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(1998.12.01〜1999.01.08)

 このページでは、新聞・雑誌やTVなど、各メディアでのKAZUのコメントだけをまとめてみました。
客観性に欠ける先入観ありありの記事を見るよりは
「・・・」で語られているKAZUの発言だけを見て、自分で判断したほうがいいんじゃあないかって思って…。
なお、先頭の日付は、そのコメントをこのページに掲載した日付です。

*情報レベルは下記のマークで表わしてます*

新聞

雑誌

TV

ラジオ

Web


1999.01.08

1999.01.07 赤坂プリンスでおこなわれた移籍記者会見において

無事クロアチア・ザグレブとの契約を済ませた。向こうに行っても今まで通りやっていきたい。
とにかく、とにかく気持ちの面でもう一度ゼロからやりたい。ゼロからやって、そのなかで楽しめたらいいね。

(海外でしかもクロアチアへの移籍を決めた理由について)
12月の天皇杯でヴェルディとの契約期間が終わり、すべてをゼロにして考えた時に真っ先に浮かんできたのが、まっさらの状態で海外でプレーしたいということだった。
新鮮な、純粋な気持ちを大事にしてサッカーを続けていきたいし、その自分の気持ちに一番近く、心を動かされ、最初に声がかかったのがクロアチア・ザグレブだった。 クラブも充実し、方針もしっかりしていた。

(3度目の海外について)
これまでより気持ちとしては楽だと思う。海外は3度目になるけど、年齢、経験を積み重ねたためか、変な気負いもないし、生活の不安もない。向こうでは今まで以上に大変だろうが、肩の力を抜いていける気がする。
クロアチアは飛行機で12時間で戻ってこられるから近いよ。

(中田選手の活躍について)
ヒデが頑張ってくれているおかげで、日本人選手は世界でいい印象が持たれるようになった。今以上に厳しいことはわかっている。
どうしてもプレッシャーはあるけど、(自分が)やるべきことは決まっているし、自分のやることをやるだけ。自分もそういう中で成長できれば、いいと思う。

(クロアチアの印象について)
独立して間もない国だが、これから世界にアピールしていこうという国の勢いを感じた。そして、そのクロアチアが最も世界へアピールできるのがサッカーなんだ。

(ザグレブでの目標について)
チームで優勝できるように頑張りたい。
2トップの左の位置を任されたいと思っているので、FWとして点を取りたい。

(来季はサッカーを楽しみたいか、といった問いに対して)
この1年、確かに自分もチームも苦しんだ。
でもサッカーが好きだし、苦しいのは当然のこと。
とにかく純粋な気持ちでサッカーに取り組みたい。
ゼロからクロアチアでやりたい。その上で楽しめたらいい。

(2002年の代表復帰について)
サッカー選手である以上、代表として戦いたい、という気持ちは変わらない。
それがいつまで続くか分からないけど、でも1年ずつしっかりとやって、
それが2002年まで続いて代表でいられたら素晴らしいね。
今は31歳だし94年から98年のW杯を目指した時とは年齢的にも違う。
4、5年先より1年ずつやっていって、最終的にそこ(W杯)に立てればいい。

いつも見えないものに向かって戦っている気がするが、まずは自分自身に負けないように、優勝のため与えられたことをこなしていきたい。


1999.01.07

1999.01.07 赤坂プリンスでおこなわれた移籍記者会見において

(海外への道を選んだ理由について)
川崎との契約切れで気持ちをまっさらにしたとき、見えたやりたいことが海外だった。
サッカーに新鮮に取り組める喜びを感じている。

(ザグレブの印象について)
常に優勝を争える充実したクラブだし、自分というプレーヤーに対してしっかり考えてくれている。

(出発直前の心境について)
特別な気負いはない。
この1年間苦しんできたが、サッカーが好きという気持ちは変わらなかった。
今までより気持ちは楽。年を積み重ねて経験を積んだからかな。生活面での不安もない。
今回はもう一度挑戦という気負いはなく、肩の力を抜いて行ける。
今まで以上に努力しなければいけない。もう一回、気持ちの中でゼロから出発したい。

(今後の目標について)
とにかくFWとして点を取ることを期待されると思うが、目標はチームの優勝。
ヒデ(中田英寿)がイタリアで活躍しているので、日本人というだけで注目されるかもしれないが、そのプレッシャーに負けないよう頑張りたい。
年齢的なこともあるので1年を大事にプレーしたい。

(日本代表について)
サッカー選手である以上、代表で戦いたいという意識は常に持っている。
代表に呼ばれるためにもザグレブで与えられた仕事をしっかりこなしたい。
これからは1年1年が勝負だが、2002年(W杯)にまた代表でいられたら、素晴らしい。


1999.01.04

1999.01.03 城内FC・30周年記念のオール城内OB対オール清水OBの試合にフル出場して

清水のOB、城内のOB、みんな来てくれてうれしい。感激したよ。城内FCは僕の原点だから…。
こういう状況で、またこのユニホームを着てプレーできたのは、うれしいよ。
新しい出発の前にこれだけ応援してもらって、感謝している。

今日は完全な遊びだったけど勝負にはこだわった。
こんな素晴らしいメンバが集まった中、こういう形で日本を去ることができて、幸せだよ。

ザグレブ入りが報道されてから、いろいろな人に応援された。最近いろんな人に、頑張れと声をかけてもらえるようになったよ。
向こうでは変に力が入らないよう、普段どおりのサッカーをして、少しでも成長してゆきたい。これからも新鮮な気持ちを大切にしたい。

でも、これで日本のプレーが最後だと思っていない。また戻ってくる。


1999.01.04

1999.01.02 小学生時代に在籍した城内FCの「初蹴り」と「練習試合」に参加して

(久しぶりにボールを蹴ることについて)
久しぶりだから、きついよ。
今年は3日の試合が初蹴りだと思い込んでいたんだ。(練習試合があると)知らされて、あわてたよ(笑)。

(初蹴りに参加して)
天皇杯の決勝に出た年以外は、必ず来ているからね。
特別な意識はないけれど、やっぱり気持ちが引き締まったよ。

(今の気持ちについて)
常に高いモチベーションを持って戦いたい。
明日(3日の城内FD・30周年記念試合)は楽しみたいね。


1999.01.01

1998.12.31 クロアチア・ザグレブとの正式契約を終え成田に帰国して

(今回のザグレブでの滞在について)
大変だったけど、いい3日間だった。
今回は、この前よりクラブの施設やスタジアム、街もじっくり見れたしね。
クラブの95周年パーティーに招待してもらって、5、6人の選手と話したよ。
いい契約ができたし、歓迎されてうれしかった。しっかりやりたい。

(ザグレブでの住まいについて)
1カ月ぐらいはホテル暮らしかな。
落ち着いたら、家族(りさ子夫人=30、長男良太君=1)を呼びたい。

(この後は…)
正月は初もうでにも出掛けてのんびりしたいね。

(1月3日の壮行試合について)
3日の試合はやっぱり楽しみだよね。

(空港に駆けつけたワイドショーの「クロアチアは単身赴任ですか」の問いに)
最初の1ヶ月ぐらいは…
(続けざまの「芸能活動を再開されている奥さまは中断して行くことになるんですか?」の問いに)
サッカーと関係ないじゃない。


1998.12.31

1998.12.30 C・ザグレブとの正式契約後、いったん帰国の途について

みんなの期待をひしひしと感じた。
とにかくこのチームが優勝するために努力したい。
まだ2002年もあきらめたわけではない。


1998.12.30

1998.12.29 クロアチア・ザグレブと正式契約した記者会見にて

(正式契約の感想は)
95年もの歴史があり、強いチームと契約できたことを嬉しく思う。クラブの環境もいい。
そういうクラブでプレーできることは自分の成長につながると思う。
今、考えていることは早くチームになじんで、優勝するために全力を尽くすこと。

(なぜクロアチア・ザグレブを選んだのか)
2週間前に来たとき、クラブの環境とかプレーヤーのレベルにいい印象を持ったから。
コンタクトを取った中で一番積極的だったし誠意が感じられた。
レベルの高いチームの中で自分を成長させることを興味深く思い、やりがいがあると思った。

(ポジションは)
センターフォワードで左右に動いてプレーするように言われている。
1・5列目というか。少しでも点を取れればいいと思う。
クロアチアでもイタリアでもブラジルでも新しくプレーするのは大変だ。
しかし、自分が学ぼうという気持ちがあるので成長できると思う。

(抱負は)
まずはこの環境に慣れるのが大事。自分らしさ、特徴を出していきたい。
日本でのスタイルと変わらない。
悪い言葉で言えば”わがまま”を発揮しても、グラウンドでは自分らしさを出したい。

(チームメイトとのコミュニケーションは)
スペイン語、イタリア語、ポルトガル語が話せるので問題ない。
3つを混ぜながらやるつもり。
プロシネツキもスペイン語が話せるんで、コミュニケーションは取れた。

(住まいについては)
家族は僕がいいと思った所なら、と言ってくれてる。
住まいはまだ分からない。当分はホテル暮らしになると思う。

(ブラジルとの違いは)
気候が違うよね。寒いし、クロアチアの方が走り込む量が多くなると思う。
クロアチアもブラジルと同様、テクニックが素晴らしいと思う。
だけど自分は経験があるので大丈夫。

(2度目のヨーロッパでのプレーになることについて)
ヒデ(中田英寿)の活躍の影響もあって、日本人のイメージは悪くない。
多くの日本人にこちらでやってもらいたい。

(日本代表復帰をにらんでの移籍だと思うがという問いに対して)
復帰へ特別な意識はない。2002年W杯は、先の話だし、何とも言えない。
先のことより、一年一年が大切になると思う。
年齢よりもコンディションが大事。常に成長しようとする気持ちが大切だと思う。

(ここのチームでやっていける自信は)
ザグレブはマンチェスターやユベントスなどの世界のビッグクラブと肩を並べるチームだと思う。
まずは先発で出られるようになって、リーグ優勝に貢献したい。
ヨーロッパ・チャンピオンズリーグにも出場してみたいね。

(今後は)
明日(30日発で)日本に戻る。
ザグレブのキャンプは1月下旬にスペインであるんで、それに合わせたい。


1998.12.29

1998.12.29 クロアチア・ザグレブと正式契約した記者会見にて

歴史と伝統あるC・ザグレブに入団できて大変光栄に思う。
1日も早く生活環境とクラブに慣れ、いいプレーを披露したい。優勝のために全力を尽くしたい。新たな気持ちでやりたい。


1998.12.29

1998.12.28 クロアチア・ザグレブでのメディカルチェックを終えて

レギュラー争いは厳しいと思う。でも、試合に出ればチャンスは広がる。

(登録名について)
“KAZU”でいきたいんだ。

(3時間にもわたるメディカルチェックについて)
日本では考えられない。特に心臓(の検査)が細かかった。

(マキシミリ・スタジアムを見学して)
なかなかいいスタジアムだね。

(練習場、室内トレーニング施設も見学して)
いい設備だね。

(ザグレブの町の印象について)
娯楽もなくて町も小さいし、何もないね。
でも、サッカーしかないし、こういうところでやると絶対にタフになる。

(今後の予定について)
引っ越しの準備があるので合流はスペインからになるだろうね。


1998.12.28

1998.12.27 移籍予定先のクロアチア・ザグレブへ到着して

(クロアチアのザグレブ空港に到着して)
大変なところだけどいい選手はいっぱいいるし、サッカーは強いし、いいリーグだよ。
まだ何もわからない。
場所や時間も決まっていないし、明日(28日)契約はしないんじゃないかな。

(乗り継ぎのフランス・パリで)
(9日に視察した時の)クロアチアはこんなもんじゃない。もっと寒かった。


1998.12.27

1998.12.26 クロアチアへ出発する成田空港で

風邪薬、買ってくる。風邪ひいちゃって。
契約は29日にして、その後、むこうで会見をするつもり。
4年前(セリエA移籍)と違ってプレッシャーもないし、余裕があるよ。
寂しさより、前を向いて希望を持っていきたい。
チームは優勝。
向こうも(背)番号は固定だろうし、今回は空いている番号になるだろうね。
来季は自分の好きな番号をつけたいね。
家族? 落ち着いてから連れていくよ。春? それくらいだね。クラブも家を用意してくれているし、できれば今回見ておきたい。
来年が勝負の年?
サッカー選手は毎年毎年が勝負ですよ。

日本を離れることは寂しいが、サッカーは世界中が舞台。
サッカーをやれることを大事に希望を持ってやっていきたい。

これまでもファンに支えられていいプレーができた。
今後も声援にこたえられるよう戦っていきたい。


1998.12.26

1998.12.25 ヴェルディでの最後のミーティングに参加した後

川崎ではいつもたくさんの人に応援してもらったからね。
ミーティングでは“この8年間、ありがとう”と言っただけ、特別なことは何も言わなかったよ。

ヴェルディでは終わりでも、世界でのプレーは続く。
クロアチアではサッカーに集中して、とにかく充実感を味わってきたい。

28日にメディカルチェックを受けるんだ。
契約のサインをしたら、向こうが会見をやりたいと言っている。
住む場所も見たいと思っている。候補はあるみたいだけど、暮れだから…。
自分が本当に集中してやれる環境で充実感を持てたらいいね。

ザグレブは常に首位をねらえるチーム。目標はいつも自分のチームが優勝すること。
ザグレブを優勝に導いてきたい。


1998.12.24

1998.12.23 天皇杯・準々決勝で先制ゴールをあげたものの逆転負けを喫して

(試合の感想について)
信じられない。何がなんだか分からなかった。あそこまで来て、勝利が逃げてしまうとはね。自分にあきれるというか、サッカーってこんなものかと思い知らされて、苦笑いしたんじゃないかな。
(川崎でのプレーは)これで終わったなと思ったけど、それ以上にサッカー選手として元旦の決勝に出れなくなったことが悔しい。サッカー選手として元日の決勝まで自分たちの力でいきたかった。残念です。

(ヴェルディでのプレーは終わりになることについて)
実感として、これで川崎で終わり、というのがわいてこない。サッカー選手として、ひとつのチームに8年もいるのは長い。愛着もあるし、ここまで育ててくれたのも川崎だと思っている。感謝している。

(先制点について)
ゴールはきれいな必要はない。網にさえ入ればいい。

(クロアチアについて)
非常に楽しみにしている。技術も高いし、常に攻撃的ないいサッカーができるのが魅力。いろいろな経験をしていきたい。

(ストイコビッチの激励について)
ストイコビッチも喜んでくれた。「ユーゴとクロアチアはもともと同じ国の仲間だから、自分たちのサッカーには誇りを持っている」と言っていたよ。

(移籍を前にした気持ちについて)
選手である以上、いろいろなチームを渡り歩くのは世界的には普通。
前を向いて進んでいきたい。
(調子の)波もあるけど、この1年半は納得できる出来じゃなかった。だけどここへきて、この1ヶ月で(調子を取り戻して)手応えを感じていた。自分自身納得して進んでいける。

(自信について)
若い選手も出てくるし、年齢の積み重ねもある。厳しいのはどこへ行っても変わらない。その中で、自分らしさ、自分は自分、というところを主張していきたい。変に合わせるんじゃなくて、自分のプレーを貫きたい。

(ザグレブで現役最後か、という問いに対して)
最後かどうか、そんなことは考えていない。

(日本で思い出に残っている試合は、という問いに対して)
(Jリーグ)1年目のチャンピオンシップとか、日本代表として国立で試合したこととか、いつも思い出します。

(記者会見後、足が排水口にはさまって動けなくなり)
イテェ! どうなってるんだあ。靴が抜けないよ。治療費を請求しなきゃ(苦笑)。


1998.12.24

1998.12.22 23日の天皇杯・準々決勝を翌日に控えた22日の午前練習後

(ザグレブとは)何も進んでいない。
それより明日の試合だよ。
(天皇杯は)歴史のあるカップ戦だし、(決勝の)1月1日に国立で試合がしたいよ。


1998.12.22

1998.12.21 ランドので午後練習後

(クロアチアのサッカーへの印象について)
クロアチアのサッカーは自己中心的。
昔のユーゴみたいに、自分の持ち味や創造性を生かしたプレーが多い。
欧州だけど、南米っぽいところもある。それも選んだ理由のひとつかな。

(クロアチア・ザグレブというチームを選んだ理由について)
常にリーグで主導権を握れるチームでやりたかった。
攻撃に人数も割けるし、ボールにもたくさん触れる。

(来季の欧州チャンピオンズ・リーグへの出場について)
励みになる。欧州はひとつだからね。

(今後の取り組み方について)
(ザグレブは)国内では優勝を義務づけられたチーム。
レギュラーを取るのは難しいけど、取ればチャンスはある(広がる)。
プレッシャーはあると思うけど黙々とやっていく。

(今後の予定について)
準備はまだ全然してない。
天皇杯でもし負けたら、その翌日ぐらいには出発したいけど、1月7日から練習するのは無理。
せっぱ詰まってやりたくない。

(今の心境について)
4年前とは精神的に違う。余裕を持って行ける。


1998.12.21

1998.12.20 都内でおこなわれた森下前社長をねぎらうパーティにて

(クロアチア・ザグレブとの仮契約交渉について)
契約書はOK。(契約)内容には満足している。代理人がサインした。
31日までに本契約して、1月15日から合流してほしいとの契約だったので、メディカルチェックも1月5日までにしなきゃいけない。
一歩前進した。
もう1つ僕の中で考えているチームがあるけど、クロアチアを最優先に考えている。まだ正式決定じゃないから。
海外で思い切りプレーして、それを楽しめたら、一番の幸せだね。


1998.12.21

1998.12.20 天皇杯・4回戦で1ゴール・2アシストの活躍で3−1の勝利後

3点とも、ヴェルディが楽になる時間だったからね。
瀬沼がいいところに出してくれたからね。先制点も決めたし、2点目のアシストは持ち味を出せたんじゃないかな。3点目(のアシスト)は、うまく力を抜いて、いいCKを蹴れた。
何よりも勝てたことがうれしいよ。
特別な意識は自分の中にはないつもりだけど、優勝して向こうに行けたらいいよね.


1998.12.20

1998.12.20 天皇杯・4回戦で1ゴール・2アシストの活躍で3−1の勝利後

KAZUのオフィシャルホームページ「BOA SORTE KAZU」内の「BOA SORTE NEWS FLASH」をご覧ください.


1998.12.20

1998.12.19 ランドでの練習後、20日、長良川での天皇杯4回戦への移動中

(仮契約の段取りについて)
明日(20日)にも、ザグレブから仮契約書が(代理人へ)届くことになっている。英文の書類がFAXで届くから、ウチの弁護士に見てもらって問題なければ代理人か僕かがサインするよ。

(ザクレブ入り決定ということでいい? の問いに対して)
(ザグレブは)積極的に僕を誘ってくれている。最初にオファーをくれたザグレブは大事にしたい。チームは1月以降の補強プランをはっきりさせたいから、(自分が)入団する保証がほしいようだ。自分に巡ってきたチャンスは無駄にしたくないからね。
ただ、まだ他から(オファーが)来るかもしれないし、ハデに報道されると、まとまる話もまとまらなくなる。
仮契約でまとまるかどうかは分からないけど、文面で契約の意思を表してくれているから、移籍について(仮契約書が届くことで)一歩前進したという感じ。あまり曲げて書かないでよ。

(契約の条件について)
まだ聞いてない。金額は向こうの水準にとっては十分(大変)な額だろう。

(ポジションについて)
2トップの左サイド(を任せたい)と聞いている。

(自分から何か要望は?の問いに対して)
できれば複数年で結びたいけど、向こうがどう返事するかは分からない。
欧州チャンピオンズリーグに出るようなチームが、なぜアジアの自分に声をかけてくれたのかも知りたいね。

(今後の予定について)
1月1日まで日本にいるつもりだけど、(仮契約すれば)その後、クロアチアに行かないといけないだろうね。
しかるべき時が来たらちゃんと会見を開くよ。
日本のファンにお別れ?特別なことはできないけど、プロだからしょうがない。

(家族も一緒に行くのか?の問いに対して)
具体的な話が決まってから話し合って決める。


1998.12.19

1998.12.19 ランドでの練習後

(天皇杯・4回戦、対本田技研戦に向けて)
これからヨーロッパに行こうというのに、先発じゃなきゃ格好悪いよね。

(クロアチア・ザグレブとの仮契約について)
相手の誠意も感じるし、一番最初に話がきたチームなので優先して考えたい。


1998.12.19

1998.12.18 ランドでの紅白戦練習後

(来季の移籍先交渉について)
近々、1チームから正式な契約書が届くことになっている。
それを弁護士と(クラブ)社長に見せたうえで慎重に決めたい。

(どこのチームか?については)
それは言えないよ。

(クロアチア・ザグレブの印象について)
ファンにもスタッフにもサッカーを盛り上げていこうという熱い気持ちを感じた。


1998.12.18

1998.12.17 ランドでの紅白戦練習後

(移籍先決定について)
一番条件のいいところに行く。自分を一番必要としてくれるところがいい。

(オファーの数はいくつか?の問いに対して)
内証。

(移籍先を決定する期限について)
期限? 自然な流れでいいよ。

(今後の海外視察について)
年内はスケジュール的に難しい。

(移籍先決定について)
自分を必要としてくれるところへ行く。自然に任せる。


1998.12.14

1998.12.13 天皇杯3回戦・対トリニティ大分戦に後半出場した試合後

(JFLの大分を相手に1−0という結果について)
初戦だし、相手もめいいっぱい来たからね。今日は勝つことが大事だった。

(ホーム等々力でのラストゲームだったことについて)
ホーム最後でひと区切りといえばそうだけど、等々力はでは5月以来、勝ってなかったからね。ホームで勝つのは5ヶ月ぶり。
ファンにはずっと残念な結果だったしね。その分もこれから勝っていきたい。

(この後の予定について)
今週はアメリカに行くよ。ウソ、ウソ。15日から練習するよ。
次は1週間あるから。最近2年間はタイトルを取っていない。元日まで勝ち抜くよ。


1998.12.13

1998.12.13 天皇杯3回戦・対トリニティ大分戦に後半出場した試合後

(等々力ホームでの公式最終戦を終えて)
まだ先につながっているし、特に感じるものはない。
チームとして2年間全くタイトルを取っていないので、
(決勝のある)1月までみんなで頑張りたい。


1998.12.13

1998.12.12 12日の午前練習後

(天皇杯初戦にスタメンを外れることについて)
監督と話して途中から出場することになった。
ヨーロッパに行って疲れがあるから、きちんと整えて先発したい。
コンディションはいい。行けと言われればいつでもいけるよ。
明日(13日)負けて、月曜日からオフになったら困るからね。

(ホーム・等々力での最後の試合になることについて)
サッカー選手はそんなもの。こういうこと(移籍)もあるよ。
また等々力でやるかもしれないしね。

(天皇杯への意気込みについて)
97年(元日)の天皇杯を取ってからタイトルがないし、スカッと勝って旅立ちたいね。
ファンのみんなのために勝ちたい。

(13日の天皇杯初戦に向けて)
時差のせいかな。疲れはどうしてもあるよ。でもいけって言われたらいける。
スカッとして旅立ちたいね。


1998.12.12

1998.12.11 11日、午後練習に参加後

(天皇杯に向けて)
残り3週間くらいだし、どこに移籍するにしても、いい形で納得して終わりたい。
1月1日(天皇杯決勝)に行けるようにしたい。


1998.12.12

1998.12.11 ヨーロッパから午前中に帰国、ランドでのヴェルディ午後練習に参加した後

(来季の去就について)
いい感触を得た。海外でまたやりたい気持ちになった。
来季は海外を優先的に考えたい。ヴェルディに残る可能性は少ないと思う。

(ヨーロッパ視察の目的について)
2カ国を回ってきた。スイス、クロアチアの2チームから話があった。
スイスのFCチューリヒとクロアチア・ザグレブ。
どんな国かよく知らないので直接自分の目で確かめようと思った。
関係者から直接話を聞けたし、環境面も確認した。公式戦も見た。
だいぶ具体的な話になってきている。

(スイスの印象について)
寒かったね。マイナス15度なんて初めてだよ。
ポジション? もちろんFW。
チューリヒの(コンテ)監督からは、僕が思っていたところとは少し違うけど、
”中盤の左、左ウイングみたいなところをやらせたいと思っている”と言われた。
僕のプレーはイタリア時代のを見ていたみたい。
(左ウイング的なポジションは)しばらくやってないところなんで戸惑いはある。
ウイングは”長い間やっていない”と、はっきり言ったんだ。

(クロアチアは内戦の影響が残っているのでは)
スタジアムもきれいだった。サポーターもスタッフも熱心だった。
(ズラトコ・カミューガ)会長も興味を示してくれた。

(今回の視察での感想は)
寒くてグラウンドも凍っていたけど、プレーの質は高かった。
両国とも世界のサッカーに触れられるところ。
行ったことのない国でプレーする喜びも感じるし、また(海外で)やりたいなと思った。

(海外でプレーすることについて)
とにかくヨーロッパはテレビをつけてもサッカーのことばかり。
どこにいてもサッカーの話題でもちきりで、サッカーはしっかりと文化になっている。
そういう環境でもう一度やりたいと思った。
世界のサッカーに触れられる環境でやりたい。

(どちらが本命なのか)
相手に失礼になるから、それは何とも言えない。まだまだどちらにするか50%、50%だね。
それに、話が具体的になっているのがこの2チームというだけで、
スペインや他からもオファーがある。
また、登録の関係で、1月中旬まで時間がある。ゆっくり考えたい。

(金銭的な面について)
金銭面も大事だけど、環境とのバランスが取れたところで、
ぼくをしっかり評価してくれたものであれば、たとえ(金額が)低くてもいい。

今度(視察に出るときは)教えるよ。


1998.12.11

1998.12.11 ヨーロッパから午前中に帰国、ランドでのヴェルディ午後練習に参加した後

(今後の去就について)
海外への移籍を前向きに考えている。川崎に残る可能性は少ない。

(今回交渉した2チームについて)
(両チームとも)高い技術を持ちスピードもある。
どちらのチームでも世界のサッカーに触れられる環境で、またやりたくなった。
前向きに考えたい。
自分への評価がしっかりしていれば、金額が低くても行くつもりだ。

(最終的な決断時期については)
来月中旬まで時間がある。あせる必要はない。

(他のチームからのオファーについて)
この2チームが一番具体的になったが、決定したわけじゃない。
自分に興味を示してくれるところがあれば考えたい。


1998.12.11

1998.12.11 ヨーロッパ視察から帰国し、成田空港にて

(今回接触したヨーロッパチームとの話し合いについて)
具体的な話になってきている。海外も前向きに考えたい。


1998.12.11

1998.12.07 ヨーロッパに渡る前

(今後の去就を決めるにあたって)
オファーがあったチームは、自分の目で見に行きたい。


1998.12.06

1998.12.05 横浜マリノスとのエキジビションマッチで2ゴールを決めた後

(試合について)
チームとして結果が出ていなかったし、勝ちたかった。
攻守ともにチームのバランスがよかった。チームの状態がいいから、ぼくも前線でボールがもらえて、前を向いてプレーができ、今日はフィニッシュまでつながった。
チームが機能して、前でボールをもらえたら、このくらいできるさ。
天皇杯に向けてチームが勝ててよかった。
天皇杯へ向けて監督の意図する狙いは80%できたと思う。

(来季の契約交渉について)
来季のこと? 今考えています。


1998.12.03

1998.12.02 ランドでの佐川急便との練習試合後

体の切れがよかった。今までうっ憤がたまっていたからね。
もう大丈夫。すぐにでも試合に出られる状態だよ。
今度の土曜日の練習試合(対マリノス、栃木)も爆発するよ。


1998.12.01

1998.11.30 ランドでの練習後、来季契約の条件提示を受けて

(来季契約について)
今季の契約は1月まで残っているし、天皇杯をやりながら考えて、その後、オフになるので、ゆっくり次のことを考えたい。今の時点では何も言えない。

(提示金額について)
想像にお任せします。

(海外も含め他クラブへの移籍について)
それも想像にまかせるよ。


1998.12.01

1998.11.30 ランドでの練習後

(来季の契約内容提示を受けて)
(条件の)内容は言えない。
天皇杯(全日本選手権)の後、オフになるので、ゆっくり次のことを考えたい。

 

 

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