HOT NEWS<3>へ
KAZUトップへ

HOT NEWS<5>へ

 HOT NEWS

 

(1999.1.19〜1999.2.8)

 このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。

「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。


1999.02.08

スペイン合宿終了から一夜明けた8日、チームはオフ。しかし、ホテルのジムで筋トレをおこなったKAZUが、対戦相手の分析を一切しないまま17日再開のリーグ戦に臨むことが濃厚となった。Jリーグでは対戦相手の最新のビデオなどを見て対策を練るのが常識だが、C・ザグレブはチャンピオンズリーグなどの重要な試合前にならないとそれはしない。KAZUが合流後、戦術等に関した本格的なミーティングはなく、17日のムラードスト127戦へ向けての「特別講義」が設けられる予定もない。KAZUにとっては未知の敵と戦うことになるが、問題ないと言い切り、まったく不安はない様子。

●KAZUとアドバイザー契約を結んでいるスポーツメーカーのプーマが、クロアチア・ザグレブと用具(シューズorボール)契約の交渉を進めていることが、8日付のクロアチア地元紙で報じられた。「スポルツスキ・ノボスティ」紙によるとプーマでは今年8月までの半年なら8万ドル(約908万円)来年8月までの1年半の場合は20万ドル(約2270万円)の契約金に加え、欧州チャンピオンズリーグを制した場合は8万ドル(約920万円)の特別ボーナス支給の条件を提示しているという。KAZUは「以前からそのような話は聞いていた」と語った。

クロアチア・ザグレブ、新ロゴを正式発表!!


1999.02.07

スペイン合宿を終えたKAZUは7日午後8時(日本時間8日午前4時)、イベリア航空機でザグレブ空港に到着した。16日間の合宿にも「疲れは残っていない」と語り、クラブが探したマンションへ直行。しかし、クラブ側が用意した練習場から数百メートルのマンションは、設備や周囲の環境が好みに合わなかったため、自分で家探しをすることにした。


1999.02.06

クロアチア・ザグレブは、7日午後、スペイン合宿を終え、アリカンテ空港からマドリード経由でザグレブへ向かった。17日のリーグ再開初戦(対ムラードスト127)に向けて、温暖なスペインから一転、未体験の寒さとの闘いに挑む。
ザグレブは数日前に氷点下15度を記録するなど厳寒の中。左太腿裏の負傷明けKAZUにとって、寒さはプレーの障害となり得るだけに徹底した防寒対策に着手する。ユニホームの2枚重ね着、ハイネックシャツの着用の他、ウオームアップ時には温湿布を張り、筋肉の血行を良くするクリームも取り寄せている。
また、この日、チームは攻撃的MFマリッチのニューキャッスルへ移籍に伴い、ブラジルユース代表、MFレナティーニョ・ディメイ・フロレンシオ(19)の獲得をほぼ決定した。チームでは、ポルトガル語を完ぺきに話せるのはKAZUしかいないことから、KAZUを教育係として面倒見役とすることを決めた。実戦でも攻撃的MFとFWという立場から、コミュニケーションを深めることもチームにはプラスになる。

●KAZUのデビュー戦に報道陣が殺到する。関係者によると17日の試合に関して、通常10〜15人の4〜5倍、50件以上の報道陣からの問い合わせがあるという。異例の注目度ということ「もちろん日本人が多いが、クロアチア国内でもミウラへの関心は高まっている」(クラブ関係者)。

攻撃的MFレナティーニョ獲得か?!


1999.02.06

スペイン合宿最終日となる6日、KAZUは、午前中にランニングと筋トレをおこない、合宿での練習メニューをすべて終了。午後にはチームメートとホテル近くのサウナに行くなどしてくつろいだ。クロアチア帰国後は、本格的にザグレブでの生活が始まる。本拠地のマキシミル・スタジアムの近くには、クラブの配慮ですでにカズ用のマンションが用意されている。ザグレブ到着後はチーム関係者とともにマンションに移動する予定。


1999.02.06

クロアチア・ザグレブは6日、16日間にわたるスペイン合宿を打ち上げたが、ザイエック監督は、KAZUのクロアチアリーグ再開初戦、17日のムラードスト127戦での先発出場を示唆。再開前の最後の実戦となる10日のマリボロ(スロベニア)との練習試合でKAZUを先発起用し、ムラードスト127戦に向けて最終調整させるプランを明らかにした。また、腰痛に苦しむ主将プロシネツキの回復が遅れていることから、公式戦でKAZUがPKを蹴る可能性も高くなった。

ザイエック監督

(左太腿裏の)痛みが回復してから非常にいい動きを見せてくれている。FWではミクレナスとともに一歩抜きんでた存在だ。KAZUにはセンターフォワードの動きも要求していく。ミクレナスと交互にポストプレーをこなせば、攻撃の幅も広がるからね。10日のマリボロ戦でも、この2トップを先発させるつもりだ。(プロシネツキは)無理はさせない。4月の大事な試合でプレーできれば。

●スペイン在住のハンス・オフト元日本代表監督が、KAZUの激励に現れた。グラウンドを走っていたKAZUは突然のドーハの監督の登場にびっくり。オフト氏はカルタヘーナから約200キロ離れたアステリアで現在、充電中。知人からKAZUが合宿中と聞き、夫人と一緒に、車を2時間走らせ駆けつけた。2人はホテルに戻ってから約1時間、お互いの近況を話し合った。

●ザグレブ市内のホテルを“仮住まい”としてきたKAZUに対して、ノボセルGMは「新居の準備を進めている。本人に見てもらったうえで決めるが、満足してもらえると思う」と語った。駐車場つきの住居の提供は、入団の条件の1つ。ムイチンと同じ高級マンションが用意されている様子。KAZUも「ホテルも便利だけど、家の方が落ち着くからね。安全な場所が第1」と語り、7日、ザグレブへの“帰国”後は早速、家探しとなりそう。


1999.02.05

クロアチア・ザグレブは5日に行われたAGFアーフスとの練習試合で0―1で敗れた。前夜のムルシア(スペイン)戦でプレーしなかったメンバーが主体だったため、KAZUは出場しなかった。
当初は後半の終盤10〜15分間出場予定だったKAZUだが、ベンチにも入らず同僚のユリッチらとともに、芝に横たわり、チョコをほうばるなどして、リラックスムードで観戦した。代わりに定位置争いを展開するコズニク、シミッチがプレーしたが、チームは攻撃のリズムがかみ合わず敗戦。


1999.02.04

クロアチア・ザグレブは4日午後9時過ぎからルシア(スペイン2部リーグ)との練習試合をおこなった。ほぼベストの布陣で臨んだこの試合に、KAZUはFWミクレナスと2トップを組み先発出場したが、シュート1本で無得点のまま、前半終了と同時に交代した。試合は、MFプロシネツキのFKで1−0と勝利した。
この試合、KAZUは、主将でゲームメーカーのプロシネツキと初のコンビを結成。しかし、腰痛を抱えて動きの重いMFとの連係はいまひとつ。中盤からなかなかパスが出ず、KAZUの積極的に相手DFの背後を狙うプレーも生かされなかった。
ザイエッツ監督は、1―0の結果に不満げだったが、KAZUの動きに合格点を与えていた。
前半15分、MFシャーリッチの右からのクロスに絶好のタイミングで左足を合わせた。シュートは惜しくも外れたが「いい感じで(コースに)入れた」と好調を維持。シュートこそ1本だったが、前半24分には左からのクロスを頭で流し、裏から走り込んだミクレナスへの絶好のラストパス。シュートはGKに阻まれたが「あれは惜しかった」とKAZUは明るく振り返った。KAZUはレギュラー定着に向けて、確実に足場を固めつつある。

ザイエック監督

ミウラは本当にいいFWだ。随所にいいプレーを見せてくれた。厳しい条件の中、よくやっている。満足しているよ。前半で引っ込めたのは、内容が悪いから代えたのではない。ケガをさせたくなかったし、他を試したかったこともある。(カズは)自分の役割は果たした。現時点でミクレナスとともにFWの定位置争いを1歩リードしていることは変わらない。2人を車の両輪のように考えている。
プロシネツキは大きなけがから復帰したばかり。4月のプレーオフまでに万全になってくれればいい。

●選手の娯楽は少ない。KAZUは自由時間には自室でパソコンに向かい、インターネットを楽しむことが多い。食事はチーム一斉にとるが、午後7時30分からの夕食が終わると、ロビーに出てきて日本の報道陣と談笑することもしばしば。練習後は即引き上げるため、食事の後の談笑が、事実上の取材時間となる。時には近くのロスベロネス(町)に出て日本の報道陣と食事会をすることも。
練習がオフの日は、近くのサウナへ行きジャグジー等で体を休める。夜、他の選手はカジノへ遊びに行くことが多い中、ギャンブルの好きではないKAZUは、チームメイトの様子を見るため、たまに足を運ぶことはあっても、早々に引き上げてしまう。

MFマリッチ、ニューキャッスル(プレミアリーグ)へ移籍!

攻撃的MFとしてブラジル人選手を獲得か?

ノボセルGMがザイエック監督を批判?!


1999.02.04

4日午前の練習終了後、地元2部チーム、ムルシアとの練習試合(開始・日本時間5日午前5時)の前に、KAZUがクロアチアのテレビ局「HRT」の取材を受けた。同局が毎週日曜日午後9時〜10時に放送中の人気番組「クロアチアフットボール」の収録で、コメンテーターのボゾ・スーセッツ氏のインタビューを受けたもの。リーグ再開の直前にあたる14日の放送分では、KAZUの練習や試合のVTRと合わせ約10分間の個人特集を組む。また、新聞各紙も次々とカズ特集を計画。クロアチア有力スポーツ紙「スポルツキィ・ノボスティ」は、対外試合などで活躍をしているKAZUを連日、取りあげている。

ザイエック監督

ムルシア戦はベストメンバーでいく。

ボゾ・スーセッツ氏

ミウラへのクロアチア国民の関心は日増しに高まっている。私も(2日の)ブラン戦を見たが、とてもいい選手だ。

AGFアーフス(デンマーク1部リーグ)との練習試合追加

帯同クロアチア人記者団が選ぶ「ベスト11」は?


1999.02.03

ブラン・ベルゲン戦から一夜明けた3日午前(日本時間同日午後)、KAZUらチームメートはホテルの敷地内にあるゴルフコースを散歩した。ハードな試合の後だけに、リフレッシュが目的。1時間近くかけて周囲を歩き、時折ベンチに座って休み、気分転換を図っていた。
3日午後(日本時間4日未明)の練習では、4日夜(日本時間5日早朝)に行われるムルシア(スペイン)戦に向けて、FWミクレナスと2トップを組み、MFプロシネツキとの連係を試した。
一方、この日の取材に対して、KAZUは背番号「11」、登録名「KAZU」をクロアチアでもつけたい意向を明らかにした。今季、結果を出し、来季から変更してもらうよう直訴する。


1999.02.02

2日午後3時35分(日本時間午後11時35分)におこなわれたブラン(ノルウェー1部リーグ)との練習試合でのプレーぶりを、C・ザグレブのミルコ・ノボセルGMが初観戦、その動きを絶賛した。この日、ザイエック監督が不在とうことで代わって指揮をとったブラビオビッチ・コーチも、KAZUの能力を高く評価。さらに、対戦相手ブランのアーベック監督も、KAZUに対する印象を”危険な男”と評し、KAZUをクロアチアNO.1のFWと評した。一方、クロアチアの地元新聞各紙も、KAZUを大きく取り上げ絶賛した。

ノボセルGM

練習からミウラのプレーは良いと思ってきたが試合でもそれは変わらなかった。(ブラン戦は)少しでも多くの選手を試さなければいけないので途中で交代したが、大変満足している。ミウラの素晴らしいプレーは(ツァニュガ)会長にも報告しておく。

ブラビオビッチ・コーチ

ペナルティエリアに入った途端に、非常に危険な存在となるKAZUは、ストライカーらしいストライカー。相手のDFはゴール前でのKAZUの存在に相当神経質になり、何度もパニックに陥っていた。ゴールハンターとしての能力では、KAZUがクロアチアFWの中でNO.1だ。まだ周囲とのコンビネーションに少し問題があるが、(国内リーグ再開の17日まで)あと2週間あるから、それも解消されるだろう。このままなら、17日にはクロアチアNO.1FWとして姿を現すことになるはずだ。

アーベック監督(ブラン)

ミウラは”モースト・デンジャラスマン・イン・クロアチア”だ。

C・ザグレブ、攻撃的MF獲得へ


1999.02.02

スペイン合宿中のクロアチア・ザグレブは2日午後3時35分(日本時間午後11時35分)、当地のラマンナクラブ・リゾートサッカー場でノルウェーリーグ6位のブランと練習試合をおこなった。KAZUは対外試合初先発、同点のPKを決め、スペインキャンプ出場5試合で、7ゴール目となる同点ゴール。
前半1分から3連続のセンタリングをゴール前に放り込み、同4分には右クロスに素早く反応してジャンピングボレーシュートを放った。そして、前半38分に自らが得たPKを決める同点ゴール。左サイドをドリブル突破したKAZUがそのままゴールエリアに飛び込む。素早い動きに相手DFがたまらずファウル。KAZUは自らの突破で得たPKを右足でゴール右隅に押し込んだ。後半12分にFWシミッチに交代するまで57分間、KAZUは切れのある動きを披露し、レギュラー取りを強くアピールした。
また、高い評価を受ける一方で、C・ザグレブの首脳陣はKAZUに対して“ワル”への変身指令。実戦形式の練習で、突破を図ろうとしたKAZUが相手DFの激しいタックルを受け、地面に叩きつけられる。そのシーンにザイエック監督は大声でKAZUを呼びつけ、両ひじを使ってしっかりブロックするようジェスチャーで指示。審判の見えない場面での汚いプレーなど、生き抜くための知恵が授けられた。

ザイエック監督

KAZUのプレーはとてもスマートで紳士的。とても良いことなのだが、もっと激しさを前面に押し出すことも必要なんだ。

ムリナリッチ・コーチ

KAZUが今まで警告をもらっていたとしたら、判定への文句だろう。KAZUのプレーはとてもスマートで紳士的(クリーン)だからね。だが、もっと厳しさを前面に押し出すことも必要だ。

●スペイン合宿中ということもあり、KAZUはスペイン入りの噂があった城について「城がスペイン・リーグ入りするとの噂があったけれど、どうなったのかな。アイツは今の力でも十分、得点王を取ることができる。自信を持ってやってほしい。得点王は取れると思ってプレーしないとダメなんだよ」とエールを送った。

司令塔プロシネツキがKAZUについて語る!

3月末にザグレブvsバルセロナ


1999.02.01

1月30日に豪雨のため中止となり、2月1日に順延が検討されていたスロバキア代表との練習試合は結局、日程の都合が折り合わず取りやめ。KAZUは午前、午後の2部練習に汗を流し、軽快な動きを見せた。
クロアチア・ザグレブのザイエック監督は、2月17日再開のクロアチアリーグ初戦で、KAZUが定位置を獲得する可能性がさらに高くなったことを明かした。現時点でのFWの主力候補の1人にKAZUの名を挙げたもの。将のプロシネツキもKAZUの動きの良さを認めており、前途がさらに明るくなった。

ザイエック監督

KAZUには本当に満足している。彼は偉大なテクニシャンで、どちらの足でも同じレベルのプレーができる。現時点でのベストのFWはKAZUとミクレナスだ。KAZUはペナルティーエリア内での動きが素早く、非常に技術が高い。さらに調子も上がっていくだろう。

主将プロシネツキ

KAZUは優れたプレーヤーだ。スピードがあるし、ぜひ一緒に組んでやってみたいね。

カタルヘーナはリゾート地


1999.01.31

31日、完全オフとなったこの日、KAZUは、ゆっくりと自室で休養をとった。すでに左足の痛みはなくなっているため、マッサージなどもおこなわず、部屋でパソコンをいじったり、外を散歩するなど、ゆっくりと鋭気を養った。
スペイン合宿開始後、初の完全休養日となった2月1日午後(日本時間1日未明)には宿泊施設内のサウナとジャグジー風呂でリラックスし、疲れを十分取ることに専念した。


1999.01.30

クロアチア・ザグレブは1月30日午後4時40分(日本時間31日午前0時40分)から紅白戦(45分ハーフ)を行い、KAZUは紅のビブスをつけた組のFWとして、FWミクレナスと組んで先発。PKで2得点し、好調ぶりをアピールした。
前半35分、ミクレナスが倒されてPKを得ると、走り寄ってボールを拾い、ペナルティースポットへ。右足でゴール左隅に低く鋭い弾道を突き刺す。後半18分にもPKを1点目と同じコースにゲット。さらに、後半34分に右サイドから右足で放った強烈なミドルシュートはバーを叩き、惜しくもハットトリックは逃したが、その1分後には相手DFを引きつけて、ビシャンの得点を影で演出。チーム内での評価も高く、KAZUも定位置確保へ自信を見せた。

ザイエック監督

なぜミウラに(PKを)蹴らせているかといえば、彼が非常に好調だからだ。合流したばかりの時は足の痛みを訴えていて少し不安だったが、今は着実に進歩している。
ミクレナスとの連係も良かったし、満足しているよ。


1999.01.30

30日に予定されていた対スロバキア代表との練習試合が雨のため延期となった。移籍後初の先発出場が予想されていたKAZUも残念そう。合宿地から北東に約140キロ離れた練習試合会場地エルチェが、同日朝から豪雨となり、ピッチは水が浮く状態。両チームは試合を遅らせるなどの話し合いをもったが、最終的に中止を決めた。2月1日に延期する方向で交渉している。
一方、KAZUが熾烈なFW争いの中、定位置獲得を宣言した。クロアチア代表のコズニクや若手のミキッチらのライバルを押さえ、レギュラー取りに自信を見せた。
そのKAZUに、頼んでおいたスパイクが、この日航空便で届いた。合宿早々、盗難にあっていただけに、スペインでの試合に適した硬いグラウンド用のスパイクが届いたことで、KAZUホッとした表情。また、スパイクとともに日本のサッカー雑誌や温湿布の入った小包も届き、KAZUにとって格好のリフレッシュ材料となった。
また、朝晩冷え込むカルタヘーナ地方での合宿で、現在チーム内で風邪が大流行。発熱やせきなどの症状を抱える選手が多い中、体調管理に人一倍気を使っているKAZUは、風邪を寄せ付けない。

ザイエック監督

芝も荒れて試合ができる状態ではないとの報告だ。スロバキアとは月曜日(2月1日)に、あらためて試合をおこなうように調整する。

ブコビナTD
(ザグレブスタッフ)

エルチェは、ひどい雨で、ピッチはプールのようになっているという連絡があった。とてもサッカーができる状態ではないらしい。まともな試合はできない。水泳ならできるようだが。

2月10日に急きょスロベニアへ遠征


1999.01.29

KAZUが、30日の対スロバキア戦に先発出場することが濃厚となった。このスペイン合宿で最も重要な試合となる一戦。急遽決定したバレンシアで合宿中のスロバキア代表との練習試合。FIFAランキングで32位とはいえ、欧州でも中堅の実力を持つ強豪との手合わせに、ザイエック監督は、現時点でのベストメンバで臨むことを言明。KAZUとミクレナスの2トップをスタメンで起用し、コンビネーションをチェックすることを明らかにした。

ザイエック監督

スロバキア戦は、その2人(KAZU、ミクレナス)が先発になるだろう。ただし、結果にはこだわらない。どんなプレーをするか内容を重視する。
この試合が合宿中、最も重要だ。
確かに、三浦とミクレナスとのコンビネーションはいい。三浦はペナルティーエリアに入ってからの熟練度が素晴らしい。


1999.01.28

KAZUが、2日連続で練習試合に臨んだ。28日、KAZUは、対バイキング戦の後半20分に出場。初めて上下ホーム用のユニフォームを着てピッチに立った。3トップ気味の中央で、相手DFの裏をとるなど積極的にプレーしたが、ボールが集まらず孤立気味。結局KAZUはノーゴールで、3戦連続得点はならず、チームも0−2で完敗した。

ザイエック監督

全体的に疲れが感じられた。

ブコビナTD
(ザグレブスタッフ)

さすが日本のエース。決定力がある。
FWのレギュラー争いという意味では、今日のゲームは参考にならない。KAZUには、まったく得点チャンスがなかったからね。それでも、KAZUは日々チームになじんできているし、いまのところ何の問題もない。

アンドレアセン監督(バイキング監督)

周囲との連係を磨く必要がある。動きが素早く、ダイレクトプレーが巧みな選手だね。プレー時間は短かった(25分)が、とても印象に残った。欧州でも結果を残せるだろう。

●合宿地でのKAZUは、休憩時間、ザグレブ滞在時と同様、パソコンでインターネットを楽しむことが多いが、時には誘いに応じてカジノへ足を運ぶことも。

宿泊地の近くにカジノ?


1999.01.27

KAZUが急遽、27日午後の対アリカンテ戦の後半に出場。PKを含む2ゴールを決め、3−2でチームの勝利に貢献した。
カルタへーナから北東に約180キロ離れたアリカンテでおこなわれた初の対外試合。人数合わせでベンチ入りしたKAZUだったが、格下の相手に前半1−1。ザイエック監督は、後半、KAZUを含めベンチ入りメンバを総動員した。
後半4分、右サイドからMFショコタからのクロスに、左サイドから走り込み、角度のない位置からヘディングでゴール。さらに、2−2で追いつかれた後半34分、PKを決めて勝ち越した。

ザイエック監督

早くKAZUを実戦で見たかった。
ベリーナイスゴールだった。満足している。
ストライカーとして典型的なプレーをしてくれた。
ペナルティエリアの中での彼の動きは、まさにスペクタクルだ。1点目は、いいゴールだった。クロスに対する反応は素晴らしい。
これからも期待している。明日のバイキングとの練習試合にも出てもらうよ。

FWミクレナス

ミウラはグッド。コンビもいい。

●この日、アリカンテスタジアムには、入場料100ペセタ(850円)で500人の地元ファンが観戦。現在、アリカンテがスペイン3部リーグの首位を走っていることもあり、観客は熱狂。スペインでも「KAZU」の名前は有名だった。観戦した子供達はKAZUの姿を見つけると「ミウラ、ミウラ」と声をかけた。試合後は、ファンに囲まれてサインをねだられるほどの人気。また、この試合、留学中の女性がただ1人、日本人ファンとして観戦した。日本人が少ないということで選んだ地での、思わぬ幸運に笑顔で記念撮影。

マリッチがプレミアへ移籍?
練習試合に喪章をつけ…


1999.01.27

26日は軽いミニゲーム、27日午前は軽いボール回しで練習を切り上げた。チームを2つに分け、一方は27日に、アリカンテ(スペイン3部)と対戦、KAZUは、もう一方の対バイキング戦(28日)に入った。バイキングのDFは、ハードな当たりが身上なだけに、KAZUにとってはケガの再発も心配だが、定位置確保には大きなステップとなる。

ザイエック監督

(KAZUのコンディションが上向いていることを認めた上で)
ミウラには他のFWにない技術に期待している。

アンドレアセン監督(バイキング監督)

C・ザグレブは技術が高く、スピードがあり、タフなチーム。だが我々も昨シーズンは14チーム中4位。まだ若いチームだが、粘り強い守備で持ち味を出している。競り合いなどフィジカル面で負けないように戦う。KAZUはジェノア時代は知っているが、今の状態はわからない。テクニックと経験があるので苦しめられるかもしれない。


1999.01.25

25日午後、30分ハーフの紅白戦。
KAZUは、0―1で迎えた後半戦からFWキセリエクに代わって登場すると、いきなりマニッチの右サイドからのクロスをファーストタッチで同点弾をゲット。その後、1失点を許したが、終了間際にKAZUがもう1点決め、2―2の同点に持ち込んだ。パートナーのクロアチア代表、MFプロシネツキはKAZUのプレーに何度も「ブラボー!」を連発した。28日に予定されている昨季のノルウェー・リーグで4位となったバイキングFCとの練習試合に先発出場する可能性が高くなった。
また、ザイエック監督は、初の本格的実戦でのKAZUの切れのある動きを高く評価。2点を決めたFWだけでなく、1トップのフォーメーションの際には左サイドの攻撃的MFと併用する考えを固めた。

ザイエック監督

KAZUだけじゃない。今日はみんなが良かった。
(KAZUは)ペナルティーエリア内でのスピードに乗った動きがよく、しかも技術が高い。素晴らしい。
グッドフィーリングだ。得点感覚も優れている。


1999.01.25

KAZUが12日ぶりに本格合流。25日午前10時(日本時間同日午後6時)からの練習では約30分間のシュート練習。左足からも強烈なシュートを放ち、回復ぶりをアピール。その後、攻撃3人対守備2人のミニゲームにも参加。約1時間半精力的に汗を流した。練習中にはコーチから「もっとアグレッシブに行け」と言われても、「シュートは力じゃじゃない」と言い返すシーンも。残りでPK練習を試みようとしたところ、首脳陣からストップがかかったほど不安を感じさせない内容。
午後の練習では、紅白戦の後半から出場、プロシネツキ、ユリッチらとコンビネーションを確かめた。後半7分、右サイドのマリッチのクロスに左サイドから走り込み、痛めている左足でボレー気味に押し込みゴール。後半16分にも右足で2点目を決めた。


1999.01.25

C・ザグレブが日本企業に本拠地マキシミル競技場の看板広告への出資を募ることが25日、明らかになった。現在、スタジアムのほとんどの看板は現地企業だが、C・ザグレブの営業担当者が「KAZUに対する日本の関心は高い。日本企業にスタジアムの広告看板を出してくれるよう働きかけていく」と語っり、日本の大企業のためスペースを設けようというもの。
「C・ザグレブの力は国内ではずぬけている。世界を視野に入れるうえで日本は重要なマーケット」と言う関係者は、すでに、「在クロアチア日本大使館に協力をお願いして企業のリストアップを進めている」という。
また、ユニフォームの胸の部分についても、日本企業に働きかける可能性がある。現在、C・クロアチアのユニフォームは「クロアチア・オシグランシャ」という総合保険会社がスポンサードしている。生命保険から損害保険などまで手広く扱う同国内でも屈指の有名企業で、ユニホームの腹の位置のあたりに同社のイニシャルであるCとOをモチーフにしたマークが入っている。


1999.01.24

24日午前中、KAZUは、ユーリッチやミクレナスとともに、ストレッチやハンドボールを応用したトレーニングに汗を流した。6人1チームになり、シュートはヘディングだけという変則ルール。選手はみな真剣で判定をめぐって激しく言い争う場面も。KAZUは、今日25日にもチームに本格合流する予定。二転三転した練習試合も、26日の対バイキング戦(ノルウェー)が初戦と決まり、実戦デビューが近づいた。
なお、24日からは、練習場に近いコテージ風の部屋に5人で生活していたが、近くのホテルに移った。今まで5人1部屋から2人部屋になり、環境の変化を歓迎していた。


1999.01.24

KAZUが日本代表監督のトルシエ氏が語ったコメントについて語った。トルシエ監督は「クロアチアの選手の大半は海外に出ているので、クロアチア・リーグは彼(KAZU)にとってハンディとなる」と語ったが、KAZUはその発言を新聞報道で聞き反発。クロアチアリーグはJリーグよりレベルが高く、高いレベルに挑戦しているという自負がKAZUにはある。
また、KAZUはクロアチア語習得に着手。これまでスペイン語が堪能なプロシネツキ、ユリッチ、英語の話せるザイエック監督を通じてチームメートと会話してきたが、クロアチア語の文法はともかく単語を暗記し始めた。本当のコミュニケーションは図るため、ユリッチを講師に必死の勉強をスタートした。


1999.01.23

23日夜、KAZUは知人に依頼して、ラマンガの自転車店で750ペセタ(約640円)のタイヤチューブを購入。これまでコーチたちから与えられるメニューをこなしていたKAZUだが、本格復帰のゴーサインがなかなか出ず、ブラオビッチ・フィジカルコーチに「日本でやっていたゴムを使ったリハビリ・トレー二ングをやりたい」と進言。しかし却下され、ホテルの部屋でチューブを柱に結びつけ、片方に足を通し負荷をかけるリハビリを敢行した。KAZUはヴェルディ時代に慣れ親しんだ調整にこだわり、チューブトレを開始した。


1999.01.23

クロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)のスペイン・カルタヘーナ合宿第2日となる23日午前10時からの練習で、KAZUが10日ぶりにボールを使った練習を再開した。他選手と同じメニューを約1時間30分、体力強化主体で、実戦的な内容ではなかったとはいえ、7人1組でのパス回しやヘディングなどボールを使ったメニューを意欲的に消化。練習中には、大腿部に負荷がかかりすぎないようコーチが横で監視する中、「トミー、バボー、ドロー」といった選手の愛称を叫ぶKAZUの声が響いた。
「調子は上がっているが、まだ80%の状態だ」「いらいらするな」「焦るな」と、ザイエック監督は練習中にも積極的にKAZUに歩み寄り声をかける。練習終了後には「急激にハードなことをやるな。みっちりストレッチをしろ。ステップ・バイ・ステップだ」と自重指令を出したブラオビッチ・フィジカルコーチも「足の状態はよくなっている。他の選手と(実戦面も含めて)すべて同じ練習をする日も近い」と表情も明るい。首脳陣も、25日予定の再合流に合わせて、スウェーデン1部リーグ・ノルシピインクとの練習試合か紅白戦を準備しており、KAZUを出場させる予定。


1999.01.23

テレビ局の放送権をめぐる争いも激化。クロアチア・ザグレブのテレビ放送権を求めて、日本のテレビ局4社が交渉を行っていると、23日付のスポルツキ・ノボスティ紙が伝えた。また、現地の情報では日本テレビ以外にも、海外サッカー放送に実績のある衛星放送のテレビ局が権利を獲得しそうだ、としている。


1999.01.22

カルタヘーナ合宿初日の練習終了後、KAZUのスパイクが盗難に遭った。さすがのKAZUも「新聞に書いといてよ」と怒りのポーズ。替えを持ってきており練習への影響は少ないものの、いつも以上に身の回りに気を使っていた。


1999.01.22

足に張りが出ている状態のKAZUは、22日午後の紅白戦とは別メニューの、ランニング、ストレッチなどで調整、ボールを蹴らなかった。午前中の練習に続いて午後も別メニュー調整に励んだカズに対して、ザイェッツ監督は「焦る必要はまったくない。来週の月曜日から全体練習に合流させるつもりだから」とわざわざ駆け寄って声をかけた。KAZU本人も焦りはなく、オレ流”を貫いてカズはピークを2月17日に持っていく計画。


1999.01.22

前日21日に現地入りしチームは、22日午前9時30分からスペイン南部の保養地カルタヘーナで合宿をスタートさせた。
当初、紅白戦に参加する予定だったKAZUだが、ザイェッツ監督は左大腿裏痛が回復したばかりで、KAZUの体調がまだ100%でないと判断。「太股は問題ないが、チームへの本格合流は日曜日(24日)から。走り込みが足りないようなので午前は走らせる。午後の紅白戦もまだ体ができていないので使わない。もっとゆっくり調整した方がいい」と、別メニューを指示、ほとんどの選手がパス、トラップの基本練習に取り組む中、KAZUはロカヴィオとともにピッチの周りでダッシュを繰り返した。それでもKAZUの表情は明るく、スパイクを履いてダッシュするなど完全復帰は秒読み。あす24日には実戦メニューにも取り組む予定。
練習後は、隣のグラウンドで練習していたバイエルンのFWで、イラン代表のアリ・ダエイと対面。ドーハ、ジョホールバルと死闘を演じた2人はすぐにお互いに気づき、握手を交わし、英語で会話をしていた。ダエイは、「ミウラは欧州でも活躍できるはずだし、チャンピオンズリーグで対戦できればうれしいね」とKAZUにエールを送った。


1999.01.22

Jリーグ各クラブを行脚している日本代表のフィリップ・トルシエ監督は22日、KAZUに関して初めて言及。クロアチア・ザグレブでのレギュラー確保を最低条件として、KAZU代表復帰の可能性を示唆、3月31日に予定されている対ブラジル戦の日本代表メンバーについて、クロアチア・ザグレブに移籍したKAZUも50人の候補のひとりであることを明かした。
「カズ?もちろん知っている。私は非常に彼に注目している。ブラジル戦のメンバー候補は約50人。その中にカズはいる。4、5年前のプレーが戻れば当然、代表に復帰する可能性はある。どこの国でもそうだが、代表は所属クラブでレギュラーでなくてはならない。絶対にベンチにいてはいけない。代表選手の半分以上が国外でプレーするクロアチア・リーグはレベルが低いため、ポピュラーではないから彼にとってはハンデになる。(しかし、ザグレブは)他チームよりは強いし、抜けている。(昨年)私が日本に来てからカズは試合に出ていない。過去の評価は関係ないし、彼だけを特別扱いはしない。今後はビデオで(カズの)情報を集めたい」と述べたもの。


1999.01.21

21日午後、KAZUはチームメイトとともに、合宿地スペイン・ラマンガ入り。
スペイン合宿は2月7日の打ち上げまで実戦重視のメニューが組まれており、練習再開の22日はまず紅白戦で、チーム内のバトルからスタートする。「主力とか控えとか関係なくチームを分けて試合を行う。ミウラは必ず出場させる。キャンプ中は4試合を予定しているが、すべての試合に出場させてプレーを見てみたい」とザイエック監督。太腿裏の張りのため、13日以来9日ぶり合流となるKAZUも望むところだ。ポーレッチ合宿では8人対8人のミニゲームは経験したものの、本番形式は初めて。1月28日のバイキング戦(ノルウェー1部リーグ)との対外試合デビューから、レギュラー獲得への第1歩がスタートする。


1999.01.21

クロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)はKAZU関連のグッズを日本で発売することになった。
同クラブのスブリニッチ・マーケティング部長が、日本の商社からKAZUのユニフォームなどを日本で販売したいとオファーがあったことを21日、明らかにしたもの。第1弾として背中に「MIURA」の文字と背番号「13」が入ったKAZUタイプの青地のユニホーム、Tシャツやウオーミングアップ用のウエアなどの輸出の準備に入った。2月17日のリーグ戦再開までに詳細をつめ、今春までには日本のサッカーショップなどで販売されることになる。また、KAZU人気は日本に限られたものではない。94〜95年にジェノア(イタリア)でプレーした経験があるだけに、クロアチアでもKAZUの知名度はまずまずで、ザグレブでの練習時にはKAZUのサインを求めて地元小学生が行列をつくる光景も目にするほど。そこでクロアチア国内のサポーター向けにKAZUカードなどの製作も検討されている。
さらに、クロアチア唯一のサッカー月刊雑誌「ノゴメット」がカズの特集を組むことになった。レオ・ミラー編集長が明らかにしたもので、「ジェノアにいるころから、いい選手だなと注目していた。W杯前には特集も組んだ。見出しは『日本のカズヨシと言えば三浦。(ジャンプの)船木は忘れられてしまった』だったよ」。KAZUがクロアチア入り後は、すぐにミニインタビューを行い、2月15日発売号に掲載。練習中やスペイン合宿出発直前のカズの写真と合わせて、クロアチアリーグを選んだ理由や日本代表に関する話題のインタビュー記事を3月15日発売号に掲載予定、表紙も飾る予定。


1999.01.20

20日午後の練習が休みになり、KAZUは、ザグレブ市内を散歩した。


1999.01.20

スペイン合宿出発を前日に控えた20日の練習後、KAZUに待望のGOサインが出た。
左太腿裏痛のため別メニュー調整を続けてきたKAZUだが、治療を担当していたセルダン理学療法士は、「足にはもう何も不安はない。他の選手と同じ練習ができるはずです」と報告、「焦るな」「無理をするな」と、ことあるごとに声をかけ、慎重な姿勢を貫いてきたザイエック監督も「全く問題ない。もちろん練習試合でもプレーさせるよ」とスペイン合宿初日からの再合流を明言した。
そのスペイン合宿では、すでに、スペイン、ノルウェーなどのクラブとの練習試合が組まれているが、さらに現在、同じくスペインで合宿中のドイツ・バイエルンと対戦する案が進行中。実現すれば、ドイツ代表のMFバスラー、タルナート、DFマテウス、GKカーンの4人や、FWエウベル(ブラジル)、MFリザラズ(仏)、FWダエイ(イラン)との対戦が見られる。


1999.01.19

19日午後6時(日本時間20日未明)、KAZUは、ザグレブ市内の在クロアチア日本大使公邸で開かれた「天皇誕生日祝賀レセプション」に黒のスーツ姿で出席した。形式は立食パーティーで、この日のテーブルにはエビフライ、焼き鳥などが並んだ。クロアチアのグラニッチ副首相兼外相ら政府高官はじめ、60カ国約100人の出席者の中でただ1人のスポーツ選手。
KAZUは、19日午後の練習を30分繰り上げ、タクシーで開場へ向かった。しかし、間違えて市内北方にある日本大使館へ行ってしまい、会場である大使公邸に約1時間20分の大幅遅刻で到着。しかし、KAZUが会場に現れると、出席者は記者に「彼がミウラだよね」と聞いたり、記念写真を撮るなど一躍人気者に。大羽奎介大使も2月17日は帰国しているため足を運べないが、それ以後、ザグレブにいる日を選んで応援しに行く。「三浦選手はとても格好いい人ですね。シーズンが始まったら、スタジアムへ応援に行くつもり。日本の顔として頑張ってください」と激励。大使館側では早くも来年のレセプションにもKAZUの招待を内定。活躍次第では日本企業のクロアチア進出も考えられるだけにエールにも熱が入った。


1999.01.19

ザグレブでの練習2日目、左太腿裏の状態が完全でないために別メニュー調整を続けているKAZUは、午前の練習をウオーキングとストレッチ、治療で切り上げた。
前日徹底的に走り込んだ影響で「少し疲れが残っている」と言うが表情は穏やか。ウオーキングをともにした主将のプロシネツキとスペイン語で談笑するなど、新しい環境への順応性の高さをのぞかせた。午後からは軽い調整後、天皇誕生日記念のレセプションに向かった。


1999.01.19

19日、スペイン合宿に参加する27人がほぼ固まった。
注目のFWは6人。ミキッチ、シミッチ、ミクレナス、コズニク、カズの5人に加えて、トミスレフ・ショコタも選出された。スペイン合宿では、この6人でFWの2つの座を争うことになる。


1999.01.19

在クロアチア日本国大使館が、2月17日のクロアチアリーグ再開を前に、KAZUの激励会を計画していることが19日、明らかになった。
KAZUは、すでに19日午後6時(日本時間20日午前2時)からの「天皇誕生日祝賀レセプション」にも招待を受けたが、大使館側ではあらためて本人を招き、エールを送る考え。
また、C・ザグレブの試合開催日のスタジアムでの応援など、同市在住の25人の日本人を挙げてKAZUをサポートしようと、“KAZU応援団”が結成される機運が高まりつつある。
「三浦選手のC・ザグレブ入団を聞いて、最初は驚きました。昨年のW杯以後、日本の若者が旅行する姿を見かけるようになりましたが、まだまだクロアチアはなじみの薄い国。三浦選手が活躍することで、この国に対する注目度が高まればうれしい。日本の顔として、ぜひ頑張ってほしいですね」日本大使館の照内2等書記官もKAZUの動きに熱い視線を送る。日本とクロアチアをつなぐ「架け橋」的存在のKAZUだけに、大使館側も歓迎の意を込めて激励会の開催準備を進めている。一方、人口約87万4000人のザグレブの日本人居住者は25人。しかし、2月17日のリーグ再開後、ホームゲームが2試合続くなど、3月末までの6試合中5試合までがザグレブ市内で開催予定とあって、ザグレブ在住の日本人が結集してKAZUを応援しようとの声も高まっている。

 

BACK