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(1999.1.19〜1999.2.8)
このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。
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「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。 |
1999.02.07 |
スペイン合宿を終えたKAZUは7日午後8時(日本時間8日午前4時)、イベリア航空機でザグレブ空港に到着した。16日間の合宿にも「疲れは残っていない」と語り、クラブが探したマンションへ直行。しかし、クラブ側が用意した練習場から数百メートルのマンションは、設備や周囲の環境が好みに合わなかったため、自分で家探しをすることにした。 |
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1999.02.06 |
クロアチア・ザグレブは、7日午後、スペイン合宿を終え、アリカンテ空港からマドリード経由でザグレブへ向かった。17日のリーグ再開初戦(対ムラードスト127)に向けて、温暖なスペインから一転、未体験の寒さとの闘いに挑む。 |
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●KAZUのデビュー戦に報道陣が殺到する。関係者によると17日の試合に関して、通常10〜15人の4〜5倍、50件以上の報道陣からの問い合わせがあるという。異例の注目度ということ「もちろん日本人が多いが、クロアチア国内でもミウラへの関心は高まっている」(クラブ関係者)。 |
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1999.02.06 |
スペイン合宿最終日となる6日、KAZUは、午前中にランニングと筋トレをおこない、合宿での練習メニューをすべて終了。午後にはチームメートとホテル近くのサウナに行くなどしてくつろいだ。クロアチア帰国後は、本格的にザグレブでの生活が始まる。本拠地のマキシミル・スタジアムの近くには、クラブの配慮ですでにカズ用のマンションが用意されている。ザグレブ到着後はチーム関係者とともにマンションに移動する予定。 |
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1999.02.06 |
クロアチア・ザグレブは6日、16日間にわたるスペイン合宿を打ち上げたが、ザイエック監督は、KAZUのクロアチアリーグ再開初戦、17日のムラードスト127戦での先発出場を示唆。再開前の最後の実戦となる10日のマリボロ(スロベニア)との練習試合でKAZUを先発起用し、ムラードスト127戦に向けて最終調整させるプランを明らかにした。また、腰痛に苦しむ主将プロシネツキの回復が遅れていることから、公式戦でKAZUがPKを蹴る可能性も高くなった。 |
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●スペイン在住のハンス・オフト元日本代表監督が、KAZUの激励に現れた。グラウンドを走っていたKAZUは突然のドーハの監督の登場にびっくり。オフト氏はカルタヘーナから約200キロ離れたアステリアで現在、充電中。知人からKAZUが合宿中と聞き、夫人と一緒に、車を2時間走らせ駆けつけた。2人はホテルに戻ってから約1時間、お互いの近況を話し合った。 |
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●ザグレブ市内のホテルを“仮住まい”としてきたKAZUに対して、ノボセルGMは「新居の準備を進めている。本人に見てもらったうえで決めるが、満足してもらえると思う」と語った。駐車場つきの住居の提供は、入団の条件の1つ。ムイチンと同じ高級マンションが用意されている様子。KAZUも「ホテルも便利だけど、家の方が落ち着くからね。安全な場所が第1」と語り、7日、ザグレブへの“帰国”後は早速、家探しとなりそう。 |
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1999.02.05 |
クロアチア・ザグレブは5日に行われたAGFアーフスとの練習試合で0―1で敗れた。前夜のムルシア(スペイン)戦でプレーしなかったメンバーが主体だったため、KAZUは出場しなかった。 |
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1999.02.04 |
クロアチア・ザグレブは4日午後9時過ぎからルシア(スペイン2部リーグ)との練習試合をおこなった。ほぼベストの布陣で臨んだこの試合に、KAZUはFWミクレナスと2トップを組み先発出場したが、シュート1本で無得点のまま、前半終了と同時に交代した。試合は、MFプロシネツキのFKで1−0と勝利した。 |
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●選手の娯楽は少ない。KAZUは自由時間には自室でパソコンに向かい、インターネットを楽しむことが多い。食事はチーム一斉にとるが、午後7時30分からの夕食が終わると、ロビーに出てきて日本の報道陣と談笑することもしばしば。練習後は即引き上げるため、食事の後の談笑が、事実上の取材時間となる。時には近くのロスベロネス(町)に出て日本の報道陣と食事会をすることも。 |
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1999.02.04 |
4日午前の練習終了後、地元2部チーム、ムルシアとの練習試合(開始・日本時間5日午前5時)の前に、KAZUがクロアチアのテレビ局「HRT」の取材を受けた。同局が毎週日曜日午後9時〜10時に放送中の人気番組「クロアチアフットボール」の収録で、コメンテーターのボゾ・スーセッツ氏のインタビューを受けたもの。リーグ再開の直前にあたる14日の放送分では、KAZUの練習や試合のVTRと合わせ約10分間の個人特集を組む。また、新聞各紙も次々とカズ特集を計画。クロアチア有力スポーツ紙「スポルツキィ・ノボスティ」は、対外試合などで活躍をしているKAZUを連日、取りあげている。 |
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1999.02.03 |
ブラン・ベルゲン戦から一夜明けた3日午前(日本時間同日午後)、KAZUらチームメートはホテルの敷地内にあるゴルフコースを散歩した。ハードな試合の後だけに、リフレッシュが目的。1時間近くかけて周囲を歩き、時折ベンチに座って休み、気分転換を図っていた。 |
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1999.02.02 |
2日午後3時35分(日本時間午後11時35分)におこなわれたブラン(ノルウェー1部リーグ)との練習試合でのプレーぶりを、C・ザグレブのミルコ・ノボセルGMが初観戦、その動きを絶賛した。この日、ザイエック監督が不在とうことで代わって指揮をとったブラビオビッチ・コーチも、KAZUの能力を高く評価。さらに、対戦相手ブランのアーベック監督も、KAZUに対する印象を”危険な男”と評し、KAZUをクロアチアNO.1のFWと評した。一方、クロアチアの地元新聞各紙も、KAZUを大きく取り上げ絶賛した。 |
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1999.02.02 |
スペイン合宿中のクロアチア・ザグレブは2日午後3時35分(日本時間午後11時35分)、当地のラマンナクラブ・リゾートサッカー場でノルウェーリーグ6位のブランと練習試合をおこなった。KAZUは対外試合初先発、同点のPKを決め、スペインキャンプ出場5試合で、7ゴール目となる同点ゴール。 |
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●スペイン合宿中ということもあり、KAZUはスペイン入りの噂があった城について「城がスペイン・リーグ入りするとの噂があったけれど、どうなったのかな。アイツは今の力でも十分、得点王を取ることができる。自信を持ってやってほしい。得点王は取れると思ってプレーしないとダメなんだよ」とエールを送った。 |
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1999.02.01 |
1月30日に豪雨のため中止となり、2月1日に順延が検討されていたスロバキア代表との練習試合は結局、日程の都合が折り合わず取りやめ。KAZUは午前、午後の2部練習に汗を流し、軽快な動きを見せた。 |
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1999.01.31 |
31日、完全オフとなったこの日、KAZUは、ゆっくりと自室で休養をとった。すでに左足の痛みはなくなっているため、マッサージなどもおこなわず、部屋でパソコンをいじったり、外を散歩するなど、ゆっくりと鋭気を養った。 |
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1999.01.30 |
クロアチア・ザグレブは1月30日午後4時40分(日本時間31日午前0時40分)から紅白戦(45分ハーフ)を行い、KAZUは紅のビブスをつけた組のFWとして、FWミクレナスと組んで先発。PKで2得点し、好調ぶりをアピールした。 |
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1999.01.30 |
30日に予定されていた対スロバキア代表との練習試合が雨のため延期となった。移籍後初の先発出場が予想されていたKAZUも残念そう。合宿地から北東に約140キロ離れた練習試合会場地エルチェが、同日朝から豪雨となり、ピッチは水が浮く状態。両チームは試合を遅らせるなどの話し合いをもったが、最終的に中止を決めた。2月1日に延期する方向で交渉している。 |
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1999.01.29 |
KAZUが、30日の対スロバキア戦に先発出場することが濃厚となった。このスペイン合宿で最も重要な試合となる一戦。急遽決定したバレンシアで合宿中のスロバキア代表との練習試合。FIFAランキングで32位とはいえ、欧州でも中堅の実力を持つ強豪との手合わせに、ザイエック監督は、現時点でのベストメンバで臨むことを言明。KAZUとミクレナスの2トップをスタメンで起用し、コンビネーションをチェックすることを明らかにした。 |
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1999.01.28 |
KAZUが、2日連続で練習試合に臨んだ。28日、KAZUは、対バイキング戦の後半20分に出場。初めて上下ホーム用のユニフォームを着てピッチに立った。3トップ気味の中央で、相手DFの裏をとるなど積極的にプレーしたが、ボールが集まらず孤立気味。結局KAZUはノーゴールで、3戦連続得点はならず、チームも0−2で完敗した。 |
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●合宿地でのKAZUは、休憩時間、ザグレブ滞在時と同様、パソコンでインターネットを楽しむことが多いが、時には誘いに応じてカジノへ足を運ぶことも。 |
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1999.01.27 |
KAZUが急遽、27日午後の対アリカンテ戦の後半に出場。PKを含む2ゴールを決め、3−2でチームの勝利に貢献した。 |
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●この日、アリカンテスタジアムには、入場料100ペセタ(850円)で500人の地元ファンが観戦。現在、アリカンテがスペイン3部リーグの首位を走っていることもあり、観客は熱狂。スペインでも「KAZU」の名前は有名だった。観戦した子供達はKAZUの姿を見つけると「ミウラ、ミウラ」と声をかけた。試合後は、ファンに囲まれてサインをねだられるほどの人気。また、この試合、留学中の女性がただ1人、日本人ファンとして観戦した。日本人が少ないということで選んだ地での、思わぬ幸運に笑顔で記念撮影。 |
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1999.01.27 |
26日は軽いミニゲーム、27日午前は軽いボール回しで練習を切り上げた。チームを2つに分け、一方は27日に、アリカンテ(スペイン3部)と対戦、KAZUは、もう一方の対バイキング戦(28日)に入った。バイキングのDFは、ハードな当たりが身上なだけに、KAZUにとってはケガの再発も心配だが、定位置確保には大きなステップとなる。 |
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1999.01.25 |
25日午後、30分ハーフの紅白戦。 |
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1999.01.25 |
KAZUが12日ぶりに本格合流。25日午前10時(日本時間同日午後6時)からの練習では約30分間のシュート練習。左足からも強烈なシュートを放ち、回復ぶりをアピール。その後、攻撃3人対守備2人のミニゲームにも参加。約1時間半精力的に汗を流した。練習中にはコーチから「もっとアグレッシブに行け」と言われても、「シュートは力じゃじゃない」と言い返すシーンも。残りでPK練習を試みようとしたところ、首脳陣からストップがかかったほど不安を感じさせない内容。 |
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1999.01.25 |
C・ザグレブが日本企業に本拠地マキシミル競技場の看板広告への出資を募ることが25日、明らかになった。現在、スタジアムのほとんどの看板は現地企業だが、C・ザグレブの営業担当者が「KAZUに対する日本の関心は高い。日本企業にスタジアムの広告看板を出してくれるよう働きかけていく」と語っり、日本の大企業のためスペースを設けようというもの。 |
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1999.01.24 |
24日午前中、KAZUは、ユーリッチやミクレナスとともに、ストレッチやハンドボールを応用したトレーニングに汗を流した。6人1チームになり、シュートはヘディングだけという変則ルール。選手はみな真剣で判定をめぐって激しく言い争う場面も。KAZUは、今日25日にもチームに本格合流する予定。二転三転した練習試合も、26日の対バイキング戦(ノルウェー)が初戦と決まり、実戦デビューが近づいた。 |
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1999.01.24 |
KAZUが日本代表監督のトルシエ氏が語ったコメントについて語った。トルシエ監督は「クロアチアの選手の大半は海外に出ているので、クロアチア・リーグは彼(KAZU)にとってハンディとなる」と語ったが、KAZUはその発言を新聞報道で聞き反発。クロアチアリーグはJリーグよりレベルが高く、高いレベルに挑戦しているという自負がKAZUにはある。 |
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1999.01.23 |
23日夜、KAZUは知人に依頼して、ラマンガの自転車店で750ペセタ(約640円)のタイヤチューブを購入。これまでコーチたちから与えられるメニューをこなしていたKAZUだが、本格復帰のゴーサインがなかなか出ず、ブラオビッチ・フィジカルコーチに「日本でやっていたゴムを使ったリハビリ・トレー二ングをやりたい」と進言。しかし却下され、ホテルの部屋でチューブを柱に結びつけ、片方に足を通し負荷をかけるリハビリを敢行した。KAZUはヴェルディ時代に慣れ親しんだ調整にこだわり、チューブトレを開始した。 |
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1999.01.23 |
クロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)のスペイン・カルタヘーナ合宿第2日となる23日午前10時からの練習で、KAZUが10日ぶりにボールを使った練習を再開した。他選手と同じメニューを約1時間30分、体力強化主体で、実戦的な内容ではなかったとはいえ、7人1組でのパス回しやヘディングなどボールを使ったメニューを意欲的に消化。練習中には、大腿部に負荷がかかりすぎないようコーチが横で監視する中、「トミー、バボー、ドロー」といった選手の愛称を叫ぶKAZUの声が響いた。 |
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1999.01.23 |
テレビ局の放送権をめぐる争いも激化。クロアチア・ザグレブのテレビ放送権を求めて、日本のテレビ局4社が交渉を行っていると、23日付のスポルツキ・ノボスティ紙が伝えた。また、現地の情報では日本テレビ以外にも、海外サッカー放送に実績のある衛星放送のテレビ局が権利を獲得しそうだ、としている。 |
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1999.01.22 |
カルタヘーナ合宿初日の練習終了後、KAZUのスパイクが盗難に遭った。さすがのKAZUも「新聞に書いといてよ」と怒りのポーズ。替えを持ってきており練習への影響は少ないものの、いつも以上に身の回りに気を使っていた。 |
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1999.01.22 |
足に張りが出ている状態のKAZUは、22日午後の紅白戦とは別メニューの、ランニング、ストレッチなどで調整、ボールを蹴らなかった。午前中の練習に続いて午後も別メニュー調整に励んだカズに対して、ザイェッツ監督は「焦る必要はまったくない。来週の月曜日から全体練習に合流させるつもりだから」とわざわざ駆け寄って声をかけた。KAZU本人も焦りはなく、オレ流”を貫いてカズはピークを2月17日に持っていく計画。 |
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1999.01.22 |
前日21日に現地入りしチームは、22日午前9時30分からスペイン南部の保養地カルタヘーナで合宿をスタートさせた。 |
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1999.01.22 |
Jリーグ各クラブを行脚している日本代表のフィリップ・トルシエ監督は22日、KAZUに関して初めて言及。クロアチア・ザグレブでのレギュラー確保を最低条件として、KAZU代表復帰の可能性を示唆、3月31日に予定されている対ブラジル戦の日本代表メンバーについて、クロアチア・ザグレブに移籍したKAZUも50人の候補のひとりであることを明かした。 |
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1999.01.21 |
21日午後、KAZUはチームメイトとともに、合宿地スペイン・ラマンガ入り。 |
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1999.01.21 |
クロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)はKAZU関連のグッズを日本で発売することになった。 |
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1999.01.20 |
20日午後の練習が休みになり、KAZUは、ザグレブ市内を散歩した。 |
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1999.01.20 |
スペイン合宿出発を前日に控えた20日の練習後、KAZUに待望のGOサインが出た。 |
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1999.01.19 |
19日午後6時(日本時間20日未明)、KAZUは、ザグレブ市内の在クロアチア日本大使公邸で開かれた「天皇誕生日祝賀レセプション」に黒のスーツ姿で出席した。形式は立食パーティーで、この日のテーブルにはエビフライ、焼き鳥などが並んだ。クロアチアのグラニッチ副首相兼外相ら政府高官はじめ、60カ国約100人の出席者の中でただ1人のスポーツ選手。 |
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1999.01.19 |
ザグレブでの練習2日目、左太腿裏の状態が完全でないために別メニュー調整を続けているKAZUは、午前の練習をウオーキングとストレッチ、治療で切り上げた。 |
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1999.01.19 |
19日、スペイン合宿に参加する27人がほぼ固まった。 |
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1999.01.19 |
在クロアチア日本国大使館が、2月17日のクロアチアリーグ再開を前に、KAZUの激励会を計画していることが19日、明らかになった。 |
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