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Episode



(1999.8.1〜)

このページで、はKAZUに関する出来事やKAZUに起こった事象の中で、MIEBOOが心に残ったものを
雑誌やTV番組に中からピックアップして、まとめてみました。

 

時期

場面・シチュエーション

KAZU's Episode

出典

備考

〜2000.5.3

得点シーン(23〜33歳)

★★ KAZUのJリーグ得点シーンあれこれ ★★

【初ゴール】

Jリーグ

1993年5月26日

V川崎時代
vs鹿島戦(等々力)

日本リーグ

1990年10月28日

読売クラブ時代
vsNKK戦(三ツ沢)

天皇杯

1990年12月15日

読売クラブ時代
vs早稲田大戦(三ツ沢)

ナビスコ杯

1992年9月12日

V川崎時代
vs浦和戦(等々力)

日本代表
(Aマッチ)

1992年8月26日

ダイナスティカップ
vs北朝鮮戦(北京)

【連続ゴール】

6試合連続ゴール

1993年7月31日のG大阪戦から同8月25日

【最短ゴール】

開始13秒

1996年11月6日の市原戦

【ハットトリック】

Jリーグ通算4回

1993年12月8日 vs浦和戦(国立)
1995年9月2日 vs鹿島戦(カシマ)
1995年9月13日 vs横浜F戦(国立)
1996年11月6日 vs市原戦(市原)

【ゴール内分け】

全99ゴールのうち

右足:55、左足:29、ヘッド:15

スポニチ
2000.5.4

-

 

1994.4〜6

イタリア行きに関する報道で苦しい時期に
(27歳)

春から6月にかけて、でたらめな記事がたくさん出て落ち込むこともあり、チームにも迷惑がかかって苦しい時期があった。
そのとき、毎日KAZUが呼んでいたのは
モハメッド・アリの自伝。『モハメッド・アリ、その生と時代』。700ページ以上もある分厚い本で、家ではもちろん、新幹線で移動するときにも持ち歩いて読んでいた。1967年にアリは徴兵を拒否、ジャーナリズムやほとんどの国民から非難を浴び、裁判で有罪となってリングを追われた。しかし、信念を貫いてアリはカムバックし3度もチャンピオンに返り咲く。KAZUは「アリに比べたら俺なんて大したことない」と勇気を得る。
また、アイルトン・セナのビデオにも励まされる
。『アイルトン・セナ、追悼ビデオ』。セナが1989年にワールドチャンピオンになれなかった時、彼も多くの苦しみを抱えて戦っていた。そのセナの言葉で印象に残っているのは「自分自身に負けないということ」。世界の頂点に立つ人はみんな苦悩を味わっていると改めて感じる。
KAZUは
「自分に負けた時って凄く悔しいし後悔する。後悔してもしょうがないんだけど。だから、もっと強くならなければ、って願う。その繰り返しだよ」と語っている。

月刊BART
1994.7

-

 

1989.4

サンパウロ市までカラオケに向かう途中、交通事故を起こして
(22歳)

当時クリチーバに所属していたKAZUは、試合後、日本人の友人とともに愛車フォード・エスコートでサンパウロ市へと向かった。目的はカラオケである。クリチーバ市からサンパウロ市までは、380キロ、飛ばして4時間半という道程である。事故はその道中で起きた。
サンパウロまではすごい山道だった。その真ん中で死にそうになっちゃった。雨が降ってきたのに結構調子にのって走っていた。そしたら、前にトラックがいて、曲がり角で、ブレーキ踏んだらもうきかなくて。タイヤとボディの間に岩が入って後ろのタイヤはパンクするし、前輪の軸は曲っちゃって。そこではもう何人も死んでいるです。コリンチャンスのサッカー選手もこのあと同じところで死んだしね」
幸い2人とも怪我はなかった。しかし、すごかったのはそのあとだ。KAZUは傷だらけのクルマを操り、サンパウロに向かったのだ。
「タイヤを取り替えて、そのままサンパウロのカラオケに行った。クルマはキイキイと音がしてたけど、ちゃんとカラオケは歌ってきた」

週刊文春
93.4.1

-

  

1982.12.20

ブラジルへの旅立ち
(15歳)

1982年12月19日、静岡駅の新幹線上りホームには、5、60人からの15、6歳の少年たちが溢れ返っていた。見送りである。事情を知らない通行人の中には、有名人かしらと立ち止まる人さえいた。一方、新幹線の中では、見送られる15歳のKAZUが大泣きしていた。
翌12月20日、(家族)4人はスカイライナーに乗って成田空港入りした。KAZUは、サンドバッグのような大きな鞄を1つ肩にかけていた。エスカレーターに乗ったKAZUに向かって、3人の家族は一生懸命手を振った。しかし、
KAZUは振り返らなかった。15歳のKAZUは前を向いたまま、一切振り返ることをしなかった。
(けれど)
ブラジルに着いた瞬間、KAZUは思わず後ろを振り返ってしまった。DC10のタラップを降り、地面に足をつけたとたんに、飛行機が進入してきた方向を見返してしまったのである。KAZUが見たのは、日本だった。
「日本は遠い彼方だ。ああ、向こうから来たんだな、って思った。そのとき振り返ったことは、なぜかいまも覚えている」

週刊文春
93.3.18
93.3.25

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