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(1998.12.27〜1999.1.19)

 このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。

「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。


1999.01.19

ザグレブでの練習2日目、左太腿裏の状態が完全でないために別メニュー調整を続けているKAZUは、午前の練習をウオーキングとストレッチ、治療で切り上げた。
前日徹底的に走り込んだ影響で「少し疲れが残っている」と言うが表情は穏やか。ウオーキングをともにした主将のプロシネツキとスペイン語で談笑するなど、新しい環境への順応性の高さをのぞかせた。午後からは軽い調整後、天皇誕生日記念のレセプションに向かった。


1999.01.19

19日、スペイン合宿に参加する27人がほぼ固まった。
注目のFWは6人。ミキッチ、シミッチ、ミクレナス、コズニク、カズの5人に加えて、トミスレフ・ショコタも選出された。スペイン合宿では、この6人でFWの2つの座を争うことになる。


1999.01.19

在クロアチア日本国大使館が、2月17日のクロアチアリーグ再開を前に、KAZUの激励会を計画していることが19日、明らかになった。
KAZUは、すでに19日午後6時(日本時間20日午前2時)からの「天皇誕生日祝賀レセプション」にも招待を受けたが、大使館側ではあらためて本人を招き、エールを送る考え。
また、C・ザグレブの試合開催日のスタジアムでの応援など、同市在住の25人の日本人を挙げてKAZUをサポートしようと、“KAZU応援団”が結成される機運が高まりつつある。
「三浦選手のC・ザグレブ入団を聞いて、最初は驚きました。昨年のW杯以後、日本の若者が旅行する姿を見かけるようになりましたが、まだまだクロアチアはなじみの薄い国。三浦選手が活躍することで、この国に対する注目度が高まればうれしい。日本の顔として、ぜひ頑張ってほしいですね」日本大使館の照内2等書記官もKAZUの動きに熱い視線を送る。日本とクロアチアをつなぐ「架け橋」的存在のKAZUだけに、大使館側も歓迎の意を込めて激励会の開催準備を進めている。一方、人口約87万4000人のザグレブの日本人居住者は25人。しかし、2月17日のリーグ再開後、ホームゲームが2試合続くなど、3月末までの6試合中5試合までがザグレブ市内で開催予定とあって、ザグレブ在住の日本人が結集してKAZUを応援しようとの声も高まっている。


1999.01.18

クロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)は18日は午前10時(日本時間同日午後6時)から、本拠地ザグレブで練習を再開。マキシミリアスタジアムに隣接するマキシミリア公園で軽いランニングとストレッチでは、相変わらず先頭を走り、集団をリードしたKAZUだが、その後は別メニュー調整。
しかし、ザイエック監督は、21日からのスペイン合宿で予定される練習試合すべてにカズを起用する方針を明らかにした。ザイエック監督は「ミウラは技術の高いグッドプレーヤー。今は無理をさせないが、スペインでの練習試合では、すべてミウラを使う」と他のFWに優先してKAZUを起用することを明言。実戦を通してチーム戦術を理解させる意向を示した。
練習前には地元の子供たちからサインを求められた。現地新聞で連日、報道されているせいもあって、かなり名前は知られている。


1999.01.18

C・ザグレブの試合を日本テレビが中継する可能性が高くなった。クラブ関係者が18日、明らかにしたもので、交渉は大詰め段階に入っており、早ければ近日中にも契約の運び。クロアチア・リーグの放映権を持つ同国国営放送局のHRTに対して、日本テレビ側がオーストリアのエージェントを通し日本での中継許可を打診。その結果、このほど話がほぼまとまったもよう。関係者は「契約がまとまれば2月17日のリーグ再開初戦から(カズの契約が切れる)来季終了までとなるはず」と話している。
一方、英国のテレビ局CSIの依頼を受けて、ハンガリーの制作会社WTNの取材クルーが18日のC・ザグレブの練習を収録。KAZUの走る姿をカメラで追うとともに、インタビューを行った。同局のサッカー番組でMFプロシネツキとともにチームの顔として取り上げられる。「日本人の少ない欧州で、しかもなぜクロアチアを選んだのか、カズに聞きたかった。欧州ではアジアの選手が少なくて、それだけで扱う価値がある。英国の人々も興味を持ってくれると思う」とWTN局のアンドラス・プロデューサー。「フィーリングが合ったし、評価が最も高かった」とKAZUが答えた模様などは近日中に英国を中心に放送予定。


1999.01.18

アントラーズのDF秋田豊が18日、都内のホテルで行われたゼロックススーパー杯の記者発表に出席。
今年の抱負として南米選手権(6月、パラグアイ)への出場を挙げ「これをきっかけにオファーが来るようなプレーをしたい」と海外進出をアピールした。
「カズさんは日本の伝道師。道を作ってくれる」と語り、海外移籍した中田(ペルージャ)カズ(クロアチア・ザグレブ)に刺激を受けた様子。


1999.01.17

クロアチア・ザグレブのツラトコ・カミュガ会長(36)が、KAZUに関してインタビューを受けた。
詳細は、
「INFORMATION in JAPAN」コーナーをご覧ください。


1999.01.17

KAZUにドクターストップがかかった。
ポーレッチでの合宿後半3日間を、両太腿裏の張りを訴え別メニュー調整をおこなっていたKAZUは、チームが完全オフになった17日、午前と午後の2回にわたりマキシミル国立競技場内のトレーナー室で超音波治療やマッサージなど、徹底的な治療を受けた。前日打ち上げられたポーレッチ合宿中に覚えた足の張りもだいぶひき、KAZU自身も「もう大丈夫だと思う」と合流に強い意欲を示したが、チーム・ドクターのジュバンチッチ氏は「まだ他の選手と同じ練習をするのは早い。ザグレブでは治療を続け、スペインから一緒にやればいい」と判断。
18日、クロアチア・ザグレブの練習に5日ぶりに再合流する予定だったKAZUは、合流を見送り、21日に出発するスペイン合宿から本格的に再始動する見込み。


1999.01.17

17日、宿舎に地元クロアチアの報道陣が詰めかけ、2月21日にリーグ再開後2戦目で激突するスラーベン・ベルポのボナチッチ監督は「ジェノア時代から知っているが、あのスピードはクロアチアの選手と一味違う」と早くもKAZUを要注意。周囲の注目度は大きい。


1999.01.16

クロアチア・ザグレブのポーレッチ合宿6日目、合宿最終日となるこの日、両太腿を張りを訴えていたKAZUは、3日連続で別メニュー。マイペースを貫き、6日間にわたるポーレッチ合宿を終了、本拠地ザグレブに戻った。
一時は15日午後の練習からKAZUを合流させる考えを明らかにしていたザイエック監督は「まだ太腿の裏に違和感がある」とのKAZUの申し入れを尊重し、別メニュー調整を許可した。KAZUは、クロアチア代表のトレーナーとして97年6月のキリン杯で来日経験のあるラダノビッチ理学療法士による石けんを使ったマッサージや、ランニング主体のリハビリメニューをこなし、自分流をベースに1カ月後のリーグ初戦に向けて仕上げていく考え。
ザイエック監督も「KAZUには無理はさせない。スペインにももちろん連れていく」とし、期待を寄せる。


1999.01.16

16日、元ガンバ監督で現在、NKザグレブの監督を務めるクゼ監督がポーレッチのグラウンドを訪問、クロアチア・ザグレブの練習を視察した。旧知のKAZUを見かけると気軽に声を掛けた。
クゼ監督は、「KAZUは素早い動きをするし、ゴール前での創造力がある。ペナルティーエリアでの動きもいい。(FWのポジションを争う)ミキッチ、シミッチもいいが、ペナルティーエリアでの動きがいまひとつだと思う。コズニクもそうだね」と分析。


1999.01.16

日本テレビのスタッフが15日午後(日本時間同日深夜)、クロアチア・ザグレブの試合のテレビ放映権獲得のため、ザグレブ市内にある同チームの事務所を訪れ、交渉を行った。 16日付の現地紙が伝えたもので、欧州のKAZUの代理人であるスフォールナ氏と、KAZUのマネジメントを行う「ウルビス」の職員らが同行、カミュガ会長らと放映権の獲得の交渉を行った。今後、権利獲得までには生中継か、録画中継かの話し合いや、クロアチアサッカー協会や、クロアチアのテレビ局との協定が必要。


1999.01.15

21日から始まるスペイン合宿で、クロアチア・ザグレブが練習試合を4戦行うことになった。その中にはノルウェーの国内カップチャンピオンも含まれており、KAZUを含むFW5人もすべて遠征メンバーに加わるが、し烈なポジション争いはこの4試合が勝負になる。


1999.01.15

15日午後の練習には、約50人の地元ファンが見学に訪れた。KAZUはランニング主体で約30分の練習を切り上げたが、この日、チーム合流後初となる記念のサインをおこなった。記念のサインをゲットしたポーレッチ在住のマウリチオ・マリシッチさん曰く、「KAZUはジェノアでプレーした選手だろう。そのころから知っている。とてもいい選手だ」。
また、15日午後10時からクロアチア国営テレビ局HRTのスポーツ情報番組では、同日午前中に収録された「KAZU特集」がテレビ中継され、KAZUのインタビューが放送された。番組の中でKAZUは、レベルの高いクロアチアリーグに参加する喜びを表すとともに、チームのリーグ4連覇に向けて全力を注ぐ姿勢を示した。


1999.01.15

クロアチア・ザグレブのポーレッチ合宿5日目、両太腿を張りを訴えていたKAZUは、前日に続いてこの日午前10時(日本時間同午後6時)からの練習もユリッチらとともに別メニューで調整、宿舎近くでのストレッチや筋力トレなどで切り上げた。
この日、クロアチアの国営放送「HRT」が、KAZUの特集番組収録のため取材をおこなった。


1999.01.15

19日にザグレブの在クロアチア日本国大使公邸で行われる「天皇誕生日祝賀レセプション」にKAZUが、スポーツ選手としてただ1人出席することが決まった。
昨年12月23日に行う予定だったものが諸事情から今年にずれ込んだ同レセプションには、立法のトップを中心に250人ほどが招待されており、最終的に100人余りが出席することになる予定。
「こういうレセプションは、政府高官を中心にお招きしますが、決して民間を排除するというものではありません。三浦選手にはクロアチアにおける日本の顔として活躍してほしいということで、招待状をお送りしました。それもあってクロアチア・ザグレブのカミュガ会長、ザイェック監督にもお送りしました」と在クロアチア日本国大使館・照内2等書記官は、KAZU招待の経緯を説明。


1999.01.15

ポーレッチ合宿での、KAZUのルームメートは20歳のFWアントニオ・フラニャ。今季、トップ定着を目指す新鋭はイタリア語を理解でき、部屋での会話も弾む。
フラニャ曰く、「KAZUにはジェノア時代の話もよく聞く。素晴らしい選手だと思うけれど、ジョークを言ったり、いたずらをしたり、子供みたいな面もある。僕にとっては兄貴というより友達って感じかな」。


1999.01.15

インターネットや日本の友人との会話などを通して、岡野・川口・名波などの「海外進出」を耳にしているKAZUは、異国で活躍するパイオニア的存在として、後輩のチャレンジャー精神を喜ぶ一方で、警鐘を鳴らすのも忘れない。
KAZU自身、戦力としての評価の高さに加えて家・車・携帯電話の用意など付帯条件が納得いくものだったことがC・ザグレブ移籍決断につながったことを挙げ、あこがれだけで移籍を決めず、条件面の徹底検討が必要なことを強調した。また、クロアチアリーグへの移籍がウワサされる前園・財前・松原についても、大きな関心を寄せた。


1999.01.14

クロアチア・ザグレブのポーレッチ合宿4日目、KAZUは、前日(13日)の練習終了後、両太股の張りを訴えたため、全体練習への参加を免除され、別メニューで調整した。この日、筋力トレーニングをおこなう全体練習の中にKAZUの姿はなく、プールでの自主練習で切り上げた。ザイェック監督は、KAZUがオーバーペースにならないよう目を配り、体調に少しでも異変を感じたら申し出るように指示していた。そこにKAZUが両太股の張りを申告、同監督は、すかさず別メニューを指示。「練習での動きはいいけど、疲れもたまってきたのだろう。この時期に決して無理をする必要はない」と語り、チームキャプテンであるプロシネツキとともに、別メニューを許可した。


1999.01.13

ザイェック監督は、ここまでのKAZUの様子を見て「思ったとおり、テクニックとタクティクス(才能)を感じさせられている。技術のしっかりしたグッドプレーヤー。もちろん試合で使うよ。そのつもりで獲ったんだから」と期待を寄せている。
クロアチア・ザグレブは、体力強化中心のポーレッチ合宿後、21日からスペインのラマンガで戦術面中心の合宿を張る。ザイェック監督は「ラマンガに行ってから戦術面を煮詰めることになる。23日ごろからは4、5試合、練習試合を行うつもりだ。三浦が、その初戦から出る可能性は十分ある」と語り、23日にも、移籍後初の対外試合に臨む可能性が高くなった。相手は、スペインリーグの2部か3部クラスから候補を調整中。


1999.01.13

リトアニア代表FWグラズヴィニダ・ミクレナスが13日の練習から合流。身長186cmでポストプレーが得意なミクレナス本人もKAZUのことは意識しており、「日本から三浦選手が来ているのは知っている。でも、彼は僕とはタイプが違う。同じポジションを争うことはないだろう」と語っている。


1999.01.13

合宿も3日目に入り、KAZUが質問攻めにあっている。「どうしてミウラはフランスW杯に出なかったのか?」と合宿中の注目の的。

また、新しいニックネームもついた。「ミキ(MIKI)」。ミウラの「M」とKAZUの「K」を合わせたものらしく、ゲーム中には、「カズー」「ミウラ」に混ざって「ミキ、ミキ」の声も。
新しいユニーホームの背中には、愛称が入ることはほとんどない、ということで、希望していた「KAZU」ではなく「MIURA」の文字が入る予定。


1999.01.13

午後5時30分からの午後練習で、8人対8人のミニゲームがおこなわれ、KAZUが1ゴール1アシストで、KAZUの入ったチームが5−2で勝利した。KAZUは、クロアチア代表のユリッチ、マリッチ、サリッチと同組でプレー。相手チームにはFWミクレナス、コジニク、DFトキッチというメンバ。マリッチと2トップを組んだKAZUは、左からのクロスに右サイドの角度のない位置から、左足で、GKの手をはじく強烈なシュートを放ち1得点。さらに、右から攻め上がってサイドチェンジ、折り返してゴールのお膳立てをするなど、攻撃の起点となった。
ザイェック監督は、負けたチームには、罰の全力疾走、勝ったチームには、選手と報道陣を呼んで記念撮影。選手に”勝ち”に対する執念を出させる目的。
同監督はKAZUの動きについて「今日の三浦の動きは素晴らしい。スピードがある。そしてテクニックを見せてくれた。彼はまだこちらに来たばかり。これからもっと良くなるだろう」とコメントした。


1999.01.13

ポーレッチでのクロアチア・ザグレブ合宿3日目、午前中の練習は、1時間、ただひたすら走るといった内容。午前10時、二手に分かれ、雨や時折あられが降る悪天候の中、ひたすらランニング、30分たったところで、5分間のインターバルをとり、ストレッチをほどこした後は、またランニング。ザイェック監督は「フィジカルな面を高めるには、走るのが一番だ。特に心肺機能を高めるのにいい。ハードじゃないよ。1時間ぐらい走っても。これぐらいはザグレブの選手ならノルマだね」と語った。


1999.01.12

クロアチア代表DFユリッチは、「自分はできる限り協力するつもりだ」と語り、KAZUをサポートする意向を示した。ユリッチは、スペインでプレーしたこともあり、スペイン語がペラペラ。KAZUとのコミュニケーションも問題ないことからKAZUにとっては心強いチームメイトとなる。


1999.01.12

クロアチアのポーレッチで合宿中のクロアチア・ザグレブのミニゲームで、KAZUが、右足でゴールを決め、幸先のいいスタートを切った。7人対7人のミニゲーム。ザイェック監督が見守る中、ユリッチらと同じチームに入り、開始早々、左サイドに位置していたKAZUに逆サイドからクロス気味のパスが通り、GKと1対1に。GKの動きを右足で冷静にゴール右隅に決め、初ゴール。リズムに乗ったKAZUは、その後も鋭い飛び出しから強烈なシュートを連発し、絶好のパスを前線に通すなど、アシスト役もこなした。「カズー」「ミウラ」とチームメイトからも声が飛び、チーム関係者も「この合宿は体づくりが主な目的だが、ミウラの調子はいいみたいだね。もちろん他の選手と同じメニューで調整していったもらうよ」と語り、1時間半にわたる練習でのKAZUの出来に満足げな表情。この日、二手に分かれて、KAZUのいるグループは、午後は室内トレーニング。休む間もないハードな練習をこなした。


1999.01.11

KAZUの試合が、日本で生中継されることになった。
日本のテレビ局がクロアチア・ザグレブの放映権の獲得に乗り出したもので、近日中にクラブ側と合意に達する見通し。カミュガ会長は「リアルタイムでの放送ということで、話が来ている。今月中に話し合いのため、日本から職員がクロアチアに来ることになっている。金額の面はこれから話し合うが、日本のファンは試合をみられることになるだろう」と語った。


1999.01.11

KAZUが乗り込んだバスの席は「KAZUシート」。ヴェルディでも日本代表でも、KAZUの指定席である最後尾左側。
一方、ユニホームの背中には、KAZUが希望してた「KAZU」ではなく、「MIURA」となる可能性がたかく、再度、KAZUから要望する予定。


1999.01.11

10日練習視察後、チームからKAZUに、ベンツA160が引き渡された。チーム関係者は「この車は人気が高く、注文してから購入するのに1年以上かかることもある」と説明。クラブの管理上、車に記された番号は「11」。早速、KAZUも笑顔で運転した。


1999.01.11

KAZUが11日、チームと合流し、合宿地であるポーレッチ(Porec)へバスで移動後、初練習をおこなった。
移動前、午前9時(日本時間午後5時)にザグレブのクラブを訪れ、手渡された青いジャージとウィンドブレーカに身を包んでバスに乗り込んだ。ポーレッチはザグレブから西に300キロに位置する観光都市。交通の便が悪い上に、グルニアイエレニャ山の山越えもある過酷な道をバスで移動することが強いられたが、KAZUはそれを苦にすることもなく、約4時間半の長旅の疲れも見せず、精力的に練習をおこなった。
ランニングでは常に先頭を走り、その存在をアピール。移動するバスの中で、クロアチアとの選手ともスキンシップを図り、ポーレッチのホテルでは、MFマリッチから「KAZUのことは知っているから、同じ部屋にしてほしい」と申し入れがあり相部屋。そのマリッチとは、練習後、肩を抱き合って談笑するなど、早くもチームにとけ込みつつある。


1999.01.10

クロアチア・ザグレブでは、KAZUグッズを、クロアチアと日本で売り出すことを決めた。KAZUのグッズは現在製作に入っており、2月ごろには店頭に並ぶ予定。また、ザグレブでのKAZUへの注目度も高く、タクシーに乗っても、KAZUのことが話題になるほど。


1999.01.10

クロアチア・ザグレブのザイェック監督が、KAZUを先発で使うことを示唆した。ザイェック監督は、昨年10月に就任した前任の監督が欧州チャンピオンズリーグで3試合無得点だったことで解任され、その後を受けただけに、攻撃力の充実は急務。KAZU獲得にあたって、ザイェック監督は、97年6月のキリンカップをビデオでチェック。そこで2得点したKAZUの得点感覚を高く評価し、チームの基本システムである3−5−2のうち、2トップの左を任せたい意向。
「クロアチア選手にはない、素早く、直感的な動きを期待している。カズの一瞬の素早さ、感性に任せた動きは、単調になりがちなサッカーのリズムを変えることができる」と語った同監督は、KAZUを先発で使うのか、の問いに「もちろん、そのつもりで獲得したんだ」と先発濃厚を示唆した。


1999.01.10

10日午後2時(日本時間同午後10時)、KAZUがクロアチアの首都ザグレブに到着、クロアチア・ザグレブの関係者の出迎えを受けた。9日に日本を出発した後、12時間余りの空の旅を経て、チューリッヒ(スイス)に1泊。10日午後、約1時間半のフライト後ザグレブ入りすると、早速スタジアムを訪れた。すでにチームミーティングは終了していたが、紅白戦を見学。11日には、イレブンとの初の対面が予定されている。クロアチアでは、ポルトガル語・イタリア語・スペイン語に加えて、勉強中の英語も交えてコミュニケーションをとる。


1999.01.09

10日にクロアチア現地入りするKAZUを、同国最大の日刊紙で平均27万部の発行部数を誇る「ヴェッチェルニ・リスト」が密着取材することになった。クロアチア・ザグレブのチーム担当記者のうち3人の記者が、連日、KAZUに密着し動きを伝える。同紙はKAZUがサポータの絶大な支持を集めるのは確実とみている。


1999.01.09

クロアチア・ザグレブのホームスタジアムである「マキシミル・スタジアム」では、現在スタンドの改修工事が急ピッチで進んでいる。8月には、現在の収容人員約45000人が、61000人の大スタジアムになる。


1999.01.09

空港ロビーは50人のお見送りファンを含めて、一般客もKAZUを一目見ようと、KAZUが動くと連れだって大移動。ファンのフラッシュに、サインや握手攻め。良太くんとだっこするりさこ夫人に手を振ると、自然に「KAZUコール」が起こった。報道陣も30人以上駆けつけ、大声援の中、機上の人となった。


1999.01.09

3度目の海外生活になるKAZUが、今回新たに持っていくものは自前のパソコン。日本の情報や友人とのメール交換が目的だが、昨年開設した自身のインターネットも「できれば自分でファンにメッセージを送りたい」と語った。
また、ビデオデッキと、お気に入りである「ゴッドファーザー」のビデオテープ、尊敬するボクシング元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリの自伝を持参した。


1999.01.09

出発前夜の8日、静岡の親族らも参加して”お別れ夕食会”を開き、出発当日9日の朝は”お餅”だけで済ませた。成田には、りさこ夫人や長男・良太くんが見送りに現れた。KAZUに抱きついてはしゃぐ良太くんに「パパとしばらく会えなくなるね」と言うと、良太くんが初めて「パパ」と口にする嬉しいハプニングも。家族は、2月21日のリーグ開幕に合わせて現地を訪問、6月の今季シーズン終了までには2度ほどクロアチアへ行く予定。


1999.01.09

クロアチアの名門・FCザグレブと契約したKAZUは9日、成田空港12:50発のJAL453便ZURICH行きで出発した。2000年6月30日まで、クロアチアで過ごす約1年半を「自分の心の中にあるチャンピオンベルトを、取り戻してきたい」と強気の決意表明。2002年W杯での代表復帰へ、夢を大きく膨らませた。
KAZUは、10日にクロアチアへ入り、チームミーティングに参加。11日には練習に合流する。いよいよ“ザグレブのKAZU”が誕生する。2月17日の開幕戦に向けて調整する。なお、リーグがオフになる6月に一時帰国する予定。


1999.01.07

クロアチア・ザグレブ移籍が決まったKAZUが、クロアチアのフラニオ・トゥジマン大統領(76)から大統領主催の晩さん会へ招待されていることが7日、分かった。
クロアチア・ザグレブの名誉会長でもあるトゥジマン大統領は、大のサッカー好きで知られており、リーグ戦の観戦だけでなく、昨年はクロアチア代表の強化資金を作るため、消費税をアップさせたほど。また、トゥジマン大統領は、クロアチア・ザグレブの顧問であるプラゼビッチ監督を通じ、KAZUの存在を以前から知っていた。
クロアチア・ザグレブのチーム関係者は「激励したいので、大統領主催の晩餐会へ出席してほいい、という連絡が届いた」と語り、KAZUはクロアチアから「国賓」待遇を受ける。
日程は、クロアチアリーグ再開(2月17日)直前と見られる。
その席で、「親善大使」としての役割を大統領から求められる可能性もあり、プレー以外でも、KAZUにかかる期待は大きい。


1999.01.07

サッカー・クロアチアリーグの名門、クロアチア・ザグレブへの移籍が決まったKAZUが7日、東京・千代田区の赤坂プリンスホテルで移籍会見を行い、2002年日韓共催W杯での日本代表復帰をアピールした。
KAZUの海外でのプレーはは86年のブラジル、94年のイタリアに続き3度目。契約期間は来年6月末までの1年半。9日に日本を出発し、11日からのザグレブ合宿に合流、2月17日のリーグ初戦に向けてトレーニングを開始する。
7台のテレビカメラ、200人近い報道陣の前に現れたKAZUは、愛用ブランドのプーマの黒いキャップにジャージー、赤のスニーカーというラフなスタイル。
この日の会見には、多くの関係者が駆けつけ、実父・宣雄さんは「向こうは寒いけど、慣れれば大丈夫。カズならやるよ」と太鼓判を押した。
会見に先立って「カズは我がクラブの、そして日本のサッカー史上最高のストライカー」とたたえた川崎の坂田社長。「そのカズが“2002年に日の丸をつけてピッチに立ちたい。そのために転身を図りたい”と言ってきたんだ」とC・ザグレブ移籍に至った経緯を説明した。だが、当のKAZUから「そんなこと言いましたっけ?」と突っこまれ、坂田社長が苦笑する一幕もあった。
会場には森下源基・前川崎社長も姿を見せた。
またワイドショーの女性リポーターも登場。会見が終わってもコメントをとろうとKAZUに猛アタックを繰り返していた。


1999.01.07

サッカー・クロアチアリーグの名門、クロアチア・ザグレブへの移籍が決まったKAZUが7日、都内の赤坂プリンスホテルで記者会見し、「またゼロから出発したい」と、新天地での抱負を語った。
KAZUは、W杯フランス大会の日本代表から漏れたことやヴェルディの不振など、昨年は苦しいシーズンを過ごした。
しかし、「苦しさの中で、自分はサッカーが好きだと改めて分かった」と、姿勢は前向き。3度目となる海外挑戦にも気負いはなく、自然体を強調した。
また、2002年W杯での代表へも強い意欲を見せた。
KAZUは、9日に日本を出発。11日から始まるザグレブの国内合宿から合流する。


1999.01.06

KAZUは現在、英語を勉強中。ポルトガル語、イタリア語、スペイン語に加えて、英語をマスターすべく、家庭教師を雇って勉強している。ザグレブのザイェック監督は、夫人がアメリカ人のため英語が堪能。KAZUは、通訳抜きの英語での会話を目指している。


1999.01.06

1月7日午後5時から赤坂プリンスホテルにてKAZUの移籍記者会見が行われる予定。なお、一般の方は入場できません。


1999.01.04

KAZUの入団で早くも日本のテレビ局が放映権の獲得に動き出した。C・ザグレブの関係者は「日本のテレビ局から全試合を取材したいと言ってきている」と明かしたほか、ツァニュガ会長は「ウチのクラブにもカズにも大きなプラスになる」と経済効果も期待していることを付け加えた。現在ザグレブには日本人は5人しか在住していないが、日本と同国の橋渡しをする民間大使にもなりそう。


1999.01.03

クロアチア出身でペルージャのMFラパイッチがKAZUにエールを送った。ラパイッチはかつてC・ザグレブのライバルであるハイデュクに所属していただけに、KAZU移籍に興味津々の様子。KAZUがセリエA・ジェノアに在籍していたことも知っており「ミウラ?もちろん知っている。いい選手だと聞いている」と語った。
また、C・ザグレブは欧州チャンピオンリーグの常連チームでKAZUにとっても、やりがいのあるビッグクラブであると強調。さらに、ザグレブは日本人にはなじみの薄い土地だが「大きくてきれいな町だから問題はないだろう」自分と同じように異国で挑戦をするKAZUが、十分力を発揮できる環境であると太鼓判を押していた。


1999.01.03

KAZUを迎えるC・ザグレブも、歓迎準備は万全。
チームのミーティングに合流する10日には、チームスポンサーのクライスラー・メルセデス社からKAZU専用のシルバーボディーのベンツが支給される。
当分の間、生活の拠点となるホテルでは、KAZUの好きなイタリア料理はもちろん、洋食や中華もクラブ負担で食べられる。さらに、クラブハウス内でも食事は可能となっている。
また、クラブもちで、家具付きの高級マンションも用意される予定。
スパイクについても、契約メーカーのプーマがバックアップ。冬にはマイナス20度以下を記録するクロアチアは、グラウンドがアイスバーンのような硬い状態のため、日本と同じポイントでは歯がたたず、KAZUの足が負傷の危機に立たされる。 「ドイツのメーカーにも問い合わせたけど、寒地用というのはないみたいです。新しいタイプを考えないと」とプーマの関係者はいう。クロアチアでのプレーのためにKAZU仕様特別スパイク開発の必要性が出てきた。メーカー側は、芝とグラウンド状態を調査するため、近々クロアチア入りする予定でいる。


1999.01.03

3日におこなわれたKAZUの“壮行試合”にはファミリーが全員集合。
父・宣雄さん、母・由子さんのほか、ヨチヨチ歩きの長男・良太ちゃんを連れた夫人の理佐子さんの姿も。また、実兄・三浦泰年一家、叔父で城内FC監督でもある納谷義郎さんら、お正月らしく総勢20人近くの親戚が顔をみせ、KAZUを見守った。KAZUの生活が落ち着く1カ月後をめどに、クロアチアへ渡る予定だったりさ子さんだが、厳寒期を避けて、出発は春までずれ込みそう。
また、KAZUの晴れ姿を見るために、ヴェルディ前社長の森下源基氏も駆けつけた。
この日駆けつけた主な選手は次のとおり(敬称略)。
北澤、土屋(以上ヴェルディ)、
長谷川、澤登、斉藤俊秀、伊藤輝、真田、市川(以上エスパルス)、向島(フロンターレ)、藤田(ジュビロ)、江尻(ジェフ)、大嶽(サンガ)、後藤(コンサドーレ)、平野(グランパス)、三渡州、斉藤浩史、杉本(元エスパルス)
関係者のKAZUへのエール(コメント)は、
「INFORMATION」コーナーをご覧ください。


1999.01.03

クロアチア・ザグレブ入りしたKAZUが、日本でのラストマッチで2ゴール2アシストと爆発した。
KAZUのサッカーの原点である地元静岡の出身サッカー少年団、城内FCの創設30周年記念試合(3日、草薙球技場、35分ハーフ)に、オール城内FCのFW11番をつけてフル出場。オール城内には兄の泰年の他、親友・北澤やヴェルディの土屋が駆けつけ、エスパルスの長谷川、伊東、斎藤、澤登やジュビロの藤田選手らがそろったオール清水FCを相手に、5−2でオール城内FCが勝利した。
KAZUは、約4000人のファンが見守る中、先制と決勝のゴールで目前に迫った新世界での門出に自ら祝砲を挙げた。 前半7分、北沢からパスを受けるとドリブルで中央突破し、左足で先制点をたたき込んだ。24分には、またも北沢からのパスに右足でゴール左隅へ。後半になると左サイドから絶妙のセンタリングをするなど、2ゴール、2アシスト。自ら華やかなラストを飾った。


1999.01.03

静岡・草薙競技場でおこなわれた「城内FC・30周年記念」のオール城内OB対オール清水OBの試合は、5−2で、オール城内OBチームの勝利。
得点は、KAZU2・土屋・アリガヤ・北澤と澤登2、KAZUは2ゴール1アシスト。


1999.01.02

KAZUとブラジル代表FWロナウドの直接対決が、8月に実現することが2日、明らかになった。
ザグレブは現在、本拠地マクシミル・スタジアムのスタンドを改修工事中。定員が5万6552人だったが、老朽化が激しく現在の収容人員は約4万5000人。拡張工事が終了する8月には、6万人規模の新スタジアムとして生まれ変わる。その竣工記念試合にセリエAの名門チーム・インテルが招待される。昨年12月にクロアチア代表DFシミッチが、ザグレブからインテルへ移籍。その契約条件の1つに、ザグレブでのプレシーズンマッチが含まれているため実現するもの。KAZUの背番号「13」は、1月からセリエA・インテルに移籍したクロアチア代表DFシミッチがつけていた番号。


1999.01.02

クロアチア・ザグレブ入りしたKAZUは、朝一番の新幹線で静岡に飛んできて、2日、地元静岡にある出身サッカー少年団、城内FCの練習試合に出場し、「初蹴り」をおこなった。体を動かすのは12月23日の天皇杯準々決勝依頼だが、シュートの感触を確かめるように、右に左に7ゴールを決めた。また、今までに「記憶にない」という兄弟での餅つきにも歓声を上げた。
城内FC創設以来の監督である叔父の納谷義郎氏は「クロアチアに行くなんて本当に知良らしい。金とか名前とかは関係ない。たとえ今のヴェルディに3億円で残ってくれと言われたとしても、ザグレブを選ぶ男だ」と語り、兄の泰年も「世界3位の国に、1人で乗り込むんだよ。サッカー選手だけでなく、一般の人たちもうらやましがっているさ」と弟の覚悟を評した。
公私ともに踏ん切りをつけたKAZUが、自信をもってクロアチアへ乗り込む。


1999.01.01

クロアチア・ザグレブ入りしたKAZUは、1999年元日、神奈川県内にあるりさこ夫人の実家に年始の挨拶に出向いた後、一家で鎌倉の神社に初詣にも出かけた。


1998.12.31

欧州の名門クラブ、クロアチア・ザグレブと正式契約を結んだKAZUが31日、現地滞在3日の強行日程の疲れも見せず、笑顔で帰国した。
当初予定のチューリヒ発の飛行機が、濃霧のため飛べなくなり16時間遅れになるハプニングがあったが、急きょフランクフルト経由便に乗り換えて、無事に年内に到着した。
Cザグレブでは3日間の滞在中、街を散策。今後の拠点となる場所を自ら足を運んで見学した。住居は年末でエージェントが休みだったため決まらず、春先までホテル暮らしとなる予定。
正月は都内の自宅で親子水入らず過ごす予定だが、1月3日には静岡・草薙球技場で日本でのラストゲームに臨むことが明らかになった。KAZUの叔父・納谷義郎氏が主宰し、兄・三浦泰年とともに、小学生時代、サッカーの手ほどきを受けた少年団・城内FCの「30周年記念試合」に出場するもので、オール城内FCが、清水商、清水東のOBを中心としたオール清水と対戦する。
オール城内FCは、KAZU、三浦ヤスの兄弟のほか、親友北澤豪も特別出場。サントス、土屋、菅原らも参加。オール清水は、堀池、長谷川、大榎、平野、相馬らが名を連ねている。いわば静岡出身のオールスターが集まってKAZUを送り出そうというもので、KAZUも心待ちにしている。
10日のチームミーティングに参加するために、9日には、再び日本を後にする。2月17日のデビューに向けてキャンプで体を鍛え上げる。


1998.12.30

KAZUが早くもザグレブ市民のハートをつかんだ。
前日(29日)、クロアチア・ザグレブと正式契約を結んだKAZUを30日付のクロアチア各紙は大きく報道。クロアチア各紙に「MIURA」の文字が躍り、ザグレブの早朝がKAZU一色に染まった。ザグレブ市内のキオスクの店員のサリッチさんは「私のところでは、6紙の新聞をおいているけどほとんどスポーツ面はミウラだった」と驚いた。 その内容もほとんどが歓迎ムードで、名門ザグレブに入団するヤポンスキー(日本人)への関心度は高く、各紙軒並みトップ扱い。
ザグレブ唯一のスポーツ紙『スポルツスキ・ノボスティ』は1面トップで「日本のエースがやってきた」と大きく扱ったが、日本語を間違えて? 「サヨナラ・ミウラ」という大見出しが躍った。現地在住日本人は「日本語で一番知られている言葉だから、象徴としてつけただけでは?」と首をかしげたが、3面では「クロアチアのチームの一員として貢献する」と、詳しく前日の記者会見の模様を報じた。スポルツスキ・ノボスティのバウアー記者は「セリエAにいたこともあって、こちらでも有名だった。ザグレブでも成功を収めると思う」と期待を込めた。
一般紙の『ノビ・リスト』は「C・ザグレブは”良い知識”を呼んできた」と三浦知良の名前の意味に触れながら紹介した。
地元有力紙『ビエニスク』ではスポーツ面のトップ記事で扱われ、一般紙の『ユタルニリスト』でもスポーツ面1ページを割いた。
一般紙『ノビ・リスト』は「C・ザグレブは”良い知識”を呼んできた」と三浦知良の名前の意味に触れながら紹介した。
市民が見る目も早くもスター級だ。
記者会見を終えた後はホテル内で散髪してリラックス。代金を払おうとしたら、「C・ザグレブのミウラにサービスすると言われた」と本人もビックリのカット無料。クロアチアに単身乗り込んだアジアのストライカーへの注目度は日増しに高まっている。KAZUが市内を歩けば「ディナモ(クロアチア・ザグレブの前身のチーム名)、ミウラ」と声がかかる。子供たちからはサインをせがまれる。ザグレブサポーターでもある25歳の男性は「こちらではアジア人は珍しいし、人気が出ると思うよ」と話した。
チーム関係者もプレーヤーとしてだけではなく、「日本人」としてのKAZUに魅力を感じている。
ザグレブ市議会議長でもあるカミューガ会長は「アジアとクロアチアの橋渡しになり、マーケティングの面でも多くの効果をもたらすだろう」と、多くの日本人サポーターがザグレブに足を運ぶことを予想している。
また、英国ロイター通信も、KAZUのクロアチア・ザグレブへの移籍を伝えた。「彼はすべてのメディカルチェックに合格し、サインをした。ベテランのコズニクや18歳のミキッチと攻撃陣を形成することになりそう」とKAZUの起用法を予想している。詳細は、
「INFORMATION」コーナーを参照のこと。

KAZUは31日、いったんクロアチアを離れ、チューリヒ経由でいったん帰国。来年1月10日からチームに合流する。


1998.12.29

Jリーグのヴェルディを離れ、再び海外に活躍の場を求めることになったKAZUは29日、午前9時(日本時間同日午後5時)、クロアチアの首都ザグレブ市内にあるクラブ事務所でC・ザグレブと正式契約を交わし、初の東洋人選手が誕生した。
ズラトコ・ツァニュガ会長、ミルコ・ノボセルGMと並んで席についたKAZUは、契約書に公開サイン、正式にクロアチアNO.1チームの一員になった。

スーツ姿で会見に現れたKAZUはリラックスした様子で、時折笑顔を見せる余裕も。有名選手の入団とあって、地元テレビなどクロアチアの報道機関のほぼすべてが取材に訪れ、日本からの記者を含めて約50人の報道陣が詰めかけた。

背番号は空き番号の中から選んだ「13」、登録名はブラジル時代からおなじみの「KAZU」に決まり、FWを任されることになった。契約期間は1999年1月1日から2000年の6月21日までの1年半。推定年俸は5000万円。チームは車とザグレブ市内のアパートを提供することになっている。

95年の歴史を誇る名門チームは、欧州のビッグクラブを目指して、現在4万2000人収容のホーム「マキシミリ・スタジアム」を、2000年までに6万人収容の巨大スタジアムに改修する。KAZUはその看板スターとして期待されている。

前日(28日)は、クラブ創立95周年パーティーが行われた。その席上で、プロシネツキとスペイン語で言葉を交わし、ガッチリ握手を交わすKAZUの姿が、国営放送でゴールデンタイムに延々と映し出された。
あるクラブ関係者が明かした。「日本人のカズが活躍すればザグレブ市民だけでなく欧州にも大きな影響を及ぼす。日本人にも来てほしい」と。さらに、Cるクラブ関係者は「KAZUの加入で日本の情報をできるだけ集めたい。そしてW杯で優勝したい」と話した。

また、「KAZU」のほかに、ミウラのMが取れた「IURA(ユーラ)」というニックネームも付いた。ユーラはクロアチア語でジョージという意味。呼びやすい名前でみんなに覚えさせ、日本からの新戦力に早く慣れさせようという配慮。

ズラトコ・ツァニュガ会長も満足げに
「KAZUはアジアのベストプレーヤー。リーグ初戦の、来年2月17日のムラードスト127戦にKAZUのプレーがお披露目できるはずだ」と語った。

一方、KAZUは来年2月17日の本拠地ザグレブでの国内リーグ戦でデビューする意向を表明した。暇を見つけて市内のショッピングセンターを歩くなど、ザグレブの雰囲気を知ろうと前向き。

W杯フランス大会のクロアチア代表監督で現在は同クラブの顧問を務めるブラゼビッチ氏も
「2年前のキリンカップで見たが、すごくモダンな選手だと思った。スピード、積極性がある。速いしクロアチアでも成功すると思う。彼にとってもクラブにとっても未来がある」と太鼓判を押した。

KAZUは31日に一旦帰国。その後は、1月8日にザグレブに出発することになった。
大晦日31日に帰国後、当初は日本で所用を済ませて、1月中旬のスペイン(ラマンガ)合宿から合流の予定だったが、チーム側から「10日の全体ミーティングにはぜひ出てほしい」と言われて出発予定を繰り上げた。
11日からクロアチアのポーレッチで始動、17日にザグレブに戻った後、21日にラマンガへ向かう。


1998.12.29

クロアチア・ザグレブへの移籍が決まったKAZUが29日、ザグレブのクラブハウスで正式契約を結び、記者会見した。
背番号は「13」で、ユニホームには「KAZU」の文字が入ることが決まった。契約期間は1999年1月1日から2000年6月21日までの1年半。
KAZUにとってブラジル、日本、イタリアに次ぐ4つ目の国の舞台となるクロアチアは、今年夏のW杯で3位に入ったことでも分かるように、人口470万の小国だが、人材の宝庫として知られる。中でもザグレブは超名門クラブ。
この日の会見には、クラブの顧問を務めるブラジェビッチ代表監督も姿を見せ、「キリンカップではKAZUに2点取られて敗れた。こんな選手を取らないわけにはいかない」と語った。
また、KAZUを獲得した意図について、クラブのツァニュガ会長は「これは2002年W杯のホスト国である日本とクロアチアのサッカー界の新たな関係の始まり」と強調、この契約を機に、日本との関係を深めていきたい意向を示した。
年末年始などで中断しているクロアチアリーグは来年2月中旬に再開される。KAZUは31日に一時帰国し、来年1月上旬に再渡欧の予定で、デビュー戦は来年2月17日になる見込み。


1998.12.28

クロアチア唯一のスポーツ専門紙「スポルツスキ・ノボスティ」は28日付の14面トップに写真入りでKAZUを紹介。「クロアチアは三浦にとって大きなチャンスになる」という大見出しを掲げてインタビューを掲載。
その中でKAZUは「日本で行われるW杯に出たい」と発言し、クロアチアでの飛躍を誓っていた。


1998.12.28

クロアチアのクロアチア・ザグレブ(C・ザグレブ)に移籍するKAZUは28日、午前中に本拠地となる4万2000人収容のザグレブのホーム、マキシミリ・スタジアム内のクラブハウスを訪問。その後、午前9時から約3時間にわたってメディカルチェックを受けた。検査は、血液、心電図など180項目にわたった。午後からは雪で覆われた練習場、室内トレーニング施設も見学し、好印象を持った様子。また、ザグレブ市内でアパートも物色。29日の記者発表の後、年内には帰国する予定。
検査終了後、契約の詰めの交渉の席でフロントから登録名を「MIURAかKAZUどちらがいい」と尋ねられ、迷わずブラジル時代から慣れ親しんだ「KAZU」を選んだ。背番号は固定制のため、現在空き番の「9」か「13」しかないが、「9は嫌い」と13を要望。クラブ側もそれを了承する方向。
1903年のザグレブ創設以来、初の東洋人選手。現在、外国人は3人在籍しているが、いずれもクロアチアとの二重国籍選手で、今季、純粋な外国人はKAZUだけになる。
チーム側の期待も大きい。ゴーラン・ブラディッチ・チームディレクター(36)も「日本ではカリスマ性、人気があったらしいが、ここでもそうなることを望んでいる。チームは非常に強いので、11人の中で彼がどうなるか分からないが、一生懸命練習してほしい」と語った。
注目のデビュー戦は2月17日が濃厚。クロアチア・リーグの再開は2月24日だが、C・ザグレブは12月6日のアウエーのムラードスト127戦を積雪で延期したため、その未消化試合が1週間前に予定されている。現在、リーグ戦で11勝2分け2敗で首位にいる強豪だけに出番を勝ち取る競争はあるが、この1戦がカズの欧州挑戦の第1歩となる。
年明け1月7日からアドリア海沿いのポーレッチで練習を再開。1月中旬にはスペインのラマンガへ移動して約2週間の合宿を行う。合流時期は未定だが、2・17デビューを目指し「KAZU」の新たな挑戦が始まる。


1998.12.27

27日、パリ経由でザグレブに到着したKAZUは、市内のホテルにチェックイン。クロアチアNO.1のチームへ「日本のキング」が新戦力として加わるとあって、さっそく現地の報道陣が詰めかけて取材。KAZUは堂々と対応。地元紙を買い求め情報を収集した。

 

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