を務める清水の応援団「シャペウ・ラランジャ」が、サッカーを通じたボランティア活動の一環として、クロアチア国内のボスニア難民キャンプに、特製のサッカーボール500個の寄贈を企画。自ら贈呈役に「サッカーを愛する日本の私たちは、君たちにこのボールを贈ります」。クロアチア語のメッセージ入りのボールとともに、KAZUが難民キャンプを訪れる。 |
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1999.02.16 |
16日午前11時(日本時間午後7時)からの練習は、ボール回しだけで、軽い調整。その後、午後6時にはスタジアム近くのシェラトンホテルに宿泊、戦術面の最終的な詰めを行った。そこで、ザイエック監督は注目のスタメンを発表。KAZUをスタメンで出場させることを明言すると同時に、さらにゴール前ではKAZUにボールを集めて得点を狙わせる方針を示した。 |
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●KAZUがムラドスト127戦試合前に観客に対して入団あいさつを行う予定。昨年暮れの移籍決定後、ユニホーム姿でホームのピッチに立つのは初めて。熱狂的サポーターBBB(バッド・ブルー・ボーイズ)へも初お目見えとあって、クラブ側は同じく新加入のミクレナスとともに紹介を兼ねた簡単なセレモニーを企画している。 |
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●17日にいよいよデビュー戦を迎えるKAZUに親友・北澤もキャンプ先の宮崎から熱いエールを送る。「雪はどうなの?」と現地の状況を報道陣に逆取材。問題がないことを知り「よぉ〜し!」と力こぶを作ると「頑張ってほしいよね。家族も行っていることだし。あの人は最初が肝心だと思っていると思う」と語った。 |
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●伝統あるザグレブの強力なサポーター集団「BBB(バッド・ブルー・ボーイズ)も、『ユーラ(ミウラ)』を後押しすることを決めた。「ミウラの生き方はサムライを連想させる。それは、われわれの精神と近いものである。クラブはスポンサーを期待して抜擢したかもしれないが、そんなことはどうでもいい。おれたちは、あいつを一選手として応援したいと思う」(BBB現リーダー:バイッジ・スタンコ氏)。 |
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1999.02.16 |
クロアチア・ザグレブのFWカズの先発デビューが16日、正式に決定した。17日のリーグ再開を翌日に控えたこの日、ザイエッツ監督がカズのスタメンを明言。同じく新加入のFWミナクレスと2トップを組み、ムラードスト127戦に臨むことになった。 |
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1999.02.15 |
15日の練習で、KAZUは、先発組でミニゲームに出場。 |
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●KAZUの初陣を見ようと、続々と日本人がザグレブ入りしている。理佐子夫人、長男・良太君、伯父の納谷聖司さんら親族だけでなく、関係者によると、15日夜(日本時間16日未明)までにドイツ経由などで50人以上の日本人がクロアチアに入ったという。また、クラブに申請が出た日本の報道陣は30人を超え、「キング・カズ」の舞台は整った。 |
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●地元マスコミもKAZUを高く評価。クロアチア唯一のサッカー専門紙「コゴメット」のマリオ・ゾルコ編集長は、「KAZUはクロアチアリーグでベスト3に入る、実に素晴らしいFWだ。私はジェノアでのKAZUを取材したが、開幕直前までは絶好調だった。それなのに突然のアクシデントで調子を崩し、そのままシーズンが終了。もともと能力が高いストライカー。クロアチアでは3本の指に入る」と絶賛。 |
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1999.02.15 |
15日午後3時から本拠地マキシミル競技場内の練習場で調整した。17日のリーグ戦再開のムラドスト127戦を控えて試合時間に合わせたものだが、KAZUは紅白戦でミクレナスとレギュラーチームでプレーし、表情には余裕も漂った。FKの場面では相手DFの壁の横に立ってGKの視野を妨げるようザイエック監督から指示されるなど、先発を意識しての練習に終始した。練習後、KAZUは、同監督と二人で動き方をさらに確認した。 |
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●15日、午前10時から始まったマキシミル競技場の整備作業。係員5人が2台の除雪車と除雪用の小型ブルドーザーを使用し、20センチ近く積もっていたピッチ上の雪をかきわけていく。クロアチア国軍の軍人150人を動員した大がかりな除雪作業で、試合当日は天候さえ崩さなければ、通常に近いピッチ状態で試合ができるという。16日の天気は晴れ。試合当日は曇りで、雪が降ってもちらつく程度と、天候が大きく崩れる心配はない。同競技場のサコマン副マネージャーは、「17日の試合に向けての準備です。今後、雪が降ってもせいぜい積もるのは1、2センチ程度。試合当日は全く雪がない状態になり、プレーへの影響はないはず。後は運を天に任せるだけですが、大丈夫でしょう」と語った。 |
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●クロアチアの有力紙「ユタリニリスト」は15日付のスポーツ面のトップ記事としてKAZUのインタビューなどを掲載。同紙はKAZUの年俸を約1億2600万円と報じた。また、体力面でW杯得点王のスーケル(クロアチア代表)の2倍はあると絶賛。KAZUは「具体的な数は言えないが、できるだけ多く得点を決めたい。みんなの信頼を得る自信はある。クロアチアで活躍すれば、日本代表復帰も考えられるようになる。37、38歳まではプレーしたい」などと語っている。 |
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●3月初旬に日本大使館主催で、在留邦人と、KAZUらクロアチア・ザグレブ選手の懇親会がおこなわれることになった。大使館員、ザグレブ市在住の邦人25人と、クロアチア・ザグレブのザイエック監督、KAZUら主力選手数人が出席予定で、KAZUを激励するとともに、KAZUを通じて日本、クロアチアの友好を図る。「試合にもできる限り応援に行きたいと思っています」と照内朗人2等書記官。在留邦人の表彰に関しては各国大使館に決定権があるとされ、KAZUのプレー次第では新たな栄誉を手にする可能性も浮上してきた。 |
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1999.02.14 |
オフとなった14日、KAZUは理佐子夫人、良太君と家族水入らずの時間を過ごし、夕方からは筋力トレで汗を流した。KAZUは滞在先のホテルで理佐子夫人、良太君とくつろいで過ごし、夕方の自主トレはホテルのプールで軽く泳ぎ、サウナで汗を流すだけにとどめた。「あんまりやり過ぎてもよくないしね」と久しぶりのオフに体を休めたようだった。
前夜(13日)は在クロアチア日本大使館職員に夕食の招待を受け、天ぷらなど和食に舌鼓。気持ちも新たに15日再開の練習に参加する。 |
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●理佐子夫人、長男・良太君に続き伯父の納谷聖司さんが14日夜(日本時間15日未明)にマドリード発のイベリア航空機でザグレブ空港に到着。空港まで自分の車で出迎えたKAZUとの約1ヶ月の再会に、日本からまんじゅうを持参して納谷氏も「好調そうだね」とニッコリ。「日本のサッカーファンもKAZUのプレーに注目している。W杯で日本が敗れたクロアチアで、どれだけ活躍できるか楽しみにしている。ここで思いっきり活躍して昨年の悔しさ(W杯代表落ち)を晴らしてほしいね」と17日のムラドスト127戦に大きな期待を寄せた。 |
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1999.02.13 |
クロアチア・ザグレブのベルミール・ザイエック監督は、13日、17日のリーグ再開戦、ムラードスト127戦が雪上試合となる場合、FW三浦知良を先発から外す可能性があることを明らかにした。 |
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1999.02.13 |
クロアチア・ザグレブは13日午前、悪天候の中、ミニゲームによる練習をおこなったが、同クラブのズラトコ・カミュガ会長とブラジェビッチ最高顧問(クロアチア代表監督)が初めてKAZUの練習を視察した。 |
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1999.02.12 |
12日、KAZUは11日深夜にザグレブ入りしていた、りさ子夫人・良太くんと市内を散策。1ヶ月ぶりの親子3人でリフレッシュした。りさ子夫人と良太くんは、17日のムラドスト戦を観戦、10日間ほど滞在する予定。12日午後は、市内のスーパーに買い出しに出かけるなど、久々の家族との対面に笑顔がたえない。 |
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●クロアチア・ザグレブが作った「KAZUグッズ」が12日から発売された。 |
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●リーグ戦を目前にKAZUには地元メディアの取材依頼も殺到。12日午後は、クロアチア総合週刊誌「NACIONAL(ナチオナル)」の取材、インタビューに応じた。同誌は、95年11月発刊の政治、芸術なども扱う有力誌で発行部数は約11万部。サッカー選手では過去にシュケルやボバンら国民的英雄が扱われてきたが、外国籍選手ではKAZUが初めて。 |
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1999.02.12 |
クロアチア・ザグレブは、12日午後、前日に続き、ホームのマクシミルスタジアムで雪上での試合形式の練習をおこなった。KAZUは、FWミクレナスと2トップを組み、MFプロシネツキと同じAチームでプレー。ゴールこそなかったがキレのいいプレーを見せた。13日の対トレシェニフカ戦は、グラウンドコンディション不良のため中止になる可能性がたかい。14日には45分ハーフの紅白戦をおこない。プロシネツキを含めたトリオで最終調整をおこなう予定。 |
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●KAZUらクロアチア・ザグレブの首脳陣、選手らが12日午前、同クラブのカランシャル前監督の母で10日に急死したアンさんの葬儀と、先月亡くなった元用具係のマルコビッチさんの墓参りに参列した。全員が十字を切る中、KAZUは神妙な面もちで「ご冥福をお祈りしたい」と話した。 |
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1999.02.11 |
クロアチア・ザグレブは、11日午後、紅白戦をおこなった。結果は、FWミクレナスやMFプロシネツキとと同じチームでプレーしたKAZUの、左からのあざやかなゴールが決勝点となり、3−2でAチームが勝った。なお、ミクレナスは2得点。 |
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●11日午後から本格合流したブラジル人MFレナティーニョに対して、KAZUは練習前からポルトガル語で親しく歓談。レナティーニョも、「ミウラだ。僕がまだ小さいころ、サントスでプレーしているのを、見ていた選手だ。ボクはグアラニにいたので直接かかわったことはないけれど、(KAZUのことは)小さいころからテレビで見て知っていた」と意気投合。現在チームでポルトガル語を話せるのはKAZU一人、ポジション的にFWのKAZUと連携も多く、新パートナーの可能性も出てきた。 |
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1999.02.11 |
KAZUがぶっつけ本番で、17日リーグ再開戦に臨むことになりそう。10日に中止となったクロアチア・ザグレブAチームの最終調整試合に続き、13日のBチーム用の練習試合(クロアチア3部・対トルシネブカ戦)も積雪の影響で中止の可能性が高まったもので、KAZUは、2月4日の練習試合以来、ほぼ2週間実戦なしで、クロアチアリーグデビューをすることになった。この日、ザグレブは晴れたものの、練習場の雪は残ったまま。ザグレブの南300キロの温暖なポーレチでの短期合宿も考えたが、これも雪のため移動が難しいため、ホームに残って調整することになった。最悪、14日以降に紅白戦を行い、最終チェックとする予定。 |
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●KAZUに、さらに心強い補強がなされた。この日、ニューキャッスルへの移籍するクロアチア代表マリッチに代わる攻撃的MFとして、ブラジルユース代表MFレナティーニョがザグレブ入り。早速午後の練習に参加した。練習前のジョギングではKAZUがポルトガル語で話しかけるなど、コミュニケーションを図った。 |
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1999.02.10 |
クロアチア・ザグレブは10日午後、当地でスロベニア・リーグのマリボリと練習試合を行う予定だったが、気温マイナス3度のこの日、前日から降り続いた16年ぶりの大雪で積雪が20センチを超し、中止となった。そのため、KAZUらイレブンは本拠地マキシミル国立競技場でランニング中心のメニューをこなした。 |
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●10日午後8時過ぎから、KAZUは、クロアチアのスプリットで行われたクロアチア代表とデンマーク代表の親善試合をテレビ観戦。C・ザグレブ所属選手ではDFトキッチ、ツビタノビッチ、MFシャリッチが、いずれも後半から出場。試合は0―1でクロアチアが敗れたが、熱い視線を送った。 |
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1999.02.09 |
9日の練習後、報道陣の撮影した写真を見て「絶好調の時のフォームだ」と思わずうなったほど好調なKAZUは午後6時30分過ぎから、ザグレブ市内のスポーツ診療所でメディカルチェックを受けた。公式戦出場登録用の書類作成のための検査で、当初は10分程度の予定が30分近くまでかかったが、医師から合格の診断を受けたKAZUは正式にクロアチアリーグでのプレーが可能になった。「試合出場にまったく支障なし」とのお墨付きをもらったが、約3年前に痛めた古傷の左ひざのケアには注文がつけられた。「じん帯が少し緩んでいる。筋力強化をしっかりするように」のアドバイスに、KAZUは「ひざはノープロブレム。ゴムチューブで強化している」と応え、自己流の調整などで強化を継続している旨を伝えた。 |
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●KAZUの新居が、ようやく決まった。最初はクラブが用意したマンションに入る予定もあったが、静かすぎるという点が気に入らずキャンセル。スペイン合宿から戻った7日からマンションを探していたが、4日がかりでようやく希望通りの物件が見つかり、ザグレブに長期滞在する準備が整った。KAZUが契約したマンションは、市の中心部に近い一等地にある。広さは約80平方メートルで2LDK。希望だった広いリビングルームも備えている。 |
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●ザグレブ市民も「毎日、カズの記事がどの新聞にも載っている。楽しみだ」と関心が高い。チームが発行する月刊誌にも、今月はカズが登場した。移籍会見の模様がカラー2ページにわたって、大々的に紹介されている。 |
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1999.02.09 |
クロアチア・ザグレブは9日午前11時(日本時間同日午後7時)からザグレブ市内のマキシミル国立競技場に隣接した専用練習場で練習を再開、8対8のミニゲームを行った。未明まで舞っていた雪が溶けず、真っ白いピッチの上で練習は、KAZUにとって初めての経験だが、MFプロシネツキやFWコズニクらと一緒にベテランチームに入り、プロシネツキからボールを受け、コズニクにパスを出してゴールに結び付けるなど、プロシネツキとKAZUのホットラインが機能。 |
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●KAZUが記念行事の“来賓”に選ばれた。中国の旧正月を記念して15日にザグレブ市内で開かれるパーティーの招待状が9日までに届いた。今回は関係者がKAZUの中華料理好きを知り、200人の招待者の1人として参加希望を伝えたもの。クロアチアリーグ再開(17日)間近とあって出席するかどうかは未定。 |
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1999.02.08 |
8日、クラブが用意して入居予定だったマンションの諸条件が合わなかったため、市内のホテルに宿泊。チームが完全オフにもかかわらず、夕方からホテル内のフィットネスジムでエアロバイク、筋トレなどでみっちり1時間汗を流した。 |
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●8日午前中は部屋探しに奔走。自ら不動産屋を回り、数件を物色した中で、郊外の閑静な住宅地にお気に入りの物件を見つけた。 |
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1999.02.08 |
スペイン合宿終了から一夜明けた8日、チームはオフ。しかし、ホテルのジムで筋トレをおこなったKAZUが、対戦相手の分析を一切しないまま17日再開のリーグ戦に臨むことが濃厚となった。Jリーグでは対戦相手の最新のビデオなどを見て対策を練るのが常識だが、C・ザグレブはチャンピオンズリーグなどの重要な試合前にならないとそれはしない。KAZUが合流後、戦術等に関した本格的なミーティングはなく、17日のムラードスト127戦へ向けての「特別講義」が設けられる予定もない。KAZUにとっては未知の敵と戦うことになるが、問題ないと言い切り、まったく不安はない様子。 |
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●KAZUとアドバイザー契約を結んでいるスポーツメーカーのプーマが、クロアチア・ザグレブと用具(シューズorボール)契約の交渉を進めていることが、8日付のクロアチア地元紙で報じられた。「スポルツスキ・ノボスティ」紙によるとプーマでは今年8月までの半年なら8万ドル(約908万円)来年8月までの1年半の場合は20万ドル(約2270万円)の契約金に加え、欧州チャンピオンズリーグを制した場合は8万ドル(約920万円)の特別ボーナス支給の条件を提示しているという。KAZUは「以前からそのような話は聞いていた」と語った。 |
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1999.02.07 |
スペイン合宿を終えたKAZUは7日午後8時(日本時間8日午前4時)、イベリア航空機でザグレブ空港に到着した。16日間の合宿にも「疲れは残っていない」と語り、クラブが探したマンションへ直行。しかし、クラブ側が用意した練習場から数百メートルのマンションは、設備や周囲の環境が好みに合わなかったため、自分で家探しをすることにした。 |
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