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(1998.12.27〜1999.1.19)
このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアにおけるKAZU関連のデイリーなニュースをまとめてみました。
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「KAZU's COMMENTS」でKAZUのコメントをご覧ください。 |
1999.01.19 |
ザグレブでの練習2日目、左太腿裏の状態が完全でないために別メニュー調整を続けているKAZUは、午前の練習をウオーキングとストレッチ、治療で切り上げた。 |
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1999.01.19 |
19日、スペイン合宿に参加する27人がほぼ固まった。 |
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1999.01.18 |
アントラーズのDF秋田豊が18日、都内のホテルで行われたゼロックススーパー杯の記者発表に出席。 |
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1999.01.17 |
クロアチア・ザグレブのツラトコ・カミュガ会長(36)が、KAZUに関してインタビューを受けた。 |
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1999.01.17 |
17日、宿舎に地元クロアチアの報道陣が詰めかけ、2月21日にリーグ再開後2戦目で激突するスラーベン・ベルポのボナチッチ監督は「ジェノア時代から知っているが、あのスピードはクロアチアの選手と一味違う」と早くもKAZUを要注意。周囲の注目度は大きい。 |
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1999.01.16 |
16日、元ガンバ監督で現在、NKザグレブの監督を務めるクゼ監督がポーレッチのグラウンドを訪問、クロアチア・ザグレブの練習を視察した。旧知のKAZUを見かけると気軽に声を掛けた。 |
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1999.01.16 |
日本テレビのスタッフが15日午後(日本時間同日深夜)、クロアチア・ザグレブの試合のテレビ放映権獲得のため、ザグレブ市内にある同チームの事務所を訪れ、交渉を行った。 16日付の現地紙が伝えたもので、欧州のKAZUの代理人であるスフォールナ氏と、KAZUのマネジメントを行う「ウルビス」の職員らが同行、カミュガ会長らと放映権の獲得の交渉を行った。今後、権利獲得までには生中継か、録画中継かの話し合いや、クロアチアサッカー協会や、クロアチアのテレビ局との協定が必要。 |
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1999.01.15 |
21日から始まるスペイン合宿で、クロアチア・ザグレブが練習試合を4戦行うことになった。その中にはノルウェーの国内カップチャンピオンも含まれており、KAZUを含むFW5人もすべて遠征メンバーに加わるが、し烈なポジション争いはこの4試合が勝負になる。 |
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1999.01.15 |
15日午後の練習には、約50人の地元ファンが見学に訪れた。KAZUはランニング主体で約30分の練習を切り上げたが、この日、チーム合流後初となる記念のサインをおこなった。記念のサインをゲットしたポーレッチ在住のマウリチオ・マリシッチさん曰く、「KAZUはジェノアでプレーした選手だろう。そのころから知っている。とてもいい選手だ」。 |
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1999.01.15 |
クロアチア・ザグレブのポーレッチ合宿5日目、両太腿を張りを訴えていたKAZUは、前日に続いてこの日午前10時(日本時間同午後6時)からの練習もユリッチらとともに別メニューで調整、宿舎近くでのストレッチや筋力トレなどで切り上げた。 |
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1999.01.15 |
19日にザグレブの在クロアチア日本国大使公邸で行われる「天皇誕生日祝賀レセプション」にKAZUが、スポーツ選手としてただ1人出席することが決まった。 |
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1999.01.15 |
ポーレッチ合宿での、KAZUのルームメートは20歳のFWアントニオ・フラニャ。今季、トップ定着を目指す新鋭はイタリア語を理解でき、部屋での会話も弾む。 |
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1999.01.13 |
リトアニア代表FWグラズヴィニダ・ミクレナスが13日の練習から合流。身長186cmでポストプレーが得意なミクレナス本人もKAZUのことは意識しており、「日本から三浦選手が来ているのは知っている。でも、彼は僕とはタイプが違う。同じポジションを争うことはないだろう」と語っている。 |
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1999.01.12 |
クロアチア代表DFユリッチは、「自分はできる限り協力するつもりだ」と語り、KAZUをサポートする意向を示した。ユリッチは、スペインでプレーしたこともあり、スペイン語がペラペラ。KAZUとのコミュニケーションも問題ないことからKAZUにとっては心強いチームメイトとなる。 |
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1999.01.11 |
KAZUの試合が、日本で生中継されることになった。 |
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1999.01.11 |
KAZUが乗り込んだバスの席は「KAZUシート」。ヴェルディでも日本代表でも、KAZUの指定席である最後尾左側。 |
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1999.01.11 |
10日練習視察後、チームからKAZUに、ベンツA160が引き渡された。チーム関係者は「この車は人気が高く、注文してから購入するのに1年以上かかることもある」と説明。クラブの管理上、車に記された番号は「11」。早速、KAZUも笑顔で運転した。 |
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1999.01.10 |
クロアチア・ザグレブでは、KAZUグッズを、クロアチアと日本で売り出すことを決めた。KAZUのグッズは現在製作に入っており、2月ごろには店頭に並ぶ予定。また、ザグレブでのKAZUへの注目度も高く、タクシーに乗っても、KAZUのことが話題になるほど。 |
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1999.01.10 |
クロアチア・ザグレブのザイェック監督が、KAZUを先発で使うことを示唆した。ザイェック監督は、昨年10月に就任した前任の監督が欧州チャンピオンズリーグで3試合無得点だったことで解任され、その後を受けただけに、攻撃力の充実は急務。KAZU獲得にあたって、ザイェック監督は、97年6月のキリンカップをビデオでチェック。そこで2得点したKAZUの得点感覚を高く評価し、チームの基本システムである3−5−2のうち、2トップの左を任せたい意向。 |
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1999.01.09 |
10日にクロアチア現地入りするKAZUを、同国最大の日刊紙で平均27万部の発行部数を誇る「ヴェッチェルニ・リスト」が密着取材することになった。クロアチア・ザグレブのチーム担当記者のうち3人の記者が、連日、KAZUに密着し動きを伝える。同紙はKAZUがサポータの絶大な支持を集めるのは確実とみている。 |
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1999.01.09 |
クロアチア・ザグレブのホームスタジアムである「マキシミル・スタジアム」では、現在スタンドの改修工事が急ピッチで進んでいる。8月には、現在の収容人員約45000人が、61000人の大スタジアムになる。 |
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1999.01.09 |
空港ロビーは50人のお見送りファンを含めて、一般客もKAZUを一目見ようと、KAZUが動くと連れだって大移動。ファンのフラッシュに、サインや握手攻め。良太くんとだっこするりさこ夫人に手を振ると、自然に「KAZUコール」が起こった。報道陣も30人以上駆けつけ、大声援の中、機上の人となった。 |
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1999.01.09 |
3度目の海外生活になるKAZUが、今回新たに持っていくものは自前のパソコン。日本の情報や友人とのメール交換が目的だが、昨年開設した自身のインターネットも「できれば自分でファンにメッセージを送りたい」と語った。 |
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1999.01.06 |
KAZUは現在、英語を勉強中。ポルトガル語、イタリア語、スペイン語に加えて、英語をマスターすべく、家庭教師を雇って勉強している。ザグレブのザイェック監督は、夫人がアメリカ人のため英語が堪能。KAZUは、通訳抜きの英語での会話を目指している。 |
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1999.01.06 |
1月7日午後5時から赤坂プリンスホテルにてKAZUの移籍記者会見が行われる予定。なお、一般の方は入場できません。 |
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1999.01.04 |
KAZUの入団で早くも日本のテレビ局が放映権の獲得に動き出した。C・ザグレブの関係者は「日本のテレビ局から全試合を取材したいと言ってきている」と明かしたほか、ツァニュガ会長は「ウチのクラブにもカズにも大きなプラスになる」と経済効果も期待していることを付け加えた。現在ザグレブには日本人は5人しか在住していないが、日本と同国の橋渡しをする民間大使にもなりそう。 |
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1999.01.03 |
クロアチア出身でペルージャのMFラパイッチがKAZUにエールを送った。ラパイッチはかつてC・ザグレブのライバルであるハイデュクに所属していただけに、KAZU移籍に興味津々の様子。KAZUがセリエA・ジェノアに在籍していたことも知っており「ミウラ?もちろん知っている。いい選手だと聞いている」と語った。 |
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1999.01.03 |
KAZUを迎えるC・ザグレブも、歓迎準備は万全。 |
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1999.01.03 |
3日におこなわれたKAZUの“壮行試合”にはファミリーが全員集合。 |
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1999.01.03 |
静岡・草薙競技場でおこなわれた「城内FC・30周年記念」のオール城内OB対オール清水OBの試合は、5−2で、オール城内OBチームの勝利。 |
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1999.01.02 |
KAZUとブラジル代表FWロナウドの直接対決が、8月に実現することが2日、明らかになった。 |
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1999.01.01 |
クロアチア・ザグレブ入りしたKAZUは、1999年元日、神奈川県内にあるりさこ夫人の実家に年始の挨拶に出向いた後、一家で鎌倉の神社に初詣にも出かけた。 |
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1998.12.30 |
KAZUが早くもザグレブ市民のハートをつかんだ。 KAZUは31日、いったんクロアチアを離れ、チューリヒ経由でいったん帰国。来年1月10日からチームに合流する。 |
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1998.12.28 |
クロアチア唯一のスポーツ専門紙「スポルツスキ・ノボスティ」は28日付の14面トップに写真入りでKAZUを紹介。「クロアチアは三浦にとって大きなチャンスになる」という大見出しを掲げてインタビューを掲載。 |
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1998.12.27 |
27日、パリ経由でザグレブに到着したKAZUは、市内のホテルにチェックイン。クロアチアNO.1のチームへ「日本のキング」が新戦力として加わるとあって、さっそく現地の報道陣が詰めかけて取材。KAZUは堂々と対応。地元紙を買い求め情報を収集した。 |
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